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豊竹呂太夫 

KENSYO vol.104
豊竹英太夫改め
豊竹 呂太夫

Rodayu Toyotake

 



豊竹 呂太夫(とよたけ ろだゆう)
昭和42年 8月 三代竹本春子太夫に入門、 祖父十代豊竹若太夫の幼名の豊竹英太夫と名のる。昭和43年 4月 大阪毎日ホールで初舞台。昭和44年 7月 昭和44年4月春子太夫の逝去により竹本越路太夫の門下となる。
昭和46年 9月 国立劇場奨励賞、昭和53年 1月 昭和52年度文楽協会賞、平成6年1月 第13回(平成5年)国立劇場文楽賞文楽奨励賞、平成15年1月第22回(平成14年)国立劇場文楽賞文楽優秀賞。
平成29年4月に六代豊竹呂太夫を襲名。


芸歴五十年、七十歳の節目に六代呂太夫を襲名

 四月、長年親しまれた「豊竹英太夫(はなふさだゆう)」から、人間国宝だった祖父、十代豊竹若太夫の前名を継いで、「六代豊竹呂太夫」を襲名。「呂太夫」の名跡が復活するのは、五代呂太夫が亡くなって以来、十七年ぶりとなる。
 「今年で芸歴五十年、七十歳という節目の年に襲名させていただける。これも運命。波が来たような感じがしています」とかみしめるように語る。
 襲名披露の演目「寺子屋(てらこや)」のような時代物から、「冥途(めいど)の飛脚(ひきゃく)」など近松をはじめとする世話物まで芸域は幅広い。古典はもとより新作でも登場人物のキャラクターを的確につかんだ個性豊かな語りで、舞台を盛り上げる。
 平成二十六年、東京の国立小劇場で上演された新作「不破留寿之太夫(ふぁるすのたいふ)」では、作曲者で人間国宝の鶴澤清治から直接、「君がいちばんの適任やから」と頼まれた。シェークスピア劇のなかでもひときわユニークな登場人物、フォルスタッフの物語を日本に置き換えた作品で、好色でお調子者、皮肉な生きざまをユーモアとペーソスあふれた語りで活写。「必要としていただけたことが何よりうれしかったですね」と振り返る。
 祖父の若太夫は豪放磊落な芸風のなかにたっぷりとした深い情があった。子供のころ、家の二階で稽古する祖父の浄瑠璃が聞こえてきた。自身の弟子だけでなく、素人弟子にも厳しく、怒鳴り声がまじる。「祖母は、こんな厳しい修業を孫に経験させたくないと思ったのでしょう。僕が文楽の世界に入ることを反対していました。祖父も『芸は一代』と言っていましたので学生の頃は太夫になろうとは思わなかったですね」
 東京大学の受験に失敗。小説家になりたいと漠然と夢を描いていた頃、祖父が亡くなった。通夜の日、兄のように慕っていた祖父の弟子、五代豊竹呂太夫と一緒に銭湯に行った際、「太夫になれ」と勧められる。
 「あの一言がなかったら、僕は絶対、太夫になっていません。呂太夫兄さんには感謝しかありません」
 襲名した「呂太夫」の名前は、自分の中では、祖父よりも五代呂太夫のイメージが強いという。「もちろん、祖父も呂太夫という名前を愛していました。花のある、ええ名前やと思っています」
 入門したのは、祖父の弟子だった竹本春子太夫。初めての内弟子修業。「なぜか、優遇してくださいました」と懐かしそうに話すが、それでも、自由な生活を送ってきた若者には、自由時間も小遣いもなく、気働きしながら師匠の用事をする内弟子生活は厳しいものだった。
 やめたいという気持ちが高じたとき、ある舞台に出合う。四代竹本津太夫と六代鶴澤寛治が勤めた「御所桜堀川夜討(ごしょざくらほりかわようち)」だ。
 「津太夫師匠が大声で汗をしたたらせながら語り、その横で寛治師匠が太棹を激しく弾いておられた。舞台では一体の人形を大の男が三人がかりで遣っている。すごくシュールな世界に見えて衝撃でした。僕は若すぎてよくわからなかったのですが、文楽というのは何だかすごい芸だということだけはわかりました」
 文楽は実力社会。たとえ、祖父が人間国宝であっても特別扱いされることは一切ない。「おじいさんはすごいのに、おまえは一体何や、という声が聞こえてきました」
 それでも続けてこられたのは、多くの師や先輩たちの厳しい教えと温かい励ましがあったから。「もうひとつ、あの若き日に感じた文楽のすごさを確かめたいと思い続けたこともありましたねえ」
 太夫らしい声になるのに二十年。さらに義太夫節の表現ができるようになるのは六十歳を超えてから、という。
 「最近、ようやく祖父の声の出し方がわかるようになってきました。祖父の浄瑠璃には、理論を超えたパッションがあり、『寺子屋』でも『志渡寺(しどうじ)』でも、わざと音程をはずして感情表現をするという高等テクニックを使っている。本当にすごいと感心するばかりです」
 そう言いつつ、「いままで、これや、と思ったら違っていたり、試行錯誤の連続でした。でも去年ぐらいから、向こうの方にちょっと光が見えてきたような気がします。義太夫節を語ることが苦しいなかにも楽しくなってきた」と表情を輝かせる。
 いま、文楽は観客が増え、盛り上がりを見せている。「こういう時期だからこそ、襲名を機に一層精進し、自分の個性や表現を出していきたい」
 襲名披露の「寺子屋」を大阪公演、東京公演と二カ月間語り切った先に、六代呂太夫の新境地が開けている。



インタビュー・文/亀岡 典子   撮影/八木 洋一



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