KENSYO>歌舞伎・文楽インタビュー バックナンバー
市川右團次

KENSYO vol.109
市川 右團次
Udanji Ichikawa

 



市川 右團次(いちかわ うだんじ)
高嶋屋。1963年11月26日大阪に生まれる。
日本舞踊飛鳥流家元・飛鳥峯王の長男。慶応義塾大学法学部政治学科卒業。’72年6月京都南座「天一坊」一子忠右衛門で初舞台。’75年に三代目市川猿之助(現・猿翁)の部屋子となり、同年1月大阪・新歌舞伎座、同年7月歌舞伎座の『二人三番叟』附千歳で初代市川右近を名のり部屋子披露。2017年1月新橋演舞場『雙生隅田川』『錣引』ほかで三代目市川右團次を襲名。’89年松尾芸能賞新人賞、’96年眞山青果賞奨励賞ほか、受賞多数。



81年ぶりの名跡復活。地元・大阪で襲名披露。

 長年親しまれた「市川右近」から、昨年1月、上方歌舞伎ゆかりの大名跡、市川右團次を三代目として襲名した。右團次の名前が復活したのは昭和十一年以来、実に八十一年ぶり。
 「襲名のお話をうかがったときは、やはりうれしかったですね。この名跡とは実はご縁が深いのです。それを(市川)海老蔵さんが見出してくださって、私に襲名を勧めてくださったんです」
 “
ご縁”とは、まず第一に、右團次が関西歌舞伎で活躍した名優の名前であること。「僕も大阪出身でしょ」。第二に、右近も右團次も「右」の漢字が共通している。第三に、二代目右團次は、戦前、早替りなどケレンを得意とし、歌舞伎界に多大な功績を残した。「私の師匠の(市川)猿翁(三代目猿之助)も宙乗りや早替りなどケレンを現代に復活させ、私も長年、その薫陶を受けてきました。右團次は、ケレンのパイオニアの名跡ですので、思いもひとしおです」
 右團次という名跡はそもそも、市川團十郎家の門弟だった幕末の名優、四代目市川小團次の子が初代を名乗った名前。
 屋号は澤瀉屋から高嶋屋に変わったが、「私が師匠(猿翁)の弟子であることは、一生変わりません。僕の体は全部師匠で出来ている」。そして、「今後は、師匠から教えていただいた精神を、右團次の名前を通して歌舞伎界に伝えていければうれしいですね」と、白い歯を見せた。
 関西を本拠にする日本舞踊飛鳥流宗家、飛鳥峯王の長男として大阪市内で生まれた。猿翁(三代目猿之助)の舞台を中心に名子役として活躍。小学三年生のとき、「義経千本桜・四ノ切」の宙乗りを見てファンタジーを感じ、猿翁に憧れた。それが歌舞伎俳優を志したきっかけとなった。
 小学校卒業後、矢も楯もたまらず、たったひとりで上京。三代目の部屋子となり、「市川右近」を名乗って歌舞伎俳優としてスタートを切った。
 精悍な風貌、エネルギッシュな舞台で、一門の若大将として華々しく活躍。部屋子で結成した「二十一世紀歌舞伎組」のリーダー格でもあり、スーパー歌舞伎「ヤマトタケル」のヤマトタケル、「黒塚」の老女岩手実は安達原の鬼女、「獨道中五十三驛(ひとりたびごじゅうさんつぎ)」の十五役など、師匠の背を追うように、当り役に挑んできた。なかでも、しばしば上演している「華果西遊記(かかさいゆうき)」の孫悟空は、右團次のためにあるような役どころ。
 「ケレンの妙味がふんだんにあり、僕のニンにも合っていますので、今後ともぜひ演じ続けていきたいですね」
 右團次を襲名して、演じる役どころにも変化があった。海老蔵主演の歌舞伎十八番「助六」で、「口上」を勤め、同じく「暫」では成田五郎を演じた。「右近のままだったら絶対来なかったお役。襲名後は、今まであまりご一緒の座組みになることがなかった方々とも共演の機会が増え、確実に自分の芸の間口が広がりました。緊張感もあります。それがなにより、ありがたいですね」
 江戸歌舞伎を代表する成田屋の家の芸や海老蔵が中心となって作り上げる新作歌舞伎とともに、上方ゆかりの右團次の名跡を継いだからには、「上方のお芝居も継承していければうれしい」と顔を輝かせる。
 昨秋、茶の間で話題になったテレビドラマ「陸王」(TBS系)にシューフィッター役で出演、説得力のある演技で強い印象を残した。以降、ユーモアあふれるトークで、バラエティー番組や旅番組などにひっぱりだこ。
 「『あ、シューフィッターの人や』って、よく声をかけてもらえますね」
 日々、何度も更新するブログも人気で、長男で八歳の二代目市川右近ちゃんのかわいらしい日常の姿も評判だ。
 「テレビもブログも、歌舞伎界に右團次という名前があることを知っていただくきっかけになってくれればうれしいですし、僕が大阪弁でしゃべることで、視聴者の方が『この歌舞伎俳優、大阪の人やねんな』とわかってくださることも大切だと思っています」
 そんな地元・大阪での襲名披露公演が十月、道頓堀の松竹座で行われる。市川右之助改め二代目市川齊入との同時襲名披露。
 「道頓堀の劇場に、右團次と齊入の名前が同時に上がるのは、百三年ぶりだそうですよ」とうれしい笑顔。「これからは、右團次家という立場で、息子にもさまざまなものを伝えていきたいと思っています」
 関西歌舞伎の大名跡を継承した “
永遠の若大将”は、エネルギッシュに歌舞伎の未来を開いていく。




インタビュー・文/亀岡 典子 撮影/多和田 詩朗



ページTOPへ
HOME


Copyright(C) SECTOR88 All Right Reserved. 内容を無断転用することは、著作権法上禁じられています。
セクターエイティエイト サイトマップ