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茂山 正邦(しげやま まさくに)
大蔵流狂言方。1972年十三世茂山千五郎の長男として生まれる。父及び祖父四世茂山千作、曾祖父故三世茂山千作に師事。4歳で初舞台を踏む。1989年「三番三」、1993年「釣狐」、2004年「花子」、2009年「狸腹鼓」を披く。2006年より宗彦・茂・逸平・童司と共に「HANAGATA」を再開。これまでに、1998年大阪市咲くやこの花賞、2005年文化庁芸術祭新人賞、2008年京都府文化賞奨励賞受賞。








茂山 千五郎(しげやま せんごろう)
大蔵流狂言方。 1945年四世茂山千作の長男として生まれる。父および祖父故三世茂山千作に師事。 5歳で初舞台を踏む。 1976年弟眞吾(現七五三)、従兄弟あきらと「花形狂言会」を発足、共に主宰する。 1000年ぶりの復曲「袈裟求」をはじめ、SF狂言「狐と宇宙人」など復曲・新作狂言にも積極的に取り組んでいる。 1986年京都市芸術新人賞受賞。1994年十三世千五郎襲名、当主となる。同年「花形狂言会」を卒業。2004年京都府文化功労賞、2008年文化庁芸術祭大賞受賞。2016年旭日双光章受章。
 


 京都の大蔵流狂言の茂山千五郎家は今秋、代替わりする。五世千作、十四世千五郎を襲名する現・千五郎と正邦の二人に意気込みなどを聞いた。
 正邦が千五郎襲名披露の演目に選んだのは、「狸腹鼓」(大阪・大槻能楽堂、10月2日)、「釣狐」(名古屋能楽堂、15日)、「花子」(東京・国立能楽堂、30日)。三曲とも技術的にも精神的にも集中力が必要な極重習で、「狸腹鼓」と「釣狐」は、着ぐるみのような装束姿で面をつけて動き回り、猟師と対決する。
 「たぶん大変ですよね」と正邦。特に東京は「花子」の前に「翁」の三番三も舞うのだから、アスリートばりの体力も必要だ。通常なら、一か月にどれか一つを演じるくらいで、続けて演じられる演目ではない。
 「一か月に三か所でこの三曲を演じた人はいないのではないかな。一番きついのが東京です。『花子』で声が出るかなとちょっと思いますね」と言うが、それでも余裕の表情。安定感があり奥行きのある演技に定評を持つ。出来るなら三曲とも追っかけて観たいくらいだ。
 京都公演(京都観世会館、9月18日)は、シテ方金剛流宗家の金剛永謹による「翁」の三番三と「靱猿」を披露する。華やかでにぎやかな舞台になりそうだ。
 千五郎は三老曲と言われる大曲の一つ「庵梅」の老尼役に京都と東京で初めて挑み、「木六駄」の太郎冠者を大阪、「唐相撲」の帝王と「素袍落」の太郎冠者を名古屋で演じる。
 「体力の問題もありますので怪我や健康に気をつけて頑張りたい」と千五郎。
 「翁」では正邦の双子の長男、二男が京都と東京でそれぞれ千歳を初めて勤めるのも楽しみだ。千五郎が孫のけいこを担う。
 正邦の師匠も祖父、四世千作だ。さらに、小学生のころは同居していた曽祖父に、ほぼ毎晩、せりふと謡のけいこをつけてもらっていた。
 「子供のころは何も分からないまま舞台に立ち、教えられたことをすると客席から反応が返ってくるのが子供心に楽しかった。中高生になると今度は何をしても褒められなくなる。それぞれ言うことが違うんですが、それで芸の多様性を知るんです。この人のやり方はこうする、この人はこういう言い方をすると怒られるとか、何が正解か分からないけど、そうしてやり方を覚えていくんです」と話す。
 祖父らの圧倒的な芸の力の凄さに魅了されつつ「反骨精神ではないですが、じゃあやってやる」という負けん気と狂言への探究心が修行の原動力になった。
 千五郎も「おじいさんに『二十歳で釣狐を披くまではわしが教えた通りやれ。後は先輩の舞台を観て自分なりに自分の狂言を作れ』と言われた」と振り返る。
 修行も生活の中に組み込まれ、自然と身につくシステムができている。継続してきた伝統の力強さを感じる。

 正邦は「跡継ぎ」と言われて育った。同世代の兄弟従兄弟5人の中では年長で、自然な流れとして受け止めてきた。彼らと「TOPPA!」や「HANAGATA」などを結成し、古典から新作まで狂言を観たことのない同世代の若者を中心に狂言の普及に務めてきた。伝統芸能では珍しい出待ちが出る人気だった。最近はそれぞれの活動も盛んだ。
 「個々が色んなとこを向いて活動しているというのも、うちの良さだと思う。だからこそ、より広がりを持てている。祖父と大叔父、父親らの世代がしてきたように、これからも変わりません」と、継承していく。
 千五郎は「ひいじいさん(二世千作)がどこへでも出かけて演じるお豆腐主義を考案した。その気持ちでやって行きたいなと思いますし、第二次世界大戦後に(四世)千作、千之丞が普及活動などで頑張ってくれたおかげで今の状態に繋がった」と話す。時代の変遷で能楽自体の危機は幾度もあった。千五郎が二十歳のころは同門は数えるほどで半分は素人だったそうだが、今、一門は20人を超える。
 正邦は「ここまで続いてきたものを途絶えさせることはできない。役者の拠り所でもある家を潰したら仏壇に入れてくれへんやろな(笑)。短時間で喜劇を楽しんでもらえる気軽さが狂言の特徴です。次の世代に繋げて、その時代の人たちにも楽しんでもらいたいと思います」と、たんたんと話す姿に気負いはない。


インタビュー・文/前田みつ恵 撮影/八木 洋一


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