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福王茂十郎

KENSYO vol.104
ワキ方福王流 福王 茂十郎 
SHIGEJURO  FUKUO

 



福王 茂十郎(ふくおう しげじゅうろう)
福王流ワキ方十六世宗家。1943年生まれ。
幼少より父十五世茂十郎に師事し、7歳で能「岩舟」のワキを勤める。1976年宗家を継承。以後、「福王会」「福王能楽鑑賞会」を主催。「藍染川」「羅生門」「谷行」「松山鏡」などの稀曲を上演し、また1985年に100年振りに「檀風」を復曲。2001年 芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2003年 紫綬褒章受賞。


「能はやっかいなものなんだ」

 堂々たる佇まい、厳しくも男らしい顔立ちは、いかにも漢王朝を興した勇猛果敢な王、高祖にふさわしい。
 二月、大阪・大槻能楽堂で上演された復曲能「星」で高祖に扮し、圧倒的な存在感を見せた。
 古代中国を舞台に、史上名高い漢の高祖と楚の項羽の戦いを描いたスペクタクルな能。作者とされる観世小次カ信光の没後五百年を記念して復曲された。
 高祖はワキ方の役どころ。素顔で勤めるため、演者の内面や経験、人間性がにじみ出る。
 「ワキ方は素顔が基本。感情を表に出してはいけないところに難しさがある」という。「しかし、そこがまた、ワキ方のおもしろさであり、やりがいのあるところで、その人の持っている力がすべて顔に出る。そういう顔を作るには勉強しかないですね」
 関西を本拠に活躍するワキ方福王流の十六世宗家。東西の舞台で、ここぞという大曲の舞台には必ずといっていいほど、この人がいる。格調ある舞台姿。ときに旅の人となり、ときに僧となり、大きな包容力で、シテの苦悩や悲しみを引き出し慰め、怒りや恨みを祈り伏せる。
 「五十(歳)を過ぎてからでないと能はわからない」が持論。「いくら技術があっても内面を支えるものがないと表現できないし、その逆もしかり。どこに果てがあるかわからないけれど、いまでも進化の途上ですよ」
 幼いころから父、先代茂十郎に、帝王学を受けた。その稽古は壮絶だった。子供であっても、一カ所間違えた時点で、稽古は「おしまい」。完璧に覚えていかないと進まなかった。
「だから努力するんですよ」。
 頭脳明晰、運動神経も抜群、未来にさまざまな可能性が開けていたが、能以外の道を考えたことは一度もなかった。
 「ただ、中学生のころはバスケットボールをやっていて、結構いい線までいっていたので、バスケットの選手になりたいと思ったことはありましたねえ」。懐かしそうな目をした。
 二十代になると、自分の立場に責任を感じ始める。そんなとき、ある舞台に出会う。宝生流ワキ方で人間国宝だった松本謙三がワキを勤めた「鉢木(はちのき)」である。
 松本ふんする旅僧が揚幕から出てくる。幕の陰からその姿を見たとき、歩みのすばらしさに息をのんだ。
 「下掛宝生流ではこういうふうにして出るんだ」と思った。能の多彩さ、深さに目を見開かされる思いがした。
 これまで、「融(とおる)」「泰山木(たいさんもく)」を世阿弥時代の演出で、「百萬(ひゃくまん)」を、観阿弥時代の様式に戻して上演。観世流では上演されていなかった「檀風(だんぷう)」を約百年ぶりに復曲。能を演じるだけでなく、能の研究にも勉め、現代における能のあり方を思索し続けている。
 自身、能の最初の姿を知りたいと思ったのがきっかけだったが、最近は、若い能楽師に能の原点を知ってもらいたいという気持ちが強いという。
 「能は六百五十年という長い歴史のなかで変貌してきた。いまの時代に、能をより深く表現するにはどうしたらいいかを考えるためにも、原初の姿を知ることは必要だと思う」
 いま、頭を悩ませているのが後進の育成。能楽師全体の人数が減少しているなか、特にワキ方を志望する若者は少ない。
 近年、大槻文藏らとともに日本中の小中学校を回って子供たちに能を見せている。バスで何時間も移動、コンビニで弁当を買って食べる日もある。体育館のにわか拵えの舞台で豪華な出演者による能を上演する。
 「初めて能を見る子供たちには絶対にいいものを見せなくちゃいけない。能の印象を決めてしまうからね」。大変な思いをしても地方を回るのは、ファンの裾野を広げたい、能を志す若者を増やしたいという情熱にほかならない。それがベテランの心を駆り立てる。
 九月十日、東京・銀座に新開場する「観世能楽堂」で、「定家」に出演する。シテは大槻文藏。その一週間前の二日、彦根城博物館の「彦根城能」でも、文藏のシテで「卒都婆小町(そとばこまち)」を勤める。
 「『定家』は人間の執心を描いた凄絶な曲で、こういうものを勤めるには年季が必要」。この曲には、珍しい「五輪砕(ごりんくだき)」というワキ方の小書きがあるが、「これをするかどうかは当日決めることになるでしょう」とのこと。
 それほどに能を演じるということは、繊細なものなのかもしれない。
 「能はやっかいなものなんだ」。
しみじみと呟いた一言に能への思いが集約されていた。



インタビュー・文/亀岡 典子 撮影/墫 怜治



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