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茂山 童司
KENSYO vol.110
狂言師
茂山 童司
DOJI  SHIGEYAMA




茂山  童司(しげやま どうじ)
大蔵流狂言方。 1983年生まれ。 父茂山あきらおよび祖父二世茂山千之丞に師事。 3歳で初舞台。 1995年に「花形狂言少年隊」に入隊、共に活動する。 また2000年より2005年まで教育的古典狂言推進準備研修錬磨の会「TOPPA!」、2006年に再開した「HANAGATA」に参加するなど、狂言の普及を目指した活動をする。 2013年には作・演出を手がけるコント公演「ヒャクマンベン」、2014年には新作狂言の会「新作“純”狂言マリコウジ」を始める。 2016年難曲の「釣狐」を披く。 英語力を活かしてNHKの語学番組「プレキソ英語」や、役者として映画や演劇に出演するほか、オペラの演出や詩人choriとのユニット「chori/童司」など、幅広く活動。 2018年12月三世茂山千之丞を襲名。

三世 茂山千之丞を襲名
「僕の体のほとんどは、祖父が教えてくれたことでできている」

十二月、戦後の狂言界に多大な功績を遺した祖父の名跡を継いで、三世茂山千之丞を襲名する。
 「周りのご期待はひしひし感じるのですが、急に決まったわけではありませんので…」と言い、「本当はこっそり襲名しようと思っていたんですが、そうもいかなくて」と笑う。
 大きな名跡を襲名するという気負いを感じさせない自然体の物腰。 なるほど、狂言界の革命児、二世千之丞の孫である。
 4月に行われた襲名発表会見は、京都市内のライブハウスで行われた。 伝統芸能の会見では異例。 しかも、三世を襲名するのは、二世千之丞の長男の茂山あきらではなく、一代おいて孫の童司。 これもまた、異例である。
 会見の席上、あきらは「童司は、父(二世千之丞)に狂言を教わっていた。 この世界は教えた者から教えられた者に名跡が受け継がれるのがいい」と、祖父から孫への襲名の理由を語った。
 祖父からは生前、一緒に飲みに行った際、「(自分が)死んだら、(千之丞に)なってくれたらええんやけど」と言われたこともあった。 なかなか決心がつかなかったのは、「今も祖父がふらりと楽屋に現れるような気がして…。 襲名してしまうと、いなくなったことを受け入れるようで寂しかったから」と打ち明ける。
 茂山千五郎家では、一昨年、千五郎が五世千作に、その長男の正邦が当主名である千五郎を十四世として襲名。 代替わりが行われた。 「そんなこともあって、祖父のことを覚えてくれている人がいるうちに襲名した方がええ」と周りから言われ、今年襲名することを決意したという。
 「僕の体のほとんどは、祖父が教えてくれたことでできているといっても過言ではありません。 祖父の芸は、僕が言うのも不遜ですが、本当にうまかった。 自覚的な芸というか、なぜそこで何歩動いたかなど、すべてに理由があったんです。 僕はそういう祖父の芸を追って生きてきました」。
 千之丞は兄の四世千作とともに、若いころから、和泉流狂言師との異流共演や女優との共演など当時の能狂言界のタブーに挑み、能楽協会から退会勧告を受けたこともあった。 反骨精神と革新的な行動。 千之丞の家にはいつも親友の桂米朝一門の落語家や社中の弟子たちがにぎやかに集っていた。
 童司は幼い頃から、そんな祖父とよく行動を共にした。 誰に対しても同じ目線で接する千之丞は、童司に「不誠実に生きろ」と教えたという。
 「気持ちや意見って、時代や局面でどんどん変わっていくじゃないですか。 祖父は、自分の考えに固執せず、柔軟に生きろ、と教えてくれたんじゃないでしょうか」。 そして、もう一つの大事な教えは、「(酒を)飲んだお勘定は、上の人間が払えよ、でしたね」。
 祖父の影響を受けた童司もまた、狂言界では独自の活動で注目の存在だ。 そもそも、父、あきらの方針で、学生時代はインターナショナルスクールに通ったバイリンガル狂言師。 流暢な英語を駆使して、外国人に狂言をはじめとする古典芸能をレクチャーするなど、文化を通して日本と外国を繋ぐ重責を担っている。
 古典はもとより、自ら新作狂言を執筆・演出する企画公演「マリコウジ」、コントを書き下ろして上演する「ヒャクマンベン」など、笑いをさまざまな角度から表現する。
 「自分では何のジャンルをやっているか、あまり考えていません。 誤解を恐れずにいうと、狂言を何が何でもやりたいわけではない。 おもしろい舞台を作りたいだけなんです。 ただ、そのためには、自分がいま持っているツールのなかで狂言が最強だということですね」。
 そんな童司の追求する笑いとはー。
 「後に残らないのが美しい。その場で笑っておしまい、というのが好きなんです」。
 12月23日、京都の金剛能楽堂で行われる襲名披露公演では大曲「花子」を披く。 装束のデザインを、現代美術の山本太郎氏に依頼したのも童司流。 そして、来年1月13日、大阪・大槻能楽堂で開催される「新春天空狂言」では、千之丞になって初の「三番三」を勤める。 「祖父がずっと勤めてきた三番三。 大事に舞いたいですね」。
 「倒れるときは前のめり」が身上。 「同じ失敗するなら、せずに失敗するより、やってみて失敗する方がいい。 千之丞を襲名しても、そういう生き方を貫いていきます」。

インタビュー・文/亀岡 典子 撮影/八木 洋一


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