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片岡 愛之助

KENSYO vol.111
片岡 愛之助
Ainosuke Kataoka

 



片岡 愛之助(かたおか あいのすけ)
松嶋屋。1972年3月4日、大阪にて生まれる。’81年12月、13代目仁左衛門の部屋子となり、南座『勧進帳』太刀持音若で、片岡千代丸を名乗り初舞台。’92年1月、片岡秀太郎の養子となり、大阪・中座『勧進帳』の駿河次郎ほかで六代目として片岡愛之助を襲名。2008年12 月、三代目として楳茂都扇性を襲名し、上方舞楳茂都流四代目家元を継承する。’06年松尾芸能賞新人賞、 ’13年愛之助主演の通し狂言『夏祭浪花鑑』(大阪松竹座)が第68回文化庁芸術祭演劇部門優秀賞を受賞、第21回日本映画批評家大賞 助演男優賞などを受賞。ドラマ「半沢直樹」「まんぷく」、映画「七つの会議」ほか幅広く活躍。


歌舞伎を世界へ。未来へ。


 二〇一九年のスタートは地元、大阪から。一月二日、道頓堀の大阪松竹座で始まる「壽初春大歌舞伎」で、昼夜にわたって三つの狂言に出演、夜の部では、『金門五三桐』で主人公の大盗賊、石川五右衛門などを演じる。
 「大阪の初春大歌舞伎に出していただくのは三年ぶりなんですよ。こんなに出ていなかったかなあって、自分でも驚いています。身の引き締まる思いがしますね」。さわやかな笑顔を見せる。
 昨今の活躍は目覚ましい。大阪に生まれ育ち、端正な顔立ち、骨太のせりふ回しで、上方の二枚目から悲劇の武将まで芸域は幅広い。歌舞伎界では早くから注目の存在だったが、一躍その名をお茶の間に広く知られるようになったのは、平成二十五年、TBS系の人気ドラマ「半沢直樹」で演じたおねぇキャラの金融庁エリート、黒崎駿一役だった。
 「『半沢直樹』の後、松竹座に出演したら人だかりで歩けなくなったんです。『黒崎さんの歌舞伎、初めて見ました』とか『歌舞伎している人なんですね』とか言われてました。世の中ってこんなに変わるものかとびっくりしました」と当時、語ってくれたことがあったが、以降は飛ぶ鳥を落とす勢い。ドラマで見せたインパクトの強い演技と、トーク番組などで披露している親しみやすい素顔のギャップも魅力。歌舞伎はもちろん、ドラマや現代劇、そしてミュージカルなどさまざまなジャンルで、その素質を開花させている。
 もともと、歌舞伎の家の出身ではない。大阪府の南部、堺市の一般家庭に生まれ、子役として歌舞伎の舞台に出演。稽古熱心でかわいらしい子役ぶりを見込まれ、九歳のとき、上方歌舞伎の再興に尽くした人間国宝、十三代目片岡仁左衛門の部屋子となった。平成四年には、十三代目の次男で、上方歌舞伎の女方、二代目片岡秀太郎の養子となり、六代目として片岡愛之助を襲名する。名実ともに御曹司の仲間入りをしたが、二十代の頃、活躍の場はそれほど多くなかった。
 というのも、当時、関西では歌舞伎公演は年に二、三回ほど。大役を演じる機会も東京の同世代の花形に比べてはるかに少なかったからだ。将来を心配した秀太郎から東京行きを勧められたこともあった。だが、「僕は十三代目仁左衛門学校=Aそして秀太郎学校≠ノ入ったんです。当時、僕にとって、歌舞伎イコール上方歌舞伎だった。ですから、当時も今も、どんなに出番が少なくても大阪で歌舞伎をやっていきたいと思います」
 やさしげな顔立ちに似合わぬ強い意志で、自身の道を一歩ずつ切り開いていったといえる。
 『夏祭浪花鑑』の団七九郎兵衛、『封印切』の忠兵衛、『女殺油地獄』の与兵衛など上方の芝居では、身の内から自然に大坂のにおいがにじみ出る。兵庫県豊岡市の「永楽館歌舞伎」や、徳島県鳴門市の「システィーナ歌舞伎」では座頭として毎年、新作や初役に挑戦、超満員の観客を喜ばせる。また、平成三十年の南座の顔見世では、十一月に荒事の大役『寿曽我対面』の曽我五郎や、十二月に江戸歌舞伎『弁天娘女男白浪』の弁天小僧菊之助を勤めるなど、東西の代表的な役どころに臨む。
 「最初、弁天小僧のお話しをいただいたときはびっくりしました。ただ、考えてみたら、江戸歌舞伎と上方歌舞伎、それぞれのお役のにおいや雰囲気は大切にしなければなりませんが、役者としては両方できなければならないし、どっちもできたら最高ですよね」
 初挑戦の『金門五三桐』は、「三代猿之助四十八撰」のひとつ。先代の市川猿之助(現・猿翁)の当り役であり、五右衛門と此村大炊之助の二役に奮闘、葛籠抜けの宙乗りを披露するなどケレンたっぷりの舞台に期待がかかる。
 「五右衛門は、盗賊ですが、弱きを助け強きをくじくというヒーロー的な存在でもある。僕にとっては、ルパン三世みたいな感じでしょうか」
 五右衛門役は、新作歌舞伎『GOEMON』でも経験ずみ。さまざまな経験を積み、一段とスケールアップした五右衛門像を見せてくれるに違いない。
 歌舞伎を未来へ繋ぎ、世界へ広めていきたい。二〇二五年に開催が決まった大阪万博には、万博誘致のアンバサダーとして期待を語る。「地元・大阪で万博を見られることを誇りに思い、いまから胸が躍りますね」といい、「大阪万博では歌舞伎のブースとかできたらいいですね。僕も何らかの形で参加したい」
 愛之助の快進撃は続く。

インタビュー・文/亀岡 典子 撮影/八木洋一



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