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鶴澤 清介

KENSYO vol.112
三味線 鶴澤 清介
Seisuke   Tsuruzawa




鶴澤 清介(つるざわ せいすけ)
1952年9月22日大阪生まれ。
 '73年二代鶴澤道八に入門、 '74年1月鶴澤清介と名のり、朝日座にて初舞台。 '82年鶴澤清治門下となる。
 '76・ '77年文楽協会賞、'87年大阪文化祭賞奨励賞、
 '94年松尾芸能新人賞、 '99年国立劇場文楽賞文楽大賞、2002年芸術選奨文部科学大臣新人賞、同年大阪舞台芸術賞奨励賞、 '13年国立劇場文楽賞文楽特別賞、 '16年大阪市市民表彰、 '18年恩賜賞・日本芸術院賞ほか多数受賞。

骨の髄まで文楽の人。

太棹三味線からこんな繊細で美しい音色が奏でられるとは|。 本来、命がけの力強さと迫力を感じさせる文楽の三味線。 だが、剛腕であるはずのこの人の三味線が、ときに、澄んだ夜の月のような音色を紡ぎ出す。
 今年一月の大阪・国立文楽劇場、二月の東京・国立劇場小劇場と、二か月連続で、『壇浦兜軍記・阿古屋琴責の段』を勤めた。
 平家の残党、悪七兵衛景清の恋人で京の傾城、阿古屋が、鎌倉方に捕えられ、景清の行方を知っているかいないかを、琴、三味線、胡弓の三曲を演奏することで詮議されるという物語。
 あでやかな傾城の悲しい胸の内を、清介の三味線は流麗に、そして細やかに描き出した。
 「文楽というのは普通、太夫さんが主導権を握っているものなのですが、この『阿古屋琴責(あこやことぜめ)』に関しては三味線だともいわれています。 この段の芯を勤めさせていただくのは二度目ですが、今回は自分がある程度音頭を取り、責任も取らないといけないと思って勤めましたので、しんどかったけれど楽しくもありましたね」
 『阿古屋琴責』は難曲だ。 無心で演奏しながらも、ときに阿古屋の気持ちになり、「あの人はいまどうしているんやろと景清を思う気持ちが底にありながら演奏するんです」。 本舞台で演じられている人形の阿古屋の動きとも、舞台を見ずして合っていないといけない。 さまざまに気を使わねばならないのが阿古屋の三味線である。
 「ですから、お客さんがこの曲で泣いてくれはるのが見えたときは、うれしかったですね」。
 時代物から世話物まで芸域は幅広い。 『熊谷陣屋』や『寺子屋』のような、忠義のため、わが子を犠牲にせねばならない武将の悲劇を骨太に描いたかと思えば、四月の大阪・国立文楽劇場で上演される『近頃河原達引・堀川猿廻しの段』のように、名もない庶民の哀歓も、三味線の一撥一撥に思いを込め、紡ぎ出す。
 「文楽の三味線で大切なのは切っ先の鋭さと間(ま)ではないでしょうか」という。 「文楽で描かれるテーマは重いものが多いでしょ。 子供の命を犠牲にしても主君に忠義を尽くさねばならない痛切な決断。 そういうものを扱っているわけですから三味線の音色も鋭く、重く、ならざるを得ないわけです」
 新作文楽の作曲にも才能を発揮。 平成二十六年に国立文楽劇場で上演された『かみなり太鼓』、二十八年の同『新編西遊記 GO WEST! 玉うさぎの涙』、現代演劇の第一線で活躍している三谷幸喜が初めて文楽に書き下ろして話題を呼んだ『三谷文楽 其礼成心中』(平成二十四年)…。 さまざまに工夫を凝らして作品世界を創造。 三味線の演奏を通して文楽という舞台芸能の深さ、広がり、魅力を表現する。
 古典から新作までさまざまな功績が評価され、昨年、日本芸術院賞を受賞した。 「まだまだ(修業の)道中ですよ。 ただ、この年齢になって無理はあまりしなくなりましたね。 目一杯していることに変わりはないのですが、そんなにカンカンにならなくても、きちんとこたえてるなと思える。 芸というのは年代によっていろんな花が咲くというけれど、本当にそうやなと思いますね」。
 三谷文楽が誕生したときには社会現象にもなった。 若者に人気の三谷が伝統的な芸能である文楽を書き下ろすとは思わなかったからだ。 だが、実は清介は十数年前、すでに「三谷さんにいっぺん書いてもらいたいんですよ」と話していた。 「文楽は悲劇が多いでしょ。 三谷さんが喜劇を書き下ろしてくれはったら、きっといままでにない舞台ができると思う。 笑えて明るくて、ほろっとするような。 それが、まだ文楽を見たことのない人に、文楽への扉を開いてくれるものになるかもしれない」と|。
 確かに、初演の東京・渋谷のPARCO劇場でも、再演の大阪公演や京都公演でも、カジュアルなファッションの若者が大勢押し寄せた。 その光景を見たとき、清介の先見の明に驚かされたものである。
 「最近考えているのは、松竹新喜劇さんの作品を文楽にできないかということなんです。 年下の男に執着する女性の情を描いた『銀のかんざし』など、文楽でやれたらおもしろいなあと思っているのですが」。
 インタビューの会話は終始、はんなりした、ちょっと懐かしい大阪弁。 「〜でっしゃろ」「〜でんねん」など聞いていてうれしくなる。 骨の髄まで文楽の人である。



インタビュー・文/亀岡 典子 撮影/飯島 隆



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