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中村橋之助

KENSYO vol.113
中村 橋之助
Hashinosuke Nakamura

 



中村 橋之助(なかむら はしのすけ)
成駒屋。1995年生まれ。八代目中村芝翫の長男。祖父は七代目中村芝翫。2000年9月歌舞伎座『京鹿子娘道成寺』所化、『菊晴勢若駒』春駒の童で初代中村国生を名乗り初舞台。2016年10月・11月歌舞伎座『初帆上成駒宝船』橋彦、『極付幡随長兵衛』極楽十三、『熊谷陣屋』堤軍次、『祝勢揃壽連獅子』狂言師後に仔獅子の精、『加賀鳶』数珠玉房吉、『芝翫奴』奴駒平ほかで四代目中村橋之助を襲名。

令和の時代の歌舞伎を作り上げていく花形

 父、中村芝翫が長年名乗っていた前名「橋之助」を四代目として継いで約三年。二十三歳の若者は襲名時よりぐんと大人になり、顔も引き締まって見えた。
 「およそ二年にわたる襲名披露興行では、それまでとはまったくレベルの違う大役を勤めさせていただきました。そのなかで、お役への向き合い方や舞台に出るまでの準備運動などさまざまなことを学ばせていただきました。すべてが勉強になった二年間でした」
 端正な容姿は父、芝翫ゆずり。凛とした舞台姿で、二枚目から荒事、敵役までさまざまな役どころに挑んで目覚ましい成長ぶり。特に、一連の襲名公演で演じた『車引』の梅王丸や『寿曽我対面』の五郎など荒事における勢い、勇壮さは、この方面への期待を感じさせるものだった。
 「背伸びどころじゃないお役ばかりでした。でも、将来は線の太い立役に進んでいきたいと思っていましたので、すごくうれしかったですね」
 近年の成駒屋は女方の家として知られている。劇界に君臨した五代目、六代目の中村歌右衛門をはじめ、橋之助の祖父、七代目中村芝翫も女方の名人で人間国宝。しかし、橋之助は、立役として活躍中の父の背を追うように、自らの意志で同じ道に進んだ。
 「父の舞台姿を近くで見ていてかっこいいなあと思っていたんです」
 特に心に突き刺さったのは『丸橋忠弥』。激しい立廻りに憧れた。父たちが復活した『小笠原騒動』も、「いつかやらせていただければ」と瞳を輝かせる。

 その一方で、女方への興味もある。「『野崎村』のお光、『俊寛』の千鳥のようなお役はいつかやってみたいと思っています。でも一月の新春浅草歌舞伎『乗合船惠方萬歳』で女船頭お浪を勤めさせていただいたとき、自分ではもうちょっとかわいいかなあと思っていたのですが…。軽々しく女方をやりたいと言うのはやめようと思いました」と苦笑い。
 そんな橋之助にとって、最大のエポックになった舞台は、平成二十九年十月、東京・国立劇場「伝統歌舞伎保存会研修発表会」で演じた『熊谷陣屋』の熊谷直実だった。忠義のために十六歳のわが子を身替わりに討たねばならなかった武将の悲劇。時代物の大役で、父、芝翫も、先祖の四代目芝翫が作り上げた「芝翫型」で演じている。
 このときの指導は片岡仁左衛門。「芝翫型」ではなく、いまもっともよく演じられる「團十郎型」をみっちり教えてもらった。
 「仁左衛門のおじさまはご自分の舞台があるのに、終演後毎日のようにお稽古してくださいました。夜、ダメ出しをしていただいて自宅に帰ってくるのが深夜零時前。翌日のお稽古までに直さなくてはならない。いろんなプレッシャーで、毎晩、横になっても眠れなくて、仁左衛門のおじさまの楽屋の前を通るだけで大量の汗をかくほどでした」
 これほど本気で叱られたことも初めてだったという。本番の舞台が終わり、きっと怒られるだろうと覚悟して仁左衛門のところにあいさつに行ったところ、「『よう頑張ったなあ』と言ってくださったんです。僕は人前で泣くのは嫌いなんですが、そのときばかりは|」と、いまも声を詰まらせる。
 金丸座の『鞘當』では、中村梅玉と共演した。「千秋楽の日、梅玉のおじさまと鞘當をやれるのはこれが最後だと思うと緊張してせりふがわからなくなってしまって…。後で謝りに行きましたら笑ってくださいました」
 祖父、七代目芝翫とは数えるほどしか舞台共演はない。だが、「成駒屋としてお行儀よく時間がかかっても階段を一段ずつ上って、最終的に一番上に行くことが大事なんだよ、と。その言葉は、焦った時など思い出すようにしています」
 若い頃からコクーン歌舞伎や平成中村座、中国・北京公演などさまざまな舞台に出演してきた。演じてみたい役は「とめどもなくあります」。
 「僕自身、歌舞伎という 沼 にどっぷりはまっているのかもしれません。でも、歌舞伎って何がすごいのか、時々考えるんですよ。立廻りがかっこいい、踊りが美しい、見得がすごい、音楽がいい、あの役者さんが好き…ご覧になる方や角度によっていろんな 穴     がある。そのどこかにはまっちゃうんでしょうね。 そんな  歌舞伎沼  にはまる人をもっともっと増やしていきたい」
 お客さんに愛してもらえる役者になりたい、という。「そのためには自分をもっと磨かないと」
 凛々しい決意。新しい令和の時代の歌舞伎を作り上げていく花形である。

インタビュー・文/亀岡 典子 撮影/多和田 詩朗



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