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KENSYO vol.102
シテ方観世流 
大槻文藏
BUNZO OTSUKI


大阪のシテ方 初の人間国宝 認定

大槻 文藏(おおつき ぶんぞう)
シテ方観世流。1942年大阪生まれ。大槻秀夫の長男。祖父十三、父および観世寿夫に師事。
'47年「鞍馬天狗」花見で初舞台。'50年「猩々」で初シテ。'89年「卒都婆小町」、'98年「檜垣」、2007年「関寺小町」を披く。また、「刈萱」「鵜羽」「維盛」「敷地物狂」など多くの復曲能、新作能に携わる。'96年松尾芸能賞優秀賞、'98年観世寿夫記念法政大学能楽賞受賞、2000年芸術選奨文部大臣賞ほか受賞多数。'02年紫綬褒章受章。'16年重要無形文化財保持者(各個認定/人間国宝)に認定。

 

 「うれしいと思う半面、私でいいのかなと。おこがましい気持ちもしています」
 今夏、人間国宝の認定を受けることが発表された。大阪のシテ方では初めて。感想を聞く報道陣に答えた第一声は、この人らしく、慎ましく謙虚であった。
 長年、大阪の能楽界を牽引してきた。卓越した技量、行き届いた解釈、舞台姿の品格と類い希な表現力に、すっきりと端正な姿形。実力と花を併せ持つ、現代を代表するスター能楽師のひとりである。
 近年の芸の充実は目覚ましい。能楽師が生涯に一度演じることができればいい、と言われる“三老女”、「檜垣(ひがき)」「姨捨(おばすて)」「関寺小町(せきでらこまち)」を完演。 また、「定家(ていか)」「卒都婆小町(そとばこまち)」「鸚鵡小町(おうむこまち)」など、大曲、難曲を勤めて、気品ある舞台の中に、生と死、老い、愛や罪業という根源的なものを感じさせる。
 「能は、人間の普遍的な問題や深層心理を拡大鏡で見せられる芸術だと思います。だからこそ、技量の上に、演じる能楽師自身の生きざまが問われるのではないでしょうか」
 能を、美術と重なるところがあるという。「私はモネの『睡蓮』という絵が大好きですが、たとえば、モネが睡蓮を描くとき、そこに自身の思いというワンクッションを入れることで本物以上の美を創造することができる。また、目に見えるものの奥に違う世界を感じさせることができるのです。能も同じですね」
 能にとっての「ワンクッション」とは、作者の意図をどこまで深く読み取り、能楽師が自分の思いや経験をそこに織り込んで演じることができるか、ということなのかもしれない。
 大阪を本拠地とする観世流シテ方の家に生まれた。幼いころから、祖父の大槻十三、父・大槻秀夫に師事。「能を見ることも、稽古することも好きでしたね」と懐かしそうに振り返る。
「能の様式も内容も、わからないなりに面白いと思っていたのでしょう」
 青年時代、自分から求めて、当時、能楽界の寵児だった観世寿夫に師事するため上京した。「お舞台の鋼のような強さ、ひとつの舞台を作り上げる緊張感、大きさに憧れました」
 忘れられない寿夫の言葉がある。「能は特殊な芸能だが、能楽師は自分を特別だと思ってはいけない」とー。若き日の文藏は衝撃を受けた。「つまり、社会性のない演劇は、演劇として成り立たない、ということをおっしゃったのだと思います。この言葉は、能楽師として生きて行く上で大切な指針となりました」
 それは、古典だけでなく、新作能や復曲に精力的に取り組んでいる姿にも現れているといえよう。
 復曲では、「道成寺」の原曲とされる「鐘巻」、江戸以来、上演が途絶えていた「敷地物狂(しきじものぐるい)」、観世流で初めて上演した「墨染櫻(すみぞめざくら)」。
新作能では能楽の祖といわれる秦河勝が主人公の「河勝(かわかつ)」…。大変な労力と時間のかかる仕事だが、能の劇構造を探り、能を一から作り上げることで、現代に生きる能を思考し続けているのであろう。
 七月、大槻能楽堂(大阪市)で勤めた復曲能「樒天狗(しきみてんぐ)」は、その凄絶な美しさに、満員の観客が息をのんだ。美貌と信心深さへの一瞬の慢心から天狗につけいる隙を与え、熱湯と熱鉄の塊を飲まされる六条御息所の永遠とも思える苦しみ。文藏の舞台には、雪の樒ヶ原で美女が花を摘むという幻想的な美しさのなかに、人間の業の深さが見事に表現されていた。
 「能というのは大変やっかいなものです。一般の演劇のように脚本家と演出家がいて、長い稽古の間に全員がひとつの方向に向かっていけるというものではない。申し合わせは一度きりですし、そういう緊迫感のなかで本番を迎えなければならない。かといって、何回も合わせたらそれだけ良くなるかというと、そうでもない。瞬発力も必要なときもある。だから、大変やっかいなのです」
 円熟の七十代。自身の芸をさらに極め、後進の育成という重責も担う。また、本拠地、大槻能楽堂の当主として、現代に即した自主公演の企画・主催という仕事もこなす。
 「人間国宝になったからには、どんなときでも一定ラインより上の芸をお見せしなければならない。より完璧を目指していきたいですね」
 十月二十九日には、重要無形文化財認定記念として、大槻能楽堂で、「大槻文藏 裕一の会」を開く。曲は「景清(かげきよ)」。一段と深さを増した芸境を堪能したい。


インタビュー・文/亀岡 典子 撮影/八木 洋一


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