能に魅入られ、能に愛され、能に生きる人である。
「若い頃から“能フェチ”でしたね。いまですか?ますますフェチ度は深くなっているかな」。
髪に白いものがチラチラのぞくようになったが、少年のような笑顔は昔から変わらない。
京都を本拠に活動する観世流シテ方。深い解釈、花のある舞、迫力とともに余韻を感じさせる舞台で、古典から新作能、復曲能まで幅広く活躍している。 いま、この世代でもっともチケットが取りにくい能楽師のひとりと言われている。
昨年、独立三十周年を迎えた。今年は新たなステージの第一歩となる。
「最近、気付きが増えているんですよ」と明かす。
「よく八十歳ぐらいの方が『ようやく能がわかってきた』とおっしゃるでしょ。僕なんかまだまだですけど、自分の稽古をしているときでも、お素人さんのお稽古をしているときでも、能の解説をしているときでも、『あ、こういうことなのかな』と、ハッとわかることがあるんです。私なりに年齢を重ね、感受性が豊かになり、昔見えなかったものが見えてきているからかもしれません」
もうひとつの心境の変化は、無心の境地である。
「どうしてもやり過ぎるんです。でも十年くらい前から、こちらはグッと引いて、いろんなものを削ぎ落としていって、そのなかに、なにかしらの景色を見ていただけるような、そういう考え方になってきました」としみじみ語る。
それは、平成二十七年に亡くなった師、片山幽雪の教えでもあった。中学生の頃から憧れ、生涯、その傍らにいて学び続けた人の言葉が改めて胸に響く。
たとえば、「西行桜(さいぎょうざくら)」。都の桜の名所を讃える「クセ」で、「ある名人は桜の名所をひとつひとつ眺める所作をされましたが、幽雪先生は何もされなかった。ただ、命の時間に向いて歩いていかはったんですね。その方がずっと深かった。老人はだんだん老いていき、夜は次第に明けていく。そして、花はおぼろで散りがけになっていく。そういう人間と自然の時間が重なっていく様子を何もせずに表現された。そんな舞台を拝見すると、能の深さとともに、自分もやってみたいと思うんですよ」
「自分が何十年かやってきてわかったのは、能役者に必要なのは、まず稽古。もちろんセンスや資質もあるかもしれませんが、なにより能が好きだということ。そして素晴らしい師匠ですね」
それは、片山幽雪という師に巡り合えた自身の実感でもあるのだろう。
昨年、三女の梓さんが初面で「小鍛冶(こかじ)」を勤めた。プロの能楽師としての道を歩み始めたのだ。能はまだまだ男性中心の社会。そこに踏み出していく娘を、父として、また能楽界の先輩として、温かく、厳しく見守る。
7月2日、東京・千駄ヶ谷の国立能楽堂で、自主公演「テアトル・ノウ」を行う。東京では初めてという「道成寺」を、「無躙之崩(ひょうしなしのくずし)」の小書きで勤める。
紀州の安珍・清姫伝説をもとに、女性の恋の執心のすさまじさを描いた大曲。何度か演じているが、東京では初めてということもあって、上演を決めた。
能舞台に巨大な鐘が釣られ、前シテの白拍子は小鼓の打音と掛け声に合わせて足を踏み出したり、かかとやつま先を上げ下ろしする。乱拍子といわれる独特の所作だ。やがて白拍子は落下した鐘に飛び入り、そのなかで後シテの鬼女に変わる。異様な緊張感のなかに女の情念が浮かび上がる。
「ただ、鐘入りが美しいとか、乱拍子が鮮やかだとか、即物的な魅力ではなく、女性の執念が、ケレンではなく、見えてこないかなと思っています。それでも、鐘入りはひとつ間違えば大けがをしますから、命がけの覚悟でやることは間違いないですね」
地頭に現在の師の片山九郎右衛門。ワキの僧に宝生欣哉、囃子方に、杉信太朗(笛)、成田達志(小鼓)、亀井広忠(大鼓)、前川光範(太鼓)、能力に野村萬斎ら、ほぼ同年代の実力者が揃った舞台である。
昨秋、京都で行ったテアトル・ノウの公演では老女物の大曲「卒都婆小町(そとわこまち)」に初めて挑んだ。五十代半ばのいま、目指す能はどういう姿なのだろう。
「男女の執心や心の葛藤を深く描いた『定家(ていか)』や『野宮(ののみや)』などはまたやりたいですね。こういうものは能でないと表現できない、精神的な世界だと思うんです。それを、見せようとせず、みずみずしい舞台として作り上げていきたい」
能の未来を照らす爽やかな物腰の中に、能に魅入られた人の凄みが覗いた。
インタビュー・文/亀岡 典子 撮影/後藤 鐵郎
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