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竹本千歳太夫

KENSYO vol.127
竹本 千歳太夫
Chitosedayu  Takemoto




竹本 千歳太夫(たけもと ちとせだゆう)
1959年5月東京生まれ。1978年、人間国宝、四代目竹本越路太夫に 入門。翌年、竹本千歳太夫を名乗り大阪・朝日座で初舞台。2005年、人間国宝、八代目豊竹嶋太夫門下となる。1999年度の芸術選奨文部大臣新人賞、 2016年度の大阪文化祭賞優秀賞、2020年度の国立劇場文楽大賞、2021年度芸術選奨文部科学大臣賞など受賞多数。2022年4月、物語のクライ マックスを語ることが許される「切場語り」に昇格。


思いはただ、「浄瑠璃を次代に正しく伝えること」

 令和四年四月、物語のクライマックスを語る太夫に与えられる称号「切場語り」に昇格した。豊竹咲太夫以来、実に十三年ぶり。待望の新・切場語りの誕生は、コロナ禍のなか文楽に明るい話題をもたらした。
 「毎回、本番前は大きなプレッシャーを感じます。お客さまは私ひとりを見に来てくださっているわけではないのは重々わかっているのですが、それでもやはり切場語りにならせていただいた以上、先頭を走っていないといけないと思うのですよ。お客さまに対してはもちろんですが、後輩に対してもそうあるべきではないかと」
 喜びもあるが、それ以上に重いのは責任。文字通り、文楽の顔のひとりとなり、文楽をけん引する立場にもなった。
 昨秋、大阪の国立文楽劇場で行われた「文楽素浄瑠璃の会」では、本公演でもめったに上演されない「碁太平記白石噺(ごたいへいき しらいしばなし) 逆井村(さかいむら)の段」を勤めた。千歳太夫と同時に切場語りに昇格した豊竹呂太夫、竹本錣太夫も出演、新・切場語り三人の競演としても注目された公演であった。
 「お二人の語りが気にならないといったら嘘になります。でもそれは、ああ、こういうふうに語られるのか、自分とはこういうところが違うのかという意味なんです。他の方が語られるのをうかがっていろいろ考えるのも勉強になります」
 文楽に魅了されたのは子供の頃というから驚きだ。東京の一般家庭に生まれ、芝居好きの伯母の影響で歌舞伎や文楽を見に行くようになった。なかでも虜になったのが文楽の義太夫節。昔の名人のレコードを買い集め、繰り返し聞いていたという。
 「いまも鮮烈に覚えているのは、中学二年生のとき、初めて(四代竹本)越路太夫師匠が語られた『玉藻前曦袂(たまものまえあさひのたもと)』を生で聞いたときです。義太夫節というのはすごい世界だなあと感激しました」
 縁あって憧れの越路太夫に入門。当時、義太夫節が四六時中、頭から離れない若い太夫がいると噂になった。
 「実際に二十四時間、浄瑠璃が頭から離れないといったら嘘になりますが、電車に乗っているときもテレビを見ているときも、気がつくと浄瑠璃のことを考えていたというのは本当です」と明かし、「今もそうですね」と苦笑した。
 平成十一年度の芸術選奨文部科学大臣新人賞に続き、令和三年度の同大臣賞も受賞した。時代物から世話物まで芸域は幅広く、つねに全身全霊、入魂の語りで義太夫節の神髄に迫る。
 その贈呈式でのこと。千歳太夫は割とカジュアルな上着姿で出席した。伝統芸能の人なら紋付袴の正装で臨むと思っていたので少々驚いた。贈呈式直後、顔を合わすと、少し照れながら「このジャケットね、師匠の形見なんですよ」と、こっそり教えてくれた。
 一般家庭から文楽の世界に飛び込んだ若者を一人前の太夫に育ててくれた師匠への恩。千歳太夫は晴れの席に生涯の感謝の思いを込めて師匠に「同席」してもらいたかったのであろう。
 「師匠への感謝の思いは年々深くなっていきます」
 義太夫節は人間の情を描く芸能といわれる。ならば千歳太夫にはその情が存分に備わっている。だからこそ高い技量に加え、人の心に深く染み入る浄瑠璃を語ることができるのである。
 令和五年の一月三日に大阪・国立文楽劇場で幕を開ける初春文楽公演では、師匠が得意とした「良弁杉由来(ろうべんすぎのゆらい)・二月堂(にがつどう)の段」を語る。越路太夫の師で、文楽史にその名を残す名人、豊竹山城少掾が引退披露で勤めた曲でもある。
 東大寺の良弁僧正と幼い頃、生き別れになっていた母、渚の方の三十年ぶりの奇跡の再会を描く物語。
 「なにより大切なのは良弁僧正の品ですね。身分は高いけれど若いということを忘れずに。また、曲自体の重みというのもあります。お正月から気持ちが清らかになっていただけるよう勤めたいですね」
 いまも毎公演、床に上がるときは「何とか(師匠に)近づくことができますように」と祈る。「迷ったら師匠の音源を聞かせていただきます。昔、師匠の白湯汲みをさせていただいているとき、毎日聞かせていただいていましたから自分の体に苔みたいについている。それを思い出す作業をしているんです」
 思いはただ、「浄瑠璃を次代に正しく伝えること」。それだけだ。「当たり前すぎるんですけど、その中にある核みたいなものを伝えていきたい。義太夫節で語られていることは嘘なんです。物語は嘘なんですが、真実に触れる部分が絶対にあるという確信。それが浄瑠璃の力なんじゃないでしょうか」
 それこそが、千歳太夫の語りである。


インタビュー・文/亀岡 典子
撮影/後藤  鐵郎




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