百八十センチのスラリとした長身、アイドルといってもいいような甘い顔立ちに洗練された紺のスーツがよく似合う。野村裕基、二十三歳。しかし彼は生まれながらに宿命といってもいいようなものを背負っているのではないだろうか。
和泉流狂言方の名家の生まれ。曽祖父の六世野村万蔵さんも祖父の野村万作さんも人間国宝。父は狂言から現代劇、映像までジャンルを超えて縦横無尽に活躍する野村萬斎さん。裕基さんも生まれたときから狂言師になることが運命づけられていた。
だが当人は、「本当に自然に狂言師になっていたという感じですね。明確にいつ決意した、ということはなかったように思います」と首をかしげる。
「ただ、高校生のときから、『三番叟』『奈須与市語』『釣狐』と、狂言師の修業のプロセスを段階を踏んで積んできているな、というのは意識していました」
その「三番叟」、平成二十九年一月、東京の国立能楽堂で披いた舞台は強い印象を残した。当時十七歳。美しく躍動的な舞。力強く跳躍し、大地をならすように足拍子を踏み、鈴を振る。その舞台は、彼が狂言の家の跡継であることを立派に証明したものであり、誰もが能楽界の新しいスターの誕生を祝福したのである。
あれから六年。順風満帆に成長してきたように見える裕基さんにとって、昨年披いた『釣狐』での祖父の稽古が大きな意識改革をもたらしたと明かす。
「『釣狐といえば万作』といわれるほどの曲ですよね。それほどに祖父がこの曲に魅了され、研究し尽くしてきたものを、去年の猛暑の夏、祖父は老体に鞭打って、僕に惜しみなく伝授してくださいました。しかも、最近の円熟した『釣狐』ではなく、二十代の若い狂言師が勤める生き生きした『釣狐』を教えてくださった。そのとき改めて、自分の使命というか、やらなければならないことを思い知りました」
幼い頃から祖父や父は師。家庭内でも師弟関係だった。「特に父とは、厳しいという関係以外で接したことがなかった」と振り返る。家の中でもずっと敬語。「ですから普通の父親像とはまったく違っていたんです。友達が、お父さんに、友人みたいな口のききかたをしているのを聞いて驚きましたから」。
今年三月には萬斎さんの演出でシェークスピアの「ハムレット」に挑んだ。かつて父も演じた大役である。初めての翻訳劇。セリフは膨大で、狂言のように伝承された型や演技もない。
「狂言の修業は、道路があって標識があって、そこを車でどう運転するか、という感じですよね。ところが、『ハムレット』は全然違った。道路もなく、決められたルールもないまま車で走っている感覚でした。一言のせりふをどう表現したらいいのか、自分で考えなければならない。当初はとまどいばかりでした」
だが、稽古を重ねるにつれ、次第に役作りの面白さを見い出し、楽しさを感じるまでになった。
「なるほど、狂言の話術をこう使えばいいのか、とか、発見もありました」
もうひとつ、共演の岡本圭人さんや藤間爽子さんらほぼ同世代の若い俳優の存在も大きかった。岡本さんは父が舞台俳優の実力派、岡本健一さん、爽子さんは祖母が日本舞踊家で女優だった藤間紫さん。
「みんなそれぞれに背負うものがあって、悩める若者というのが、今回の『ハムレット』のテーマにも重なったように思えました」
さまざまな経験をしながら、いま感じているのは「父は演出家的気質で創造するタイプの人。僕は表現する側の人間かな」ということ。
インタビューの当日は京都の金剛能楽堂で、「能狂言 『鬼滅の刃』」が上演された。世界中で人気の漫画をもとに作られた新作で、昨年、東京で初演された舞台は、能楽界だけでなく社会的なニュースともなった。萬斎さんが演出を担い、裕基さんも我妻善逸など二役で出演。能楽堂の見所には、普段、能や狂言を見に来ないような若者の姿も多く見られ、古典芸能の新たな地平を拓いた作品ともなった。
「古典の現場とは違って、僕たちも手鬼のフォーメーションなどいろんなアイデアを出させていただきました。もちろん、父が全体的な演出をしているのですが、若い僕たちの意見も取り入れてくれました」。うれしそうな笑顔を見せた。
「いまはいろんなことを吸収する時期だと思っています。次のステップにいくための準備期間かな」
さて、次なるステップとは何だろう。きっと、新たな裕基像を見せてくれるに違いない。
インタビュー・文/亀岡 典子 撮影/墫 怜治
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