若い人の可能性は無限だ。二十六歳の花形、中村虎之介さんの舞台を見るとき、その思いを強くする。
昨年十二月、歌舞伎座で上演された『天守物語』。泉鏡花が姫路城に伝わる伝説をもとに、魔界の女主人、富姫と人間の若者、図書之助の禁じられた恋を幻想的に描いた作品で、虎之介さんは図書之助を演じた。これが実に気高く、汚れのない若者の姿を爽やかなせりふ回しで描いてみせたのだ。その七か月前、姫路城三の丸広場内に建てられた平成中村座で初役で勤めていたとはいえ、今回は歌舞伎の本丸、歌舞伎座。演出は歌舞伎界の至宝、坂東玉三郎さん、富姫は中村七之助さんという、これ以上ない大舞台での抜擢だったが、周囲の期待に応え、図書之助像に新たな命を吹き込んだのである。
「間違いなく自分の人生のターニングポイントになるお役でした。玉三郎のおじさまにご指導を受けたのも平成中村座の初演のときが初めてでした」と、かみしめるように振り返る。
稽古が始まる前の2か月間で図書之助のせりふを「死ぬ気で完璧に覚えた」という。ところが稽古初日、虎之介さんが暗記してきたせりふをしゃべると、玉三郎さんは「よく覚えてきました。とりあえず全部忘れてください。あなたは先の展開が読めるんですね」と言ったという。つまり相手のせりふを聞いてからその上で自分のせりふを言いなさい、ということであろう。
「玉三郎のおじさまから教えていただいたのはそれだけではありません。せりふの奥にある意味や内容の掘り下げ方、せりふにどのようにして感情を入れればいいのか、おじさまが求める理想に近づきたくて、それが自分の目標になりました」
自身の中にも理想の図書之助像があった。平成中村座公演の際には五十八キロだった体重を、歌舞伎座までに五十一キロにまで落とし、外見も含めて役作りに励んだ。
祖父は上方歌舞伎の再興に命を燃やした人間国宝、四代目坂田藤十郎さん、父は江戸歌舞伎から上方歌舞伎まで幅広く活躍する中村扇雀さん。上方歌舞伎の名門の家系だが、東京で生まれ育った虎之介さんは、父が十八代目中村勘三郎さんと一座することが多かったこともあり、上方歌舞伎というより、中村屋の公演に参加することが多かった。しかも子供の頃は歌舞伎俳優になる気もなかった。
運命の転機は平成二十三年十二月。初めて出演した平成中村座で、十八代目勘三郎さんが松王丸を演じた『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ) 寺子屋』を見たときだった。虎之介さんも『車引』の杉王丸で出演、出番が終わって楽屋で食事をしていると、いきなり勘三郎さんが現れ、「なに、茶、飲んでんだよ。俺の『寺子屋』見ろよ」と怒られた。
慌てて舞台袖に飛んでいき、勘三郎さんの舞台を見た。
「驚きました。客席が『寺子屋』を見て号泣しているんです。あんな光景初めてでした」
翌年5月、平成中村座のロングラン公演の千穐楽。勘三郎さんは『め組の喧嘩』の辰五郎などを勤めていた。終演後、勘三郎さんにスポットライトが当たり客席は総立ちになった。
「そのとき思ったんです。この人になら人生、捧げられるって。勘三郎のおじさまが作り上げてこられた環境や空間、役者仲間、スタッフ、お客さま。役者としてだけでなく人間としても憧れましたし、いまもずっと憧れ続けています」
それが歌舞伎にしっかり向き合うきっかけとなった。
「お客さまが感動して楽しんでいただける役者になること。お客さまに感動していただけるお芝居を作り上げるために、自分は何ができるかをいつも考えていたい。役者としては、唯一無二というのが僕の究極のテーマです」
近年、関西の歌舞伎公演に参加する機会が増えてきた。昨年七月は大阪松竹座で『吉例寿曽我(きちれいことぶきそが)』の八幡三郎などを演じ、今年二月は同じく松竹座で『連獅子』の仔獅子の精を勤め、その清新な演技や踊りが注目を浴びた。『曽根崎心中』の手代茂兵衛、『新口村(にのくちむら)』の万歳など上方歌舞伎への出演も増えている。
「いつかは上方歌舞伎にきちんと取り組まなければならない日が来ると思っています。いまはタイミングを待っている時期かもしれません。祖父が亡くなってから映像を見てみると、祖父がどれほど偉大だったか改めて感じます。いつかは、『封印切』や『曽根崎心中』など祖父が大切にしていた作品に取り組んでいきたいですね」
そんな日が来るのが待ち遠しい。
インタビュー・文/亀岡 典子 撮影/後藤 鐵郎
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