今年、入門三十年。五十歳という節目の年を迎えた。入門してすぐの頃の清々しい瞳の若者は、いまも当時の雰囲気はそのままながら、文楽三味線の中堅としての品格を備え、本公演でも重要な段を任されるまでになった。
「確かに、数字的には節目、なんでしょうが、自分自身、成長しているという手応えがあまりないんですよね」。言葉を一つ一つ絞り出すように語る。
「もちろん、うちの師匠(鶴澤清治)をはじめ師匠方、先輩方が、仕込んでくださったものを信じていますし、(竹本)住太夫師匠、(竹本)源太夫師匠、(豊竹)嶋太夫師匠、(鶴澤)寛治師匠らお師匠さん方に教えていただいたことも少しずつ自分の中で混ざって沈殿していく感覚もあるんです。でも自力でつかんだものはどれほどあるのだろうか、と考え込んでしまいます」
義太夫という芸の奥深さに圧倒される思いなのだろうか。だが、その偽りのない言葉のなかに、芸に対する真摯な姿勢と誠実さが見える。それがこの人の芸を支えるものの一つになっているのかもしれない。
人形浄瑠璃の地芝居が盛んな長野県飯田市の出身。少年時代から地元の「今田人形座」で人形遣いをしていた。高校卒業後、文楽の人形遣いになろうと、大阪に出てきて国立劇場文楽研修生に。そこで、目を見開かされる思いがしたのが文楽三味線の魂を揺るがすような音色だった。進路を三味線に変更。のちに人間国宝になる鶴澤清治に入門した。
十年ほど前、大阪市が次代の上方文化を担う人材に贈る「咲くやこの花賞」を受賞。その際のインタビュー取材で驚かされたことがあった。
それは、入門時からずっと、三味線の譜面を手書きで写す作業を続けていて、公演中は舞台袖や簾内から演奏を聞き、舞台全体で起こっていることを、自身の体に覚え込ませているという話であった。だからこそ、平成二十六年、国立文楽劇場「女殺油地獄・豊島屋油店(てしまやあぶらみせ)の段」で、鶴澤燕三が休演した際の代役に急遽、白羽の矢が立ったのであろう。太夫はのちに人間国宝になる切場語りのベテラン、豊竹咲太夫。清志郎は初役。当時、「そのときの演奏で、いままでの世界とは次元の違う世界が見えた」と語ってくれたが、そういう一つ一つの貴重な経験と人知れぬ不断の努力が清志郎のいまの三味線を作っているのではないだろうか。
芸風として、時代物が得意といわれる。素浄瑠璃の会で勤めた「熊谷陣屋(くまがいじんや)」や「逆櫓(さかろ)」が印象深く、特に「逆櫓」では師匠の清治から「よく体にしみこんでいる」という言葉もいただいた。半面、やわらかな音色が必要な世話物に苦手意識がある。ところがあるとき、師匠から「弱点があるほうが、かえってそれが強味になることもある」と言われた。
「励ますなんて、甘いものじゃなく、自分が得意だと思うものに酔いしれてしまうと、薄いものになりがち、冷静な目を持ちなさいということなのだと思います。弱者が必死に勤める演奏が、作品上の弱点ばかりの人間に映ることもあるのかもしれない。僕たちがやっているのは、自分を見せることではなく、作品のキャラクターに寄り添うこと。得意げにやっていると離れてしまうということを師匠はおっしゃったのだと思います」
文楽三味線の芸の本質は「気迫」ときっぱり。
「師匠には、上手い下手でなく、下手でもいいから生きた芸をやりなさいと言われました。僕たちがいま、音源が残っているような師匠方に唯一、勝てるものがあるとすれば、それは僕たちがいま生きているということ。血肉が通った三味線を弾けるという、その一点しかないのではないでしょうか。技術的な上手さも音質もすべて劣るけれども、『なんかすごいテンションでくるなあ、このおっちゃんら』と、子供が聴いても感じられるところで戦うしかない。それこそが義太夫の大切な核ではないかと思っています」
十一月二日に開幕する大阪・国立文楽劇場の11月文楽公演では「靭猿(うつぼざる)」の芯を勤める。
狂言の大曲をもとにした舞踊劇。大名が、猿曳が連れている猿の皮で、弓矢の矢を入れる「靭」を作りたいと思い、猿を引き渡すよう、猿曳の男に命じる。 猿曳は涙ながらに猿を手にかけようとするのだが─という展開。
清志郎は、五人が並ぶ三味線のいわばリーダー。自分より下の世代四人を率いる立場だ。
「三味線弾きは一般に目立ちにくいと言われがちですが、こういう音楽的な演目に関しては三味線が軸にならなければと思っています」
入門した頃は、芯を勤める奏者から一番遠い端っこにいた。キャリアを積むに連れて少しずつ真ん中に移動、三枚目から二枚目になって、最近は芯を勤めることも多くなった。
「昔、僕が、芯を勤められる師匠や先輩方の横に座らわせていただいていたとき、ロープに引かれながら水泳をしているような、自分の力以上のものを引き出していただいたという覚えがあります。そこで知った感覚を、何としても後輩たちに伝えなければならない。技術でごまかせない、寒気がするような気迫やテンションという、録音では汲み取れないものを伝えていきたい。きれいにまとめなくていいんだなということを覚えてほしいですね」
一日、一万歩を歩く。大阪公演中、日本橋の文楽劇場から北浜まで歩くことを心掛けている。昔は長距離ランナーだったそうで、「地面に足や体をつけていることが好きなんです」とのこと。
足で地を踏みしめながら一歩一歩、歩む。それが清志郎の稽古のやり方であろうし、稽古の努力を信じているのであろう。
「いまは自分の中にある怒りみたいなものを吐き出すネガティブなエネルギーで三味線を弾いているような気がします。三味線を弾いていないと、どうかなってしまいそうな」。そう言ってから、ふっと気分を変えたように、少年のようなまっすぐな目で語った。
「三味線を弾くことが好きになれるよう頑張っていきます」
インタビュー・文/亀岡 典子 撮影/後藤 鐵郎
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