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KENSYO vol.28
観世流シテ方26世宗家

観世 清和
KANZE KIYOKAZU
能楽は世界に通じる
観世 清和(かんぜ きよかず)
観世流シテ方。'59年生まれ。26世観世宗家。25世観世左近の長男。父に師事し、'64年「鞍馬天狗」花見で初舞台を踏む。(社)観世会理事長、(社)観世文庫理事長、(社)日本能楽会常務理事。'90年に26世観世宗家を継承。'95年には「松浦佐用姫」「鵜羽」を復曲。平成7年度芸術選奨文部大臣新人賞受賞。'83年のフランスをはじめ、米国、インド、中国など海外公演にも多数参加。

 能楽は世界に通じる…。
 観世清和さん(観世流シテ方二十六世宗家)の話を聞いていて改めて感じた。
 昨年、十一月から十二月にかけてパリ公演を行った。フランスにおける「日本年」で、「秋の演劇祭」に招かれたのだが、その際、リクエストがあった。
 海外公演は、知名度の高い「高砂」や「羽衣」、怪物退治物で蜘蛛の投げる糸に特徴のある「土蜘蛛」などが定番。だが、例えば、観世会の定期能でメーンとなるような曲を上演して欲しい、と要望された。
 「フランスは文化に対してどん欲に吸収しようという意識が強いお国柄で、能もかなり昔から編成団を組んで行かれている。これまでに見られたお客様もいらっしゃる」という歴史的背景もある。
 番組は「見た目にも華やかだけれども、内面的なものもご紹介できたら」と、「松風」「葵上」「融」「鉄輪」が組まれた。
 公演は九回。劇場は、かつて屠殺場だった建物を改装した多目的文化ホール。間仕切りをして四百五十席の小劇場空間が作られた。
 まず驚いたのは、現地の木工職人が製作した能舞台。日本でも舞台に置かれた所作台の上はゴミだらけ。一曲舞うと足袋の裏が真っ黒になるが、それが全く汚れなかった。
 「土足で上がるなとかメンテナンスを徹底されたんでしょうね。有り難かった」
 観客の反応も「すっばらしかった」と力がこもる。開幕前に笛や大鼓などの囃子方が楽器の最終調整をかねて演奏する「お調べ」が始まる前から客席は静まり返っていた。
 「しーっ、というのがなかった。何度か海外で公演していますが、あんな静寂は、はじめてです」と、感激しきり。
 曲の内容は字幕で解説した。翻訳は、四年間、日本に留学して古典「伊勢物語」を学んだフランス人の女性研究家が担当した。それにしても、観客は能や謡曲を習っているわけでもない。たまにしか能にふれる機会を持たない彼らの真摯な気持ちに「答えたい」という思いにかりたてられた。
 熱演の成果か、連日満席。チケットを問い合わせる電話が相次ぎ、一万数件にものぼった。客席数を倍にしていればという気もするが、「能楽は千人も、二千人も入れるものじゃないという信念を主催者が持ってやって下さった。とてもいい環境で出来ました」と、満足そうな笑みをみせた。
 能楽は素養がないと見ても分からない、そんな先入観を持つ人も少なくないが、パリでの反響は「手放しで、気軽にみて頂くのが一番」という持論を裏付けた。国内でも野外の気楽さからたまたま行った薪能をきっかけに、能の世界に魅せられたファンもいる。
 「能がブームだと言ってても、そこにあぐらをかいていたらだめです。これからの時代は若い人にも、もっとアピールすることを考えないといけない」
 広く一般に、どうやって伝えるか。これは古典芸能に携わる人が抱える共通の課題でもある。互いのステージをみに行くなど親交のあるピアニストの中村紘子さんと話していて「生きている世界が似ているな」と感じたことがあったそうだ。
 「クラシックでもショパンやドビュッシーなどポピュラーな曲は何度となく演奏されている。それを毎回、いかに魅力あるものにできるかがポイントらしいんですよね」
 能楽は「松風」と「熊野」の上演回数が多い。昔から「熊野・松風米のめし」といわれる人気曲。
 「お客さんも喜ばれるし、やる方もやればやるほど能の深さを感じられる曲だから現代でもよく上演している」。それが最近、頭打ちになってるという。
 面とか装束の取り合わせによってイメージを変えることも出来る。だが、もっと積極的な方法として、この二曲だけでなく演出の見直しや、世阿弥本の復曲、新作発表もさかんに行われるようになった。
 「伝統を守ることは大切です。だけど、かたくなになっちゃいけない。節度もいるが、常に、時代にあってるかどうか疑問を持って試演することも必要です」と、若手演者の勉強会も支援している。
 ただし「基本が出来たうえでのこと」と条件がつく。「見直しとか復曲をすると、作品が、どんな変遷をたどって今の状態になったか、よくわかる。見聞を広めるという意味ではどんどんやって欲しい。でも、中途半端なままでやっても意味がない」と、手厳しい。
 一九九〇年に父親の二十五世観世左近さんが急逝し、三十一歳で二十六世を継承した。プロの能楽師が千人を越える能楽界最大流派のトップとして、普及活動に力を入れながら、年間、百番以上の舞台を務めている。
 「もう少し、じっくり能に取り組みたい」というのが、今の望み。
 芸に厳しく風格さえ漂う中に、さわやかな素顔が垣間見えた。

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インタビュー・文/前田 みつ恵    撮影/八木 洋一
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