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KENSYO vol.29
藤田流笛方11世宗家

藤田 六郎兵衛
FUJITA ROKUROBYOUE
和洋に通じる多才人

藤田六郎兵衛(ふじたろくろびょうえ)
'53年名古屋市に生まれる。'60年一管「中之舞」にて初舞台。'80年藤田流11世家元となる。'82年家名「六郎兵衛」を襲名。'85年名古屋市芸術奨励賞受賞。'90年国立劇場能楽三役養成研修所主任講師。'91年重要無形文化財総合指定保持者。名古屋青年会議所ターグ賞受賞。パリ公演(ミューゼ・ギメ、ユネスコパリ本部にて)。'92年名古屋芸術祭賞受賞。「花傳の會」主宰。'97年中部日本放送番組審議委員。社団法人 能楽協会理事。ポーランド日本庭園オープニングの構成・演出・演奏。万博誘致、最後のプレゼンテーションでモナコにて演奏。

 笛もまたひとつの言葉であろうか。
 お会いして思った。張りのある美声と明瞭な語り口に日常の言葉をだいじにする姿勢をうかがった。笛を拝聴しあらためて笛は抽象的なもしくは詩的な言葉であると確信した。この世にある者ない者が一体となり織り成す幽玄の世界。六郎兵衛さんの笛は物語の行間をふちどる魂のながれのように響いていた。
 ココちゃん、と呼ばれて育った。
 本名の昭彦の幼い呼び方だったようだ。母が女の子のようなきれいな洋服を着せ、それがよく似合う愛らしい子どもだった。先代十代家元の祖父母を父母として育ち可愛がられる一方で次代を継ぐべく行儀を仕込まれ稽古は四歳から始まる。先代の稽古はきびしかったが笛の音色で「具合いでも悪いのか」と体調を見てとってくれるやさしい父でもあった。
 笛方としての初舞台は五歳。昭和三四年九月二七日熱田神宮能楽殿での先々代清兵衛三十三回忌追善能であった。前夜折からの台風で稽古場の雨戸が飛ばぬよう女たちが守り男たちは明日の舞台に備え早々に就寝という芸の家であった。台風一過雲一つない青空のもとで六郎兵衛さんは『中之舞』を演奏。初舞台の思い出は伊勢湾台風の爪痕のいたみとともにある。初舞台を無事勤めたあとは異例ともいえる速さで芸歴のレベルを示す大曲を披く。九歳の『鷺乱』から『猩々』『翁』『望月』『道成寺』『清経・恋之音取』(一子相伝)と成人までに初演を果たし以降も『卒都婆小町』『姨捨』と続く。
 指のケガなどを避け幼稚園へは行かず小、中、高校も舞台に多忙で修学旅行というものには一度も行けなかった。先代の「これからの時代、和洋の音楽に親しむべし」の方針で私立同朋高校音楽科の声楽科へ入学。舞台で笛の演奏、学校では歌のレッスンの日々となる。人一倍シャイで人前で歌うはずかしさを懸命に克服。ついで名古屋音楽短期大学(現名古屋音楽大学)に新入生中ただ一人の男子で入学する。歌う面白さに目覚め積極的にレッスンに励み、他の教室も見学する熱心さで首席で卒業。その後五年間、母校の日本音楽研究室でオペラの授業を手伝い、また学生に能管をも教える。モーツァルトの『フィガロの結婚』のフィガロ、『魔笛』のパパゲーノを艶のあるバリトンで歌い、そして能舞台を勤める六郎兵衛さんはまさに現代を生きる笛方といえよう。六郎兵衛さんは、発声は言葉を明瞭に伝えるものでなければならない事や古い物語も「今」というリアルタイムで伝えなければならない事、あいまいではなくこれしかないという表現の極致を見つめる事、などなど和洋共通の音楽哲学を確立していった。そこには常に見る人聴く人への深いまなざしがある。
 先代が不治の病に倒れ逝くまでの三週間、六郎兵衛さんは、哀しみを突き抜けた平常心で父の代わりの舞台を完璧に勤め楽屋でも笑顔で通した。それこそが父が教えた舞台人の精神であった。先代亡き後その舞台の勤め書き(舞台控え)に、「今日、昭彦、道成寺披く。上出来なり。」とあたかも父から息子への手紙の追伸のような文を発見し泣いた。
 昭和五五年、六郎兵衛さんは藤田流十一世家元となり、二年後の五七年家名の六郎兵衛を襲名する。二十九歳であった。
 藤田流初代家元清兵衛は兵庫県出石の人。幼少から笛を嗜み武士にあるまじき事と周りが案じるのを、叔父の臨済宗名僧の沢庵漬けを発明したといわれる沢庵和尚の「一芸に優れる事はきっと人々に歓びをもたらすであろう」の一言で笛の道が開けた。江戸時代初期である。清兵衛は京都近衛関白信尋に仕え、のちに尾張徳川家初代義直公に仕える。以後藤田家は累々と笛方の伝統を守り続けてきた。
 六郎兵衛さんは代々五百年近く伝えられてきた能管に日々息を入れ、多くの人々との出会いを夢見て、真摯なメッセージを呼びかける。初代が活躍した名古屋城での薪能、セントラルパーク薪能の企画・演出を手がける。街のざわめきの中や地下鉄入り口でふと足をとめ聴きいる人。いつしか魅せられて舞台を見つめる人。知らないから出会う楽しさ、その手ごたえは確かであった。ミュージカルで主役として歌い、加藤登紀子さんとのジョイント、ジャズとのセッション、クラッシックとも共演、外国公演。枚挙に暇ないさまざまなジャンルとのコラボレーションを自ら創造していく。
 乱世ともいわれる現代。しかし、六郎兵衛さんは希望を失わない。三間四方の空間で四十年鍛えられてきた芸は、戦争戦禍を潜り抜け駆け登ってきた家の歴史を背負っている。
 八月『大鼓五流秘曲の会』、来春三月まで毎月行われる『能で観る平家物語』(いずれも名古屋能楽堂)、狂言方茂山千之丞さんらとの『室町歌謡組曲』CD吹き込みにと、六郎兵衛さんの夢の形はまだまだ続く。


インタビュー・文/ひらの りょうこ   撮影/八木洋一

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