KENSYO>能狂言インタビュー バックナンバー

KENSYO vol.30
観世流シテ方
梅若 六郎
ROKURO UMEWAKA
攻めの能
−常に危機感をもち続けて−

梅若 六郎(うめわか ろくろう)
観世流シテ方。'48年生まれ。55世梅若六郎の次男。'51年「鞍馬天狗」子方にて初舞台。初シテは'54年「猩々」。以後「鷺」「翁」等の大曲を披く。「大般若」「治親」「生贄」等の廃絶された能の復曲や、新作能の上演、海外公演にも積極的に携わる。'94年読売演劇大賞演出家部門で選考委員特別賞、芸術選奨文部大臣新人賞、大阪文化祭賞、'96年観世寿夫記念法政大学能楽賞などを受賞。著書に「55世・梅若六郎」「梅若能面百姿」。(財)梅若会理事長。

 懐の深さを感じさせる。とにかく存在感がある。人気、実力ともに現代を代表する能楽師。廃絶された能の復曲や新作能の上演にも積極的に取り組んでいる。
 現代性を求めて?
「理屈をつければそうなんですけどね。自分の中の芸の欲求。何かをしたい、やりたいという気持ち。そこからの出発ですね」
 復曲のきっかけは現行曲の「谷行」だったという。師の山伏一行の修行に加わった少年が、途中で病気になり、谷へ投げ落とされ命を絶つという山伏の法「谷行」が行われる。師弟の情愛の嘆きに現れた役行者が伎楽鬼神を呼び出して助け出す。
 観世流では、後半の役行者は出てこない。
「つじつまが合わないんですけれど、おかまいなしにやるのも能で、そこが面白かったりする。その形を残しておきたかった」と、台本だけ残っていた番外曲「大般若」を一九八三年に復活させた。
 この曲を選んだのは、所蔵の面「深沙」が「大般若」に使われていたのではないかと言われていたからだという。
 流沙川に住む深沙大王が大般若経を求めて砂漠を渡る三蔵法師を助ける物語。見た目の面白さや舞台上の華やかな動きを中心にした風流能。復曲では、前ヅレの里の男を出さず、後ヅレの天女を一人から二人にした。
 「復曲といっても台本があるだけで新曲に近い。節付や作舞などをやっていくうちに、一から作る喜びが沸いてきた」と同時に、二百番ある現行曲の中でも能の面白さではない具合の悪さが「ものすごく」目につき出し、現行曲の見直しを始めた。
 「廃絶された原因は、その時代と折り合いが悪くて消えていったものがほとんど。名曲になりうるような曲も埋もれている。今の時代に、いかに受け入れられるか。僕らから受け入れられる状況を作っていかないといけない」という。「攻めの六郎」と呼ばれるゆえんでもある。
 「守ることも大事ですが、伝統芸能になったら、やめた方がいい。まず伝承です。僕も十七、八歳までは能の基本的な動作や精神を厳しく教えられたが、あとは自分で個性を生かしていく。それと同じ」と、挑戦は続く。
 舞台生活四十五周年を迎えた昨年は、「能の新たな可能性を探る試み」として、音楽専用の東京・サントリーホールで新作能「伽羅沙―細川ガラシャ―」を上演した。「キリスト教の能」に興味を持ち、パイプオルガンを使って教会のミサ的な能になった。
 今年は五月に成田山新勝寺で披露した新作能「空海」を、十月二十四日に同じホールで舞う。
 弘法大師を主人公に、密教の神秘と官能、空海という巨人の心の宇宙を描く。入定後の大師が孔雀明王とともに精神を語り、法によって得た陶酔と永遠を説く。
 新しいジャンルとの共演も目的の一つ。本職の僧侶による声明と雅楽の笙を取り入れた。
 「声明は謡のもとなので合うと思いましたが予想以上で、ゾクゾクっと鳥肌が立ちました。でも、もっと違和感があった方が面白いとも言えますね。次回どのように(演出を)変えますか、期待して下さい。」
 そして、劇場やホールでの上演は装束にも工夫がいる。照明も計算に入れないといけない。歌舞伎や舞踊などの衣装は、近くで見るより照明の当たる舞台上の方が鮮やかで豪華に見える。「能装束は江戸初期や中期の物がほとんど。照明が当たると美しくなくなる時がある」という。史実に基づくと僧は茶色の水衣だが、地味なので緋色を考えている。
 面は創作面。面を打ったのは専門家ではない。最近は素人で面をうつ人が多くなり、レベルも大変上がっている。
「能面は演じるなかで表情が変わって見えてくるものですから、舞台で使わないと面の出来、不出来は分からない」と。新勝寺で使った成果は、若い空海の面はよくできていたが、前半の面は生々しかったので手直しをすることになった。
 能舞台での面と装束の役割は大きい。「舞台げいこもほかの人は紋服がほとんどですが、僕は装束をつけます。例えば、透明感のある曲の時は淡い衣装でしたり、面とのバランスも考えないといけない。第三者の意見も聞きます」。それぞれの家の演出で、装束などの取り合わせも決まっているが、梅若さんは妥協しない。
 「能は長い間に洗練されてきました。ですから簡単に完成度の高いものが表現できるとは考えていませんが、だからこそ一回一回が重要なのです。これ以上はないという、ぎりぎりの所で演じていかないと」。能の向上は、見所(客席)の目との共同作業。目は厳しいほどいい、とも言った。
 今、能は盛ん。能楽堂で若い人を見かけるのもまれではない。「だからこそ、危機感を持ちながら演じた方がいい」。気迫が込められた。

インタビュー・文/前田 みつ恵   撮影/八木 洋一

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