KENSYO>能狂言インタビュー バックナンバー
KENSYO vol.32
大蔵流狂言師
茂山七五三
SHIME SHIGEYAMA

家族が原点。
−充実の時を迎えた
京の狂言師−
茂山七五三(しげやま しめ)
大蔵流狂言師。'47年生まれ。 人間国宝4世茂山千作の次男。父及び祖父故3世茂山千作に師事。 '95年2世七五三を襲名。 多くの海外公演に参加する他、新作狂言にも多数出演。'93年京都府文化奨励賞受賞。 「花形狂言会」同人。

 茂山七五三さん40歳の時であった。15年後、息子たちが『釣狐』を披くとして、100パーセント教えてやれる年齢を考えると今しかない。七五三さんは18年間勤めあげた銀行員を辞め狂言一本でいく決心をした。子息の宗彦さん、逸平さんの親として師としての熱い決意であった。七五三さんはまっすぐな熱血の人である。剣道四段、居合三段、自動車はA級ライセンス保持。少年時代からのスポーツは、今なお強靭な精神に息づいている。
 本名眞吾さん。昭和22年、現・四世千作さん(人間国宝)の次男として生まれる。代々の慣わしどおり2歳頃から祖父(三世千作さん)に狂言を教わる。祖父は、仏壇に太長い線香を立て消えるまで念を入れて稽古を付けてくれた。線香が消えるにはじっくり40分はかかった。小学校時代、日が暮れるまで御所や鴨川、寺の境内で、年上、年下の子どもらと”戦争ごっこ“などして遊び、いつしかガキ大将に。兄(現・十三世千五郎氏)の代理の喧嘩で果敢に戦ったりもした。初舞台は四歳で『業平餅』。9歳の時、『鶴亀』の難しい台詞を憶えたのに、「吹く風枝を鳴らさぶ」のあたりではたと言葉が出なくなった。幕入りするやいなや父の手があがり頬が鳴った。今度は間違えぬようにやろう。子ども心に父へのすまなさに痛み入りながら誓った。その教訓は今も、一つ一つ舞台をたいせつにする姿勢に生きている。
   一方、近くの道場からのヤットゥ!の声を聞き剣道に憧れた。高校生になり本格的に道場へ通い剣道部で活動する。発声やすり足、正しい姿勢は狂言に役立ったが祖母や母にはケガの心配をさせた。手のマメがつぶれて箸も持てなくなるほど熱心に稽古する。そのかいあって予選を通過して、いよいよ大会出場が決まっても、狂言の大きな舞台とかちあうと出場は辞退しなければならなかった。口惜しかった。あの時にがまんを身につけたという。京都産業大学経済学部に進み、剣道でますます活躍。東京オリンピックで建った日本武道館での試合を秘かに夢見た。夢がかない一回生で団体出場、三回生では個人でベスト16に。この時は、家中あげて応援してくれた。折々の家族のありように添う慈愛の家である。稽古着に高下駄を鳴らし、祖父の文字で「剣」と染め抜いた羽織に防具を担ぎ河原町を闊歩する。豊かな時代であった。ザ・ビートルズが来日し、やっと手に入れたチケットで武道館コンサートへ行く。静かに聴かせてなかみが濃い。いたく感動した。それまでのアメリカン・ロックにはない音楽性。演者として受けとめようも濃いものだった。
 大学卒業。京都中央信用金庫に就職。染め織りの街、西陣支店で預金獲得の営業外回りをする。名刺を出すと「あの狂言の茂山はんか。それやったら」と快く預金してもらい、顧客の紹介もしてもらった。1ヵ月1千万円の目標額が悠々1億円を越えた。京に根づいた茂山の名の大きさ、観に行き、稽古し、狂言を愛する人々の多いことを知った。やがて秘書課へ移る。ある日、30行程の銀行が集まる手形交換所で顔見知りのグループでボーリングを楽しむ事となった。その中にさる銀行に勤める小柄で愛らしいその人もいた。翌日、チョコレートと手紙を届ける。紀世江さんとの、そも、なれ染めであった。昭和48年に結婚。50年に宗彦さんが54年に逸平さんが誕生。二人とも言葉がしゃべれるようになると祖父、父に習い稽古を始める。
 昭和51年、兄千五郎さん、従兄のあきらさんたちと花形狂言会を発足し、古典はもとより新作にも取り組み、狂言のおもしろさをよりいっそう広めていく。海外公演にも力を入れる。
 七五三は父千作さんの本名である。叔父の千之丞さんの口切りでその名を舞台名として襲名する。平成七年十二月であった。襲名披露の舞台で『三番三』をめでたく舞う。なんとも心地良かった。それを見て、逸平さんがやりたいといい、宗彦さんも披きたいと、祖父に手をつき願う。息子たちの自ら申し出る開曲に、七五三さんは、親を見て子がそれにつづく幸せをかみしめた。
 狂言ひと筋になって10年。当初のプレッシャーから放たれて舞台が楽しくなり、より綿密な舞台創りをめざし、子息にもその点は厳しく教える。花形狂言少年隊で活躍し、またミュージカルやドラマなど多方面の分野でさまざまな人と出会いさまざまな表現に挑戦中の子息たち、妻をまじえた語らいがなにより貴重なもの。家族団欒で鋭気を養い舞台に、各地での指導活動にと活躍の日々である。

インタビュー・文/ひらの りょうこ  撮影/八木 洋一

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