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KENSYO vol.38
大蔵流狂言師
茂山 千作
SENSAKU SHIGEYAMA

見る人を幸せにしてくれる
天衣無縫の狂言役者


茂山 千作
(しげやま せんさく)
大蔵流狂言方。1919年生まれ。故3世茂山千作の長男。父及び祖父・故2世千作に師事。古典狂言、新作狂言の他に、歌舞伎、新劇、ドラマなどでも幅広く活躍。'83年芸術選奨文部大臣賞受賞。'85年紫綬褒章受章。'89年人間国宝認定。'94年4世千作を襲名。日本芸術院会員。

 茂山千作さんは憧れの存在である。
 豪快でどこか寂として切なく、それが粋で色気があり、野の草が陽ざしに炎えるに似た乾いた匂いがして、胸底にじわり、ひと雫にじむ一瞬もある。千作さんの笑いの芸には、どんな人間も狐や猿もそれがそこに在ることを心の底から肯定し尊ぶ自然体の暖かさに充ちている。人々はそれに憧れ癒され、千作さんを長とする茂山千五郎家の狂言を楽しむ。
 千作さんは、その誕生の時からめでたい存在であった。大正八年十二月二十八日、京都茂山家十一世千五郎のち人間国宝三世千作とスガの長男に生まれる。折しも正月の七五三縄の飾りをしていた時で「七五三」と名づけられた。祖父(二世千作)に口移しで台詞や謡の稽古を付けられ三歳で金剛能楽堂で『以呂波』で初舞台。可愛らしい、と絶賛を浴びた。祖父に連れられ琵琶湖巡りをし唐橋畔で鯉料理を楽しんだ幼い頃の思い出は忘れられない。四つ下の弟の千之丞さんとともにあちこちの舞台に出て人気を博し兄弟は豆スターになっていった。お寺の婦人会、博覧会、結婚式、寺社奉納、あらゆるところで演じた。茂山家は室町時代はばさら大名(伊達で派手で自由にふるまう大名)と称された佐々木道誉の流れを汲み、江戸時代には井伊家のお抱えとなりまた禁裏御用を務めた家だが明治維新でそれらのつながりから放たれ、祖父たちは一人でも多くの人々に見てもらおうとどこへでも出かける狂言に徹していた。余興に困ったら茂山はんとこにお願いしよ、まるでおかずに困った時のお豆腐みたいやけどと半分の悪口、それでいて半分応援の気持ち、どこかばさらな京都人は茂山家のお豆腐主義の術中に面白がってはまっていったようである。豆腐は高級料理ともなり庶民のおかずにもなる。品を保ち自在に演じる茂山家トーフイズムがここに確立する。因みに千作さんは豆腐の田楽がお好みだそうである。十歳を過ぎて祖父は厳しくなり、千作さんは台詞を忘れたりすると鏡の間の皆の前で叩かれた。人の中であえて恥をかかせ二度と同じ間違いをせぬようにとの教訓であった。古武士のごとく行儀にも厳しかった。それでも千作さんは二十歳近くまで祖父と一緒に寝起きしていた。
 二十歳で『釣狐』を披き、翌昭和十六年に舞鶴海兵団に入隊。十二月、太平洋戦争開戦となり、千作さんらの軍艦は北へ南へ、実戦に参加する。そんなある日、千作さんは下船を命じられ、東京の経理学校で学び京都丸物(現近鉄百貨店)ビルの海軍人事部主計課に配属され、経理や軍幹部の京都案内などの仕事をする。自宅から通えるし日曜日はナイショで狂言もできた。敗戦の年昭和二十年十二月千作さんは早くも『靭猿』を演じている。二十七歳であった。しかし、多くの人々は食うに追われ狂言を見るも習うもできない。千作、千之丞兄弟の全国学校公演がここに始まる。数人で毎日のように日本地図を塗りつぶすがごとくあの町、この島々を『附子』『末広かり』など教科書にのっている番組を演じて廻る。戦禍にキズついた学校、子どもたち。笑い転げる子らもあればがやがや落ち着かぬ子らもいる。千作さんは狂言を楽しむゆとりを失った子どもらに面白さを伝えようと懸命に大声を張り上げた。
 さて、千作、千之丞と演出家武智鉄二氏との出会いは古典芸能の歴史に衝撃的快挙であった。『濯ぎ川』『東は東』『夕鶴』など次々と異分野のコラボレーションが実現した。「武智さんの演劇への信念、宝塚や新劇、オペラ歌手との舞台。間取り、タッチや雰囲気など狂言をより面白くするのに芸を磨く、ええ、勉強でした、みな狂言に生きています」他流共演を禁じた能楽界で兄弟の『除名』が噂になった時、穏やかな人柄の父が「私も一緒に除名に」と申し出て事は霧散した。「そんな異端児の私が」といたずらっぽく笑う千作さん、平成一年に人間国宝に。同三年に日本芸術院会員になり、六年に四世千作を襲名した。祖父、父はすでに他界していた。
 「よう辛抱して、夜なべをして、装束を縫うてくれて、今日はよかったと舞台を賞めてくれ、いつもみんな仲良うせなあかん、いうて」いた母スガさんは、平成十年、ひ孫の茂さんの『釣狐』を見てよかったと賞め、百歳を目の前にみまかられた。スガさんを背負っていた千作さんの孫逸平さんの姿が瞼に新しい。いちばん若い童司さんにとって曾祖母様はどんな女性だったか。その母性が育てた千作さんを同じく孫の宗彦さんは「憧れの人」という。若い狂言師たちへの千作さんの言葉は、「油断せず、上手になりや」である。また茂山家の女性たちへ「会や家の事、嫁たちはようやってくれます」とねぎらいを忘れない。
 十月十三日、千作の芸を見る会京都観世会館で。明けて正月三日は大阪OAPタワーの天空狂言に出演、二十一世紀の初春を寿ぐ。

インタビュー・文/ひらの りょうこ 撮影/八木 洋一

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