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KENSYO vol.42
狂言師
野村 萬斎
MANSAI NOMURA
「狂言がベース。
どんな作品も古典化する

つもりで作りたい。」

野村 萬斎(のむら まんさい)
狂言師。1966年生まれ。野村万作の長男。祖父故6世野村万蔵及び父に師事。’70年3歳の時「靭猿」の子猿で初舞台以後、「三番叟」「釣狐」など披く。狂言ござる乃座主催者。近年は、狂言の演出・脚本も務め、現代に生きる狂言師として狂言の普及を目指す。世界各国での狂言公演にも参加。 ’94年、文化庁芸術家在外研修制度により渡英。東京大学非常勤講師。

 能楽堂と西洋型劇場を自由に行き来している。七月、ロンドンのグローブ座でシェイクスピアの「まちがいの喜劇」を狂言の手法を使って演出した「まちがいの狂言」を上演した。
 二組の双子の取り違えから起こる騒動を描く初期の作品だ。訳やタイミングにこだわった字幕を使った。
 「せりふが聞こえなくなるほどの拍手と歓声でしたね。特にプロの演出家の受けがよくて、シェイクスピアに成り得ていたと言われました」と、成果を語った。狂言の様式を取り入れた動きをはじめ、語りや謡の手法を使ったせりふの言いまわしに興味を示す人も多かったという。
 狂言のせりふは、洗練され省略されていて短い。情報を伝えるためだけの言葉というとらえ方ではなく、言葉の意味を音で伝える。例えば「赤い血」と言う場合、水っぽい赤なのか、それとも黒っぽいのか、知らせるために音の凝縮感で表現する。
 「こんなボーカルテクニックがあるのかと言われました」と、淡々と話す中に、うれしさがうかがえた。
 「古典の狂言だと文化の違いを意識させて終わりですが、シェイクスピアの土俵にのって、狂言そのものが持つ強さを発信したかった」という思いで作ったのだから当然だろう。
 「狂言師であるというアイデンティティは持ち続けています。狂言がうまくなりたいと思っていますし、どこで何をやろうと、いい意味で、どんな作品でも古典化するつもりで作りたい」
 狂言師の家に生まれ、幼いころから狂言の型など様式をみっちり仕込まれた。
 「お父さんという意識よりも師匠でしたね」と、振り返った。
 ある時、稽古で出来ていたにもかかわらず、本番の舞台で、集中力に欠け間違いを連発した。演じ終えて揚げ幕に入った途端に殴られた。「本番で間違えた悔しさ」が身にしみたそうだ。
 かなり厳しい世界だ。だが、型をきっちり習得したからこそ、今、様々な試みができるのだろう。
 「基礎がないと、表現しようと思うことも出来ない」。その型をデジタルに例えた。型の一つ一つは、デジタルのデータみたいなものだというのだ。このデータをアナログな人間が組み合わせることで、作品を作り出しているというのだ。
 「狂言のデジタルなものが面白くてしようがない。どう置き換えるか、経験とかセンスが問われてきますけどね」
 さらに、このデジタルという発想は、子育てや教育に通じるところがあるという。礼儀作法や人との接し方などを「正しくプログラミングして、正しく機能するようにしてあげて、世の中に出してあげる。表現方法を知らない子供に、いきなり個性と言っても始まらない」と、臨時委員を務める文科省中央教育審議会で論じたそうだ。
 「狂言でいえば、師匠となる手本がいる。魅力的な人間と触れ合うことで、本人も魅力的になる」とも言う。それを察知するだけの感性もいる。
 萬斎さんは家庭環境にも恵まれている。
 「母親は自由な発想の人で、ビートルズやシェイクスピアを教えてくれて、感性を磨かせてくれましたね。母方の親せきには小説家の永井荷風や高見順がいて、母も詩を書いたりしますし、よく本を読んでくれました」と言う。父万作さんには狂言だけでなく、チャップリンの映画や前衛的な芝居にも連れて行ってもらい、いろんな分野の芸術に親しんできた。
 二十代には、演劇の勉強をするためにイギリスへ留学。帰国後は能楽堂だけでなく、積極的に劇場で狂言会を行った。注目されたのは、NHK朝の連続テレビ小説「あぐり」だ。ヒロインの破天荒な夫を品良く演じて好評だった。狂言を見たことのない若い女性ファンが、劇場に押し掛け、その後、能楽堂にも足を運ぶようになった。
 「まずは狂言を知ってもらいたい」と始めた劇場での狂言会は、年々スケールが大きくなっている。電光掲示板でせりふの解説をしたり、客をあおったりして楽しませている。今夏は、そこにコンピューターグラフィックス(CG)を駆使した映像も取り入れ、観客参加型の狂言会を開いて盛況だった。
 「少しでも狂言を楽しんでいただきたいし、狂言のデジタルな部分がCGと合うと思った。時代のテンポに合わせたり、こびるつもりはない。伝統芸能は普遍的なものを追求することに尽きる」と、確認しながら狂言の可能性を広げている。今秋公開予定の主演映画「陰陽師」もその範疇だという。
 「古典的なスタイルで発信すれば、いつでも前衛でいられる。再演に耐えうるものをやりたい。一回で終わるような刹那的なものはあまり興味がない」とも言った。
 来年は、東京の世田谷パブリックシアターの芸術監督に就任する。「やりたいものがたくさんある」と、まだまだ新たな試みに挑む日々が続きそうだ。

インタビュー・文/前田みつ恵 撮影/八木 洋一

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