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KENSYO vol.46
葛野流大鼓方
亀井 忠雄
TADAO KAMEI

後継者の育成に力を注ぐ
能楽界の宝
亀井 忠雄(かめい ただお)
葛野流大鼓方。1941年生まれ。父及び川崎九淵、吉見嘉樹に師事。'49年「熊野」で初舞台、「翁」を披く。'98年葛野流宗家預かりとなる。'94年観世寿夫記念法政大学能楽賞を受賞。(社)能楽協会常務理事、国立劇場伝統芸能伝承者養成「能楽(三役)」研修養成主任講師、(社)日本能楽会理事。'02年重要無形文化財総合指定保持者(人間国宝)に認定される。

 能楽堂にカーンともチャーンともとれる硬い音色が響きわたると、小鼓なども加わり、地謡も佳境に入る。
 囃子の基本のリズムを大鼓が刻み、進行のきっかけを打ち出す役目もする。重要なのは大鼓方が打つ前にかける「かけ声」だ。
「いいかけ声をかけていれば、いい間がとれて余裕もできる。するといい音が出る」。
かけ声、間、音、この三つが大事だという。
 この六月、人間国宝に認定された。
「まだ六十歳になったばかりで思いがけないことでした。父が認定されたのは七十歳を過ぎてからでしたから、私もそのころには父の芸位にたどりつければ、とは思っていましたが、まだ早いかなと…」と能楽界で五組目の親子二代に渡る「認定」を受けた。
 五歳から父、亀井俊雄氏(一八九六〜一九六九)に手ほどきを受け、葛野流の家元預かりの任にあった川崎九淵氏(一八七四〜一九六一)のもとに通い始めた小学校三年生のころには、すでに「この道で」と心に決めていた。
「川崎先生は謡を謡わないとけいこをしてもらえなかった」
 謡はすべての基本だが、特に、葛野流は「謡の言葉をいかす粋な手(打つ間合い)」が特徴でもあり、謡を熟知していないと打てない。難しい漢字が並ぶ謡本にかなをふってもらい、「丸暗記」して通った。中学からは父の先輩、吉見嘉樹氏(一八九三〜一九六九)と三人に師事し、その間には笛や小鼓、大鼓のけいこもしていた。
「三人とも異口同音に、大鼓の手組(リズム)はいろいろあるが、まず謡をしっかり謡えといいましたね」
 毎回、違う演目でそのたびに謡を覚える。
「大変とは思ってなかった。子どものけいこは、まねることから始まる」と、予習、復習は欠かせない。「だから学校の勉強はなし」と笑わせる。
 一度だけ父親にすごく怒られたことがあった。中学の時の夏のけいこ会で、ほかの人の代わりもして何番も大鼓を打っていた。
「最後に間違えたんですよ。本番が終わってから、大きな声で『やめちまえ』と怒鳴られた。手を上げることはなかったんですけど、張り扇は飛んできたかな」。次は絶対に間違わないと心に誓った。
「父は明治生まれで、年齢の開きもあって普通の親子関係とは違いました。二十歳まではまねをしろと教えられましたが、十八歳ぐらいの時に、まねをしても片一方は頂上で芸位の違いがあまりにもあるんで、このまましても」と思っていたときに、観世流シテ方の観世寿夫氏との出会いがあった。日大芸術学部で演劇の勉強をし、将来を見据え始めていたときのことだ。
「この方を追っかけてれば、六十、七十歳になった時に父の芸位に、もしかしたら、いけるんじゃないかと思いましたね」
子どものころから十六歳年上の寿夫氏を「お兄ちゃん」と慕っていた。古典にとどまらないで、現代の能を追及して幅広く活動する寿夫氏を「先生」と仰ぎ始めた。「新作もずいぶん手がけましたね」と、それは今も同じだ。
「能の五番全部を舞い分け、謡い分けるのが理想ですよね。囃子方でいうと打ち分けられるのが名人だと思う。自分の時代のお能の神様が私自身の中に何人かおられる。十八歳の時に、これになりたかった。全部できるのは、四十五、六歳から六十五歳までかな」と、語る。
 しかし、寿夫氏が五十三歳で急逝。「一年ぐらいぼけっとしてて四十歳ぐらいになった」時、外部から能楽の世界に飛び込んだ若手を集めて、能舞台で「板の間遊び」と称する基礎訓練を始めた。自身の家に来ていた書生をはじめ、養成所に通っていたシテ方らを引き連れて、「同時代には歌舞伎も文楽もあるし、京劇や太田省吾、唐十郎の芝居もある」と、芝居見物にも行った。
「あとでしめたとは思ったんだけども、自分たちから打ったり舞ったりするから先生見て下さいと言ってきた。それを待っていたんですよ」と、夏には合宿もした。現在、国立劇場伝統芸能伝承者養成「能楽(三役)」研修主任講師を務めている。
 シテ、ワキ、囃子、狂言、すべてがそろって能になる。大鼓の打ち方だけではなく、シテ方も地頭をはじめとする地謡、隣に座る小鼓など息があった時、最高の舞台になる。「やってて楽しい」と思える瞬間だ。
 そのための努力も欠かさない。九月は宝生流能「姨捨」、十月は観世流シテ方の片山九郎右衛門が舞う「関寺小町」で大鼓を打つ。謡本を持ち歩き暇があれば開いている。「息とか気合とかでやっていくことが多いけれど、間を大事に、調子、さいごは音だからね」と大鼓の技術を極めつつ、能楽界全体のレベルアップに尽力してきた。
小柄な体とは対照的な豪快さが言葉の端々に感じられ、俗な言い方を許して頂ければ能楽界の「親分」の風格があった。


インタビュー・文/前田 みつ恵 撮影/八木 洋一
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