KENSYO>能狂言インタビュー バックナンバー

KENSYO vol.50
狂言役者
茂山 千之丞
SENNOJYO SHIGEYAMA
五十年かけて実現した
ユートピア

茂山千之丞(しげやま せんのじょう)
狂言役者・演出家。1923年生まれ。故3世千作の次男。父及び祖父故2世千作に師事。3歳で初舞台。1946年に2世千之丞を襲名。古典狂言、新作狂言の他に、歌舞伎、新劇、ドラマ、映画等に出演。オペラの演出も手がける。また、山本安英主演『夕鶴』の与ひょう役を演じ続けるなど、多彩な芸能活動を展開。1993年観世寿夫記念法政大学能楽賞、1994年大阪芸術賞、1995年度芸術祭賞演劇部門優秀賞、1996年度芸術選奨文部大臣賞、1998年松尾芸能賞優秀賞など多数受賞。

 「ぼく、今年、成人を迎えましてね。ついこの間、お祝いしてもらいました」
東京で社中さんが、童司さんと千之丞さんの成人を祝う狂言会を開いてくれたという。孫の狂言役者童司さんは二十歳。千之丞さんは八十歳。千之丞さんは還暦の時、生前葬を行っている。その年、子息あきらさん、絹ぬさんの長男童司さんが生まれた。そして千之丞さんも再び狂言の世界に往き生まれた。
「だから、ぼく、童司と同い年。あいつの方がちょっと上です、半年ほどね」
童司さんは四月、千之丞さんは十月生まれ。この気宇壮大な人生の数え方、千之丞さんのふくよかで艶やかな狂言の舞台そのもの。そこで、成人式もすませた今、
「引退の時期を探っています」
思わぬ言葉に驚く。そんな言葉を聞くのは初めて。いうのも初めてだそうだ。引退のことは十六年前から考えつづけてきたという。
 千之丞さんは十六年前、胃がんの手術をしている。五月に退院し九月から復帰。この間に兄の千作さんも体調を崩して入院し、千作さんの子息千五郎さんや七五三さんとともに代わりをつとめていたが、胃の五分の四を取った体、思うように自由に動かない。次第に気分が鬱屈してきて日に日に舞台が厭になっていく。ある日、東京での大きな舞台。『素袍落』の太郎冠者の役。たっぷりの台詞で、謡い舞い、はんなりとして千之丞さんが一番好きで得意な演目だった。それだけに前日の申し合わせ(舞台稽古)で何かいやぁな気分に落ち込んだ。高層ホテルのベランダ。出て見ると、下はかーんとひろがる虚ろな空間。千之丞さんはふうっと、
「今、飛び下りたら、明日やらんですむ」
揺れた。でも怖かった。その臆病が薄皮一枚のところで千之丞さんを生かしてくれた。
 翌春、千作さんが舞台へ復帰。千之丞さんの鬱はまだ晴れない。夏、松竹株式会社から歌舞伎の演出の依頼がきた。今まで付き合いのなかった東京の歌舞伎の人たちの中で一カ月、思い切ってひとりぽっちのホテル住まいに身を置いてみた。役者とはまた違って、舞台全体を創造していく仕事が千之丞さんのやる気をゆっくりと呼び覚ましてくれた。お酒も飲みだし少しずつ美味しくなっていった。京都へ帰り、秋から舞台へ完全復帰した。胸の奥には「引退」の二文字が沈んでいた。
 芸が枯れる、という言葉、千之丞さんは嫌いである。幾つになっても色気あってこその役者。年齢が進めばすっと立てなかったりするのは当然だけれど、それを「誤魔化して」芸にする努力が色気の原点だという。
「お客さんにいたわられながらの芸は駄目。たまたま当日券で入った初めてのお客さんに失礼でしょ。詐欺みたいなもんです。ま、舞台から消えるいうても、地謡、後見、それに演出もやれますからね。それに、ここへきてぼくはユートピアを手にしましたからね」
 千之丞さんのユートピア。
 それは、狂言が人々のふつふつとしたエネルギーから生まれたあの中世への回帰であった。自由で元気で、互いに負担を感じさせないドライな人間関係。おのずからの他のいのちへの無償の愛。それらは江戸時代、能楽の大名お抱えという式楽に一旦は埋もれた。そして昭和。長い戦争が終わる。人々のデモクラシィへの憧れと復興の波の中で、千之丞さんたちは逼塞していた狂言を再び人々に届けるため、身を粉にして全国を隅から隅まで走りつづけた。ユートピア。それは狂言でみんなが食べていけること。狂言の興行がビジネスとして成立すること。狂言は古典の遺産ではない。人々とともに今を生きる演劇の一分野としての存在を確立したいということ。千之丞さんの信念は舞台にも貫かれ、いつも新しく、予期せぬ芝居の楽しさを呈してきた。昨今、世相は次第に重苦しくなってきたが、面白いことに、真のデモクラシィを求める若い世代が、狂言という演劇に注目しだした。同時にあらゆる年齢のファンが増えてきた。千之丞さんが提案した孫世代の花形狂言少年隊。茂、宗彦、逸平、童司さんたちが爆発的人気を呼び、後に千三郎さん、正邦さんをリーダーに古典を錬磨するTOPPAに発展していく。狂言ブームが今もつづく。
「五十年かかったなぁ。兄貴と、いうてね」
千之丞さんの目に涙。千作さんと千之丞さんらが地の底から打ち建てこつこつと掛けてきた虹が、大きな円を描いて次の時代を彩る。
 この六月、逸平さんが『釣狐』を披いた。新しく成った金剛能楽堂。千之丞さんは、
「泣きました。これがユートピアやと。エクスタシィを感じました。逸平は、狂言という演劇の、言葉の意味をしっかり伝えるドラマトゥルギィを持った役者や、と」
滂沱の涙が見られては格好悪い、と見所が明るくなるまでに立ち出て行った千之丞さん。「同い年」の兄弟のような淡い虹の色がただよっていた。

インタビュー/ひらの りょうこ 撮影/八木 洋一

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