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KENSYO vol.52
金春流シテ方
高橋 汎
HIROSHI TAKAHASHI

技術の練磨以外に
花を咲かす術はない
高橋 汎(たかはし ひろし)
金春流シテ方。1932年奈良県生まれ。79世金春信高、78世金春八条に師事。'42年「舟弁慶」子方にて初舞台。「乱」「道成寺」「翁」「獅子」「定家」「卒都婆小町」を披く。'92年カナダ・モントリオール能楽公演に参加。2002年秋の叙勲で勲五等雙光旭日章を受章。 (社)日本能楽会監事、(社)金春円満井会常務理事。

 高橋さんは、一九三二年(昭和七年)、奈良県大和郡山市の医家に生まれた。父君は内科医であった。高橋さんの幼少時代は戦争の最中。視野が広く、文化的な人であった父君は「このままでは世の中が荒んでいき、面白くなくなる」と、当時、奈良に在り大学生であった現金春流七九世宗家金春信高さんを家に招き、家族が能の稽古をするようにお膳立てをされた。お母様、お姉様、小学生の汎さんは稽古を始め、父君はそれを見守っておられた。お母様は子どもには難しい謡の文字を書きなおし、やさしく読める謡本を作られた。
「否応なしに座らされたのですが、声を出すのは厭ではありませんでした」
能の稽古や舞台で、これまで一度も厭な思いをしたことも苦労をしたという思いもなく、半世紀余り、続けてきたという。高橋さんは宗家の一番最初の弟子。宗家は高橋さんよりひと廻り年上。共に干支は申年。宗家の稽古は、出し惜しみなく納得できるまで教えるというものだった。
 昭和二十五年、京都大学農学部に入る。蔬菜園芸に取り組み大学院まで進む。「こちらの農学も楽しくて」。大根の鬆入りの研究で毎日大根を切っていた。しかし、二十五歳で生涯のものとして迷わず選んだのは能楽師の道であった。三十五歳の時、すでに東京へ移っていた宗家に近いところで活動すべく、妻子を伴い東京へ転居した。以降、『道成寺』『翁』などを開曲。昭和五十年に重要無形文化財(能楽総合)に認定。日本能楽会会員となった。
 高橋さんは今、七十二歳。今年、めでたい申の廻り年である。この六月三十日、大阪での金春会で豊公能『この花』のシテ梅の精を演じることとなった。子息で能楽師の忍さんのたっての勧めである。
 豊公能は豊臣秀吉の命で作られた能曲のことで、祐筆の大村由己が詞章、金春太夫・安照が節付けをした。十曲のうち現在、五曲が明らかにされ『この花』は六曲目となる。大阪大学の天野文雄氏の著書に『この花』についての記述があり、金春安明若宗家によって宗家宅の蔵に『この花』の謡本のあることが確認された。実はすでに十八年前に法政大学の西野春雄氏が『この花』の存在を指摘していたことも分かった。若宗家は西野氏、法政大学能楽研究所の協力を得て平仮名の詞章を、引用されている中国の故事、人名また漢詩などの出典を追求し、当てはまる漢字を探し、全文を解読した。そして若宗家は、忍さんたち若手グループ「座・SQUARE」に詞章、曲調、役割、作り物など、実際に舞台にのせるための演出も含めた復曲作業を託された。忍さんたちはこれを現行曲として長く演能されることを視座に工夫をこらして復曲を果たし、二〇〇二年秋に「座・SQUARE」五周年記念公演としてシテを忍さんが演じた。この花とは古今集の序にある歌、「難波津に咲くやこの花冬ごもり今を春べと咲くやこの花」に基づく梅の雅称である。
 関白を嫡男に譲り悠々と過ごす豊公。ある年、吉野での盛大な花見の様子を、留守居だった者たちに和歌や管弦で再現して見せ、しばし微睡む。ふと目覚めると声がして、桜ばかりがもてはやされる世の中になったことを嘆き、古より花といえば梅であったと語る。やがて現れた梅の精は「難波わたりの春の景色」と歌にも詠まれた梅の木の跡を残してほしいといい、姿を消す。豊公は難波の梅の木の一本に囲垣を結い神木として崇めさせた。「難波津の昔の春を思い出でて一しほ梅の色香をぞ知る」と自ら詠んだ和歌の短冊を梅の木に手向ける。すると再び梅の精が現れ、豊公の天下を寿ぎ舞う、という優雅な物語。シテが豊公でなく梅の精であるのも面白い。
 梅の精の役への思いを高橋さんに聞くと、
「何もありません」
明瞭な答えが返ってきた。プレッシャーが全くないわけではないが、身構えずに平常心で演じるのが高橋さんの信念である。役柄に過多な感情を移入すると「自分を見失う」という。舞台では醒めている。舞台の美しさは自分で作るものではない。こつこつと日々錬磨してきた技の積み重ねが自ずから形になって花開くという、世阿弥の教えを高橋さんは延々と続けてきた。倦まずたゆまず能一筋に精進を続けてきた高橋さんに一昨年秋、勲五等雙光旭日章がもたらされた。この二月、受賞記念祝賀能が奈良の新公会堂能楽ホールで催され、高橋さんは『伯母捨』を舞った。これも特に老いの姿を見せるというのではなく『羽衣』『舟弁慶』の延長線上で舞うという姿勢であった。後シテは、太鼓が神を表わす「出羽」で登場という初めての試みで、天涯に神と一体となっていく老女の静謐なたたずまいが表現された。高橋さんの積み上げてきた技が自ずとなせる必然の演出であった。
 恬淡としていて、ひたすらに。高橋さんの馥郁と香る梅の精が楽しみで待ち遠しい。


インタビュー/ひらの りょうこ 撮影/八木 洋一
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