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KENSYO vol.53
観世流シテ方
片山 清司
KIYOSHI KATAYAMA

祖母が、父が、
師が伝えてくれたもの
片山 清司(かたやま きよし)
観世流シテ方。1964年京都府生まれ。9世片山九郎右衛門を父に、京舞井上流4世井上八千代を祖母に、5世井上八千代を姉にもつ。父及び故8世観世銕之亟に師事。1970年「岩船」で初シテ以来、海外公演にも積極的に参加。1997年京都府文化賞奨励賞。2003年京都市芸術新人賞。(社)京都観世会理事、(財)片山家能楽・京舞保存財団常務理事。

 美しく晴れ渡る五月一日、祇園甲部歌舞練場。百年近い歳月を凛然と舞い続けた京舞井上流四世家元井上八千代さん(人間国宝)の葬送には二千人を超える人々が参列した。こんな時よく使われる「巨星墜つ」「一時代終わる」「歴史が終わる」などの常套句。ここでは全く当てはまらない。大きな星の煌めきは今まさに人々の胸に散りばめられてまたたきだし、能と舞の家の時代と歴史は「その続き」を刻みはじめていたのである。立礼する、八千代さんの孫、目の縁を少し赤くした片山清司さんの粛粛としたたたずまいにもそれが見えた。お祖母様が他界された時、清司さんと父君の観世流シテ方片山九郎右衛門さん(人間国宝)は、ニューヨークで公演中だった。お母様は二人には訃報を送らずまた公表も控え、清司さんの姉君、京舞井上流五世八千代さんと共に佛様となられたお祖母様を静かに守っていた。海外で二人がしっかりと演能してくれるようにとの思いであった。お母様は二人が帰るまで、お祖母様から遺された多くの大切なもの、家の空気、それらを次に創っていく家族のよすがとして静かに手渡せるよう「凍結」しておくことに心を砕いた。数日後、帰国した清司さんらは空港で悲報を聞く。お母様の心遣いを知り清司さんは、人ひとりを送る大変さを実感したという。
 清司さんは昭和三九年、九世片山九郎右衛門さんの長男として生まれる。言葉を発するようになった頃から謡の稽古が始まる。じっと座りじっと立つことができるよう、幼児には厳しい躾がされる。公式の初舞台は五歳。仕舞『春栄』であった。それまでにも、お祝いの席で裃を着て舞い、また甲部歌舞練場での芸妓、舞妓の歌舞会の発表会で浴衣姿で飛び入りで出たりしていた。
 朝から夜まで次々、家に弟子がきて、年配の人が父君にあるいはお祖母様にきつく叱られている場面も見ていたので、稽古は「こんなもん」と思っていた。どんなに叱られても泣くのは教える人に失礼だということは幼な心に知っていた。清司さんはある舞台で間違い「父にびっくりするほど殴られました」。それからの稽古はいっそう厳しくなった。時々、お祖母様がとりなしてくれた。家中で一番「怖い」お祖母様のとりなしは最後の砦だった。お祖母様が小さい子には辛抱して丁寧に時間をかけて教えている姿も見ていた。我慢して教える時期。激しく叱る時期。その肌合いは清司さんが教える立場になった今に引き継がれている。だいじなことは、弟子との絆を歳月をかけて深めていくことだった。
 青年時代。清司さんは故八世観世銕之亟さんに教えを乞う。父君の教え方はどこか捉え所がなく空気のようで納得しにくかったという。銕之亟さんの教え方は具体的でよく理解できた。父君はご機嫌斜めではあった。しかし昭和六十年二十一歳で披いた『道成寺』では、銕之亟さんと父君と二人が稽古を付けてくれた。全くタイプの違う二人の先生に習いながら清司さんは二人が共に納得してくれる答えを出さなければと思った。そして、とりとめないように思っていた父君の教えが、この時、能には言葉にはならないようなニュアンスもあることを時間をかけて伝えようとしていてくれたのだったと気づいた。銕之亟さんは平成十二年に他界された。『卒都婆小町』や『安宅』は父君に稽古をしてもらう。父君の能の精神がここへきてしっかり把握できた。そして平成十五年の『安宅』の舞台では亡き銕之亟さんに習っていた時より以上に銕之亟さんの薫陶が「生きていた」と評価された。教え習うことの尊さ、不思議さとはこれか。ひたすら続ける人にのみその魂は生死を超えた時空間を自在に行き来できるのだろう。清司さんは、二つの異なったブラックボックスのような二人の師の教えをどう一つにしていくか、今、第三段階に入ったという。
「ぼくの舞台はどうも、不安定で」
ともいう。それは、スマートに整った形の美しさは美しさとして受け入れつつ、そこを突き抜ける清司さんの第三世界を予感させる言葉にも聞こえる。平成十五年。片山清司 能の会での『天鼓』の存在感、品性、透明感のある演技で文化庁芸術祭賞新人賞を受賞。
 片山家能楽、京舞保存財団理事としての清司さん。法人といっても、稽古場と日常の生活とを切り離してはならないと強く念じる。幼い頃から自然に仕込まれた箸の上げ下ろしや上下をわきまえた敬語、こまやかなたたずまい。これらすべて心身に感覚として湛えられていてこそ能の動きになっていくという。それこそが祖母四世井上八千代さんが遺されお母様が守ろうとした「家」のいとなみ。
 清司さんは、能の絵本の出版にも熱心に取り組む。夫人にマンガを描いたりして分かりやすく能のなかみを物語していて「絵本にしたら」との夫人の提案で、『海女の珠とり』(「海士」)『天狗の恩がえし』(「大会」)『青葉の笛』(「敦盛」)など発行した。今後、全十巻を目指している。


インタビュー/ひらの りょうこ 撮影/八木 洋一

出演情報(2009.12.28現在)>>
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