KENSYO>能狂言インタビュー バックナンバー

KENSYO vol.54
葛野流大鼓方
亀井 広忠
HIROTADA KAMEI

謡を知り尽くす事が
心を知り 糧となる


亀井 広忠(かめい ひろただ)
葛野流大鼓方。1974年東京生まれ。葛野流大鼓方宗家預り亀井忠雄を父に、歌舞伎囃子方田中佐太郎(12世田中流家元)を母にもつ。父に師事。1981年「羽衣」で初舞台。1997年弟の13世田中傳左衛門(歌舞伎囃子田中流家元)、田中傳次郎と共に「三響会」を、2002年「広忠の会」を発足した。2003年第8回ビクター伝統文化振興財団賞「奨励賞」受賞。国立能楽堂養成研修所講師。

 右手を見せてもらった。
 三歳から、二十九歳まで大鼓を打ち続けてきた手は、想像していたような、固くごつごつしたものは微塵もなかった。親指から小指まで柔らかく稜線を描く、その円形の底の掌には、ふと涙を誘われそうな湖の静謐さが沈んでいて、淡い褐色の「タコ」が横たわり、それが亀井広忠さんの魂の形に見えた。舞台が続くと手は痛む。でも、今日痛んでも、明日、また大鼓を打つ。
「この舞台で死んでもいい」
の広忠さんの言葉がこのところ、若い能楽ファンの間で話題にのぼり、いっそう人気が高まっている。「能は命がけの芸術」とはもともと広忠さんの父君で師の亀井忠雄さん(人間国宝)の言葉である。それを継承する広忠さんは青年らしいヴィヴィッドな言葉で、
「命のぶつかり合いってことでしょうか」
と語る。舞台と観客が命を取りかえっこするような激しい一瞬。互いの命の存在を確かめ合い、そしてまた生きていくのだ。曲に没頭し自分をぎりぎりの状態に持っていき、自己満足ではなく目の前にお客様がいることを一っ時も忘れず、感動を共有すること。お客様がいるから一所懸命、稽古ができるのだ、という。
 囃子方になることは幼い頃から決めていて進路に迷うことはなかった。小学校の授業で机の上には国語の教科書、膝の上には謡本。先生に叱られたという記憶はない。三歳から大鼓を父君に習い、また父君の方針で同時に舞、謡を故シテ方八世観世銕之亟さんに師事。子方も多く勤めた。銕之亟さんは、謡を体に覚えさせるよう仕向け、舞台の息づかいをそのままに、能の基礎を教えてくれた。
 六歳で『羽衣』七歳で『合甫』、高校時代から二十歳までに『石橋』『翁』『道成寺』など史上最年少の速さで次々と披き、通学しながらの舞台は百を超えた。二十五歳で『卒都婆小町』を初めて打った。その時、ふっと壁を感じた。それは師としての父君の存在感の大きさだったかもしれない。父は今なお、括淡と打ち続けていて「成長」している…と気づき、それまでの父を超えたいという反撥心が謙虚さに取って代わっていった。父が、同じ道を辿る広忠さんの気持ちをいつも汲み取っていてくれたこともわかってきた。
「シテ方よりもうまく謡をうたいなさいよ」
父君の教えの延長線上で広忠さんは、その日その時の舞台のありように熱心に取り組んでいく。一曲一曲のイメージをとことん把握し「ヨゥ」「ホゥ」の抽象的な掛声と大鼓の細やかな強弱の響きの中で、見る人のドラマへの想像の幅を掻き立てひろげていく。同時に大鼓は囃子方のコンサートマスターの役割も果たさなければならない。シテという指揮者の思いを感じとりながらまた地謡の流れとも呼応しつつ笛、鼓、太鼓の気持ちを掴み、瞬時にふくらませたり弱めたり、囃子ぜんたいをリードしていかなくてはならない。瞬時に体がすなわち手がそのように動く技は、常に体内に精神力という濃密な網目をはりめぐらせ、エナジィを貯えておかなければ発揮できない。強靱な大鼓の体内時計を自在に動かせる力とヴァリエーションを増していくことが、今、広忠さんが命がけで取り組んでいる作業である。
 平成十五年、ビクター財団賞奨励賞を授賞した。能楽では初めてでまた二十代という最も若い授賞だった。広忠さんは、シテの謡を生かすためのまた人の気持ちを代弁する大鼓が音楽として認められたことが嬉しかった。そんな広忠さんの掛声を「実にうまい」とシテ方梅若六郎さんが褒める。瀬戸内寂聴さん原作『くちなわ(くちなわ)』の新作能で六郎さんは広忠さんに大鼓の手組(作曲)をさせてくれた。六郎さんは、手組に合わせた謡や型を創造する方法も活用した。シテ方、ワキ方、地謡、囃子方、アイ(狂言方)が自由に発想をぶつけ合い喧々諤々語り合い、せめぎ合い、究極は歩み寄り、シテを中心として渾然一体となって物語を繰り広げる舞台の楽しさを、広忠さんは六郎さんから学んだ。まだまだ、能楽ではシテ方至上主義で内側の形にのみ収歛していく方法が多いようだが、それは江戸時代式楽の権威主義の名残といえるかもしれない。観客にどれだけその一刻の舞台を楽しんでもらえるか。それに重点をおく舞台創りを広忠さんは考える。各々が独立して活躍しつつ最終的には能楽という一線に皆が集まりたい。友人の大蔵流狂言の茂山宗彦さんや逸平さんにも、「メディアでいう狂言師という呼び方、別の存在みたいで寂しいよ。狂言方、囃子方、一緒に能楽やっていこうよ」とラヴコールもする。
 どなたにも深々と挨拶なさい。歌舞伎囃子方田中佐太郎(十二世田中流家元)であるお母様の教え。挨拶の相手の向こうにあなたが向かう道が見える、と。広忠さんの能楽の夢の道だ。
 秋。ビル風の中の日比谷シティ夜能。広忠さんの夢の大鼓。炎の向こうにきらめくことだろう。


インタビュー/ひらの りょうこ 撮影/八木 洋一

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