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KENSYO vol.56
和泉流狂言方
野村 万蔵
MANZO NOMURA

二十年後を
見ていてほしい


野村 万蔵(のむら まんぞう)
和泉流狂言方。1965年東京生まれ。野村萬(七世万蔵)の二男。祖父六世万蔵及び父に師事。四歳で「靱猿」で初舞台。以後「釣狐」「金岡」「花子」などを披く。2000年、万蔵家の分家・与左衛門家を150年ぶりに再興して二世与十郎を襲名。2005年、九世万蔵を襲名。重要無形文化財総合指定。東京藝術大学、桜美林大学講師。

  東京に春一番が吹いた日。
 どこからか花の香りがする明るい午後。
 稽古場で九世野村万蔵さんのお話をうかがった。ここの舞台は、万蔵さんが生まれる少し前に建てられた。今年、万蔵さんは四十歳。この舞台が切磋拓磨されたさまざまな狂言方の芸とそれにつながるさまざまな物語を無言で見てきたように、万蔵さんも誕生の時から家と人のいとなみを「毛穴」から全身に吸収してきたように思われる。
 万蔵さんは二〇〇〇年、万蔵家の分家、与左衛門家を百五十年ぶりに再興し、二世与十郎を襲名した。兄君の八世万蔵さん(前五世万之丞)のたっての勧めでもあった。
 何があろうと、家を離散させることなく、その家を支え守る分家を確たる存在にしていかなければならない。それが今なのだ。若い世代として、これからの狂言をやっていく上での必須のこととして兄君が熱く語った言葉は今では遺言となって、万蔵さんの胸の底に沈んでいる。その提案を万蔵さんは、
「有り難いことだと思っています」
 昨年二月、小さい時からの厳しい稽古のあいま、また長じても何かにつけて甘えることのできた優しいお母様がみまかり、あろうことか、六月に兄君が病気で急逝された。その告別式で、父君の初世萬さんは、八世万蔵を兄万之丞に追贈し、弟与十郎に現当主として九世万蔵を襲名させる旨を発表された。
 万蔵さんは相次ぐ死の哀しみについて語らなかった。今、万蔵さんが哀しみとするところは、同じ狂言方として同時代に生きながら家が分裂して人が「別れる」という不条理である。
 三百余年同じ流れを汲みながら、技量、器量を良とする若い狂言方の一同に会した舞台が見られないことは、狂言ファンとしての筆者も残念の思いは深いのだけれど、万蔵さんはその詳らかな状況よりも、この家のそも始まりに思いを馳せて語ってくれた。
 万蔵家のルーツである和泉流はそもそも京にあり禁裏御用を勤めていた。江戸時代、加賀は前田藩のお抱えとなり狂言の家を確立。維新となり、東京へ。加賀出の人だけでなく、様々な藩にいた人も集約し、明治時代、楽しいものとしての狂言の草分けの役割を果たした。
 しかし、時代は必ずしもこの伝統的古典芸能を守り育てることに大いなる力を施してくれたわけではない。むしろ激動する趨勢は古き面白き芸能を「置き去り」にする方向へ傾斜していったといえよう。伝統芸能の家はどこも貧しさとの闘いだった。明治の日清、日露戦争、大正から昭和は関東大震災、そして長きにわたる戦争の時代であった。
「戦災の時も、震災の時も、わずかに遺った面、装束を胸に抱えて、この身は焼け死んでも、この家の宝は守らねば、と頑張ってきたのが、私どもの先祖なのです」
万蔵さんは、ひしと胸に、その大切なものを抱く仕草をした。自分が今、守り伝えるべきはその心だという。ご先祖は、
「いつも死と表裏一体でした」
その言葉は単に江戸式楽の武士の精神のことのみと受け取るには重過ぎる。
 ありようは、京流の優雅さ、加賀の情の深さ、東京という果てしない空間で、代々がアンテナを張りめぐらせ、時代時代を反映しながらも、人々の憧れを呼びさます芸、「糠味噌、背負って出てくる」というむさいものを排す芸、すなわち観る人を日常から非日常へいざなう芸、常に観客との一定の距離感を保ち、過剰なファンサービスを抑制した舞台に徹する矜持、というものであろうか。
 襲名が決まった時、多くの人が、
「あまりお兄さんを意識せず、あなたのしたいようにやればいい」
と励ましてくれたという。でも、万蔵さんは、舞台という板一枚の上の芸は目一杯自分らしくやるものの、やはり、家を守り、弟子、兄君の遺児太一郎くん、八歳を長に三人のわが子を育て発展させていくには「無我」でなくては、やっていけないでしょう、という。
 幼時から几帳面で神経が鋭利だったという万蔵さんの天性の人生観でもあろうか。血液型がA型なので、とはご本人の弁である。
 この一月の東京国立能楽堂での襲名披露会では十年ぶりに大曲『花子』、『髭櫓』、そして祝言としての舞歌『御田』を演じた。太一郎くんには『三番叟』を披かせた。
 この六月十一日は、神戸湊川神社神能殿で『靱猿』、十二日も大阪能楽会館で同じくこれを披露する。
 万蔵さんは上方にのこる深遠な時代の流れに足を踏み入れ身を置くと「心地良くなっていきます」という。ここに始まった和泉流狂言が、万蔵さんによって、かつてないあらたな幕開けとなることを多くが期待している。 ふと迷う時は、枕辺のお母様、兄君の遺影に向かう。五十歳、六十歳になった時、この家が別れの哀しさを超えて、現代という時代にどう生きているか、見ていてほしいと。


インタビュー/ひらの りょうこ 撮影/八木 洋一


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