KENSYO>能狂言インタビュー バックナンバー
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KENSYO vol.57
一噌流笛方 一噌
幸弘
YUKIHIRO ISSO
能楽の”楽”も
音楽の”楽”も同じ
自分が楽しまなきゃお客様に
楽しんでもらえない
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一噌 幸弘(いっそう ゆきひろ)
一噌流笛方。1964年東京生まれ。1973年「鞍馬天狗」で初舞台。以後、能楽師として古典舞台をつとめる一方で、笛の新しい可能性を追究する自主コンサート『ヲヒヤリ』を主宰。内外の様々なジャンルのアーティストとの共演を積極的におこなう。自己の作品には『東京ダルマガエル』『リーヤリ』等がある。東京芸術大学邦楽科非常勤講師。 |
宇宙のまばたきだ。
一噌幸弘さんの指は飛び跳ねている。あれが“クロス・フィンガリング”という技法を使ったさし指だ。激しくリズミカル、鋭くても聴く耳を突き刺すことなく、豊かな音量は見所の人々の呼吸を宇宙の息づかいに誘い込み、甘美なしとどの月の雫で潤し酔わせてくれる。
能『融』。後シテ源融の霊が月下に舞い狂う十三段舞返しの場。片山清司氏が舞う袖の揺れや極めて現代的なビートの利いた足運び、美しい面の照り曇りは、幸弘さんの笛の呼吸と合い和して狂おしくも哀しく、かつての平安貴人融が六条河原院の廃虚の月下で時の移ろいと思い出を偲ぶ心模様を匂いのような薄色からいや増す濃色のグラデーションに染め上げていく。小鼓の大倉源次郎氏、大鼓の亀井広忠氏、太鼓の観世元伯氏が幸弘さんの笛、力強い地謡とともにかつてない燦然とした舞台を創りあげていく。それは長い長い、それでいて、いつまでもこの世界に浸っていたいという思いに涙ぐんでしまうような舞台であった。シテ方の思いを尊びつつ今という時代、今日ただいまの一瞬に賭けた囃子方の工夫が見事に昇華されていた。これこそ作者世阿弥が望んだ時分の花であろう。
「清司さんのために特別な笛を吹きます」
インタビューの時の幸弘さんの言葉は、言葉以上のふくよかな笛の世界を見せてくれた。そう、幸弘さんの笛は見える笛だ。風が、水が、草木やそこに生きる者たちが見える。
余韻深く京都観世会館のロビーにたたずむ見巧者らしき人々にちょっとインタビュー。
「若手の人たちの力量、すごい」
「能楽の未来を見せてもらいました」
「お笛の方、楽々と吹いといやしたわ」
あ、それは鼻で息を吸いながらブレスすることなく吹き続ける循環呼吸法というものですわ、という事はいわないでもいいだろう。この方法は、能楽界では、今までなかったことだが、幸弘さんは自らの工夫でこの技を得た。
九歳で初舞台『船弁慶』を吹いた。
「笛を面白いと思っちゃった」
幸弘さんは迷わずこの道を選んだ。師であり父君の一噌幸政さんは一噌流笛方として活躍し、観世寿夫記念法政大学能楽賞ほか数々を受賞、能楽界の発展に尽くした人。稽古は、譜は習うものの装飾音などの技は見て憶える方式だった。以降、笛に魅せられての人生となっていく。小学校の音楽の授業でリコーダーが好きになる。この頃から見たもののイメージを笛の曲に作曲する。高校二年生の時の全国リコーダーコンクール。一八世紀のイタリアの作曲家でヴァイオリン奏者のコレルリのヴァイオリンソナタ『ラ・フォリア』を演奏し優勝した。父君は「優勝しちゃったねぇ」と喜びつつも西洋音楽へ進むのかとちょっと心配された。幸弘さんにとって音楽は東洋も西洋もなく能楽の楽も音楽の楽も同じ。奏者とお客様がともに楽しむものと信じてきた。
似ていて非なる横笛の能管、縦笛のリコーダー、両方の魅力を知り、それぞれの良さを工夫し、研究を重ね、能管に衝撃的な可能性を見いだす。古楽器で音量の優れたイタリア・ルネッサンス・リコーダーとの出会いでの、交差する、半開きにする指づかいの技。そのほかの技の追求でもって、これまで音程は出せないとされてきた能管で自由、自在なメロディを奏する技を編み出す事ができた。バッハの有名な舞曲『管弦楽組曲』第二番目のフルートと管弦楽の曲を、オーケストラとともに能管で演奏するという。
『山アカガエルのかなしみ』という曲を書いたのは10数年前だった。小さい頃から川釣りが好きだった。この時も、群馬県へ出かけて山アカガエルをたくさん見つけた。車で脱走しようとするのをなだめ、家で飼うべく持ち帰った。ふとしたいたずら心だったか。このカエルの前でぶわぁーっと能管を吹いた。すると、カエルは目の前でタマゴを産みだしたのだ。その目は「何で、こんな所で、産まなきゃならないの」とばかりのかなしげな目をして。そこで彼女たちにささげる曲を書き、山下洋輔さんのジャズピアノとともに演奏した。ダルマガエルと殿様ガエルの間にできる東京ダルマガエルも曲に表現した。カメや虫やイグアナも飼う、というより共棲みしてきた。幸弘さんの笛の世界は生きとし生ける者たちと呼吸でつながっているらしい。笛はもともと心身で歌い吹くものなのだ。
慶長年間に一噌の名前が見える。秀吉の、戦さや芸能、南蛮渡来の文化、隠れキリシタンもいた坩堝の時代、笛一管で生き抜いてきたISSOの人々。幸弘さんの背景に、日本地図の輪郭をはるかはみ出す宇宙が見える。
幸弘さんの笛は洋の東西を超えて一六世紀から今世紀までのものさまざま三五〇本を超える。笛師蘭情さんと可能性を夢見てユキヒロ・モデルの笛を創作。その一管に、昨年他界された父君「追悼・幸政」の銘がある。
インタビュー/ひらの りょうこ 撮影/植田 篤
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