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KENSYO vol.60
観世流シテ方 観世 喜正
YOSHIMASA KANZE

まだ、一億人が
能を観ていない
観世 喜正(かんぜ よしまさ)

観世流シテ方。1970年生まれ。観世喜之の長男。父に師事。2歳で仕舞「老松」で初舞台。
豊かな声量と華やかでダイナミックな芸風を持ち、全国各地および海外での演能や門弟の育成にも多く携わる。近年は、より広い世代への能の普及活動に積極的に取り組んでいる。社団法人観世九皐会理事。能楽協会東京支部常議員・教育特別委員。著書に「演目別にみる能装束」。
 観世喜正さんが、若い女性に謡の稽古を付けている。張盤にのせられた喜正さんの両手両指は謡の言葉に添って春先の蝶のようにこまやかな表情を持って動く。喜正さんの謡はここ大阪は天王寺の九皐会館の能舞台の天井にまで凛凛と昇り舞い降りてくる。風格ある舞台は約五十年前のもの。明治後期、清浦奎吾(第23代総理大臣)によって中国最古の詩集『詩経』の『鶴鳴』という詩から九皐と命名された。
  鶴鳴于九皐
  聲聞于天
(鶴は九皐に鳴いて声天に聞こゆ)
九皐…深い谷底に鳴く鶴の声は、天まで聞こえる、といった意味であろうか。ふと、何か香りを感じて舞台を見ると、地謡座の奥の板壁に梅が描かれてあった。
 長年の歴史を経てのち、観世銕之丞家より分家し、当代当主観世喜之さんで四代目を数える。喜正さんの父君である。東京新宿は矢来町にあることから矢来の観世と呼ばれ親しまれている。ここの舞台にも馥郁と梅の花が咲く。
 喜正さんは、月に何度か、大阪方面へ公演やお弟子の稽古に出向き、また、NHKの大河ドラマ『功名が辻』での能の指導などで多忙だ。信長役の舘ひろしさんに能を指南していて舘さんの集中力に驚くという。ぐっと前へ出る能でいう〈サシコミ〉の動のリアルさや、逆に息をつめて引く〈ヒラキ〉の静の難しさなども懸命に掴み取っていく姿勢、熱心な役作りなどは教えつつ学ばされるという。千代役の仲間由紀恵さんは、琉球舞踊を嗜んでいただけに姿勢が良い。能役者に扮した喜正さんが千代に「逃がしませぬ」と追っ掛けられ抱きつかれる場面はリハーサル共で四、五回。周囲の人達で話題に。ドラマの能の場面では喜正さんが実際に舞っている。
 喜正さんは二歳で仕舞『老松』の初舞台。初能『合浦』、〈千歳〉、『石橋』『鷺』『猩々乱』『道成寺』など次々と披いていくが、幼い頃のさだかな記憶はない、という。幼い頃から父君の教えは淡々として優しく、「今日はここまでやろうね」と口移しで進む。うまく進めば決められた時間より早くても終わる。叱られたり、ましてや打たれたというようなことは一度もない。小学校、中学校へと子方から大人としての能の稽古はそれが毎日の「普通」のこととして日々流れていった。父君の優しさには真面目さ、能への真摯な心が裏付けられていて、喜正さんがその跡を継いでいくことも自然な流れの中にあった。
 でも、大学へはいく、と決めていた。慶應義塾大学法学部政治学科。よく学び多くの友人達と遊び「自由」を謳歌した。時はバブル最盛期。全国各地で薪能など伝統芸能ももてはやされ、喜正さんも学業の合間を縫い出演。その数の多さ、時にはじっくりと稽古をする間もない忙しさの中で「これでいいのか」という疑問が喜正さんの心をよぎる。それは次第に確実な危惧となる。この状態を続けていて十年後の能は、どうなっているだろうか。
 めくるめくバブルの渦中で政治、経済界はもとより一般の多くも世紀の大消費を賞賛していた頃に、若き能楽師が先々の不安を感じていたと知り、これは驚きである。察するに父君や一門の人々と共に二十年、丁寧に能の日々を積み上げてきた実績が、鋭いアンテナとなったのだろう。これがその後の喜正さんの能普及活動の原点となっていくのである。
 友人達が能楽堂へ見に来てくれて「きみは何に出ていたの?」と後から問われショックだった。面を付けているから顔は分らないしプログラムの曲名やシテ、ワキなどの文字は初めての人には「暗号」にしか過ぎなかった。喜正さんは同業の友人達と語らい「稽古会」を催す。演劇界の人やさまざまな分野の人達の知恵を借り、写真を入れ、デザインを工夫し、自ら解説を書き、お弟子の関係や知り合いのみでなく、その外側の観客に呼び掛けるチラシを作った。他にひけをとらない美しい仕上りだ。
 「のうのう」と能でいう呼び掛けの言葉。まだ会ったことのない人達に呼び掛けるのうのう講座を開く。能楽堂に集い歌人や学者を招き、能以外の歴史や文化を学ぶ。また、のうのう能では舞台に先がけ、能の内容を伝える会を催す。装束、面、見どころなど可能なかぎり能の裏表を披露する。次世代の能への興味をいざなうべく学校公演にも出向く。
 「子ども達が能をキライにならないように。親を誘い能楽堂へ来てくれればなお嬉しい」
その親の世代がたとえば、能の稽古をするとして、どこで、どんなことをするのか、費用はどれ位か、明確に伝えることも怠らない。
 世界遺産に指定された能楽。喜正さんは、これを機に、人々にとってミステリアスで霞の向こうの遠い存在としての能ではなく、多くの人々が楽しめる、今を生き未来を生きる「遺産」でありたいと望む。喜正さんは、
「まだ、一億人の人が能を観ていない」。
気宇壮大な精神は谷底から天へ舞い上がる。



インタビュー/ひらの りょうこ 撮影/八木 洋一

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