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KENSYO vol.61
観世流シテ方 
観世 銕之丞
TETSUNOJYO KANZE

居直ってみる。
舞台の上で舞っている自分が
一番素直なんだ、と。
観世 銕之丞(かんぜ てつのじょう)

観世流シテ方。1956年生まれ。八世観世銕之亟静雪(人間国宝)の長男。伯父観世寿夫及び父に師事。1960年初舞台。2002年九世観世銕之丞を襲名。
銕之丞家の当主として、また銕仙会の新棟梁としてこれからの能界を担う存在として期待される。力強さと繊細さを兼ね備えた謡と演技にも定評がある。東京および、京都、大阪でも活躍するほか、海外公演にも多く参加している。
社団法人銕仙会理事長。都立国際高校非常勤講師。
京舞井上流五世井上八千代との間に一男一女をもうける。
 大阪城薪能で「紅葉狩 鬼揃」を観世流シテ方の観世銕之丞さんが勤める。実は7年前の大阪城薪能で、先代の父、八世銕之亟さんが演じるはずだった。
 「リハーサルまで現地でやっていたのですけれども、途中で雨が降り始めて」と中止に。あのころ既に、先代は体調が余り良くなかったそうで、翌年、旅立った。今年は、7回忌に当たる。「親父ができずじまいだったものですから、追悼の意味も含めて、是非ともやって欲しいということだったんです」

 舞台人は少々のことでは体調不良を言わない。先代もそうで、医者にも「大丈夫です」と言い、無理を重ねていたようだ。
「意地っ張りでね。年中、能の話ばかりしているような人でしたし、多少、熱があっても舞台はやるのが当たり前の世界ですから。祖父(故・観世雅雪)も我慢強い人で、足が痛くてもかまわずやっていましたからね。僕は素直に痛いとか疲れたとか、やめたいとか平気で言おうと思っていますけど」とおおらかに笑った。

 「紅葉狩」は、信濃の戸隠山へ鹿狩りに出かけた平維茂の鬼退治の話。銕之丞さんは、見事な紅葉の下で酒宴をひらく美女にふんして登場する。美女は維茂を誘い、酒と舞で歓待し、油断させる。そんな夢うつつの維茂に、石清水八幡の末社の神が太刀を渡し、危険を知らせる。やがて鬼神となった美女が、大勢の鬼を従えて現れる。

 「謡としては初心者向けの曲で、私も何回か、させていただいています。シンプルな曲なので、あんまり凝ってやるとかってことではないんですけれども、単純に見た目の、若い華やかな女性がたくさん出て舞ったかと思うと、俄に景色が変わって、鬼が出てくる。どどーっと出てくるわりには、ワキ方の演じる維茂が刀を抜くとね、よっぽど神通力のある太刀なのか、いっぺんに逃げていってしまう。親父も『あれだけ下っ端がいるのに、とても冷たくて、あっという間に逃げちゃうんだよな』って言ってましたけどね。それでも少しは格闘があるので、ちょっと工夫を加えて、昔の型よりも少し派手っていうか、動きの多い型でやらせていただこうかと思っています」
 前場の静から急ノ舞へと変わる変化に富んだ舞が特色で、後場では鬼女姿での立ち回りを見せる。

 「普段の能楽堂とは違い、開放感のある場所で舞台も大きいので、通常、前半はほとんどシテが一人でやってしまいますが、ツレの人たち何人かで相舞にして、大きく、ダイナミックに展開できたらいいかなって思ってます」
 能舞台では謡の微妙な味わいも聴きどころで、役や曲のイメージを地謡や囃子方と統一して、内面へ集約して精神的に突き詰め、細部までこだわった舞台を作り上げる。

 「若いころは能っていうものに近づかなきゃ、親父や先輩に習ったことに近づかなきゃってやってましたが、何だか、自分がどこにいるんだか分からなかった。舞台にいるのは誰なんだ、みたいな感覚があったんですけれど、親父が亡くなったぐらいから、居直りが出てきて、結局、舞台の上で能を舞っている自分が、実は一番素直な自分じゃないかなと思えるようになった。それでも苦しんでますけれど、僕がやってきたことを息子や弟子に教えて、それをやることによって彼らなりに同調したり反発したりして、また、自己表現をしていく。それでお客さんと曲の中間点となって、お客さんもその能と出会っていく。もしかすると、それが『離見の見』っていう世阿弥の言葉なのかもしれないなって最近は思ってます」。どう能を観客へ伝えるか、観客はどうみているか、共感を呼んでいるか、演じる側の永遠のテーマでもある。

 「能は能でしかないですが、その時、難解だったとしても、後々に、映画とか、ほかのお芝居とか、人生においてでも、あの能で描かれていた心情と共通していると思われる時がきっとあると思います。逆に、能を見ていて、これまでの経験から共感して頂けることもあると思います。心の奥の隙間にすーっと入り込んでいく曲もありますからね」。確かに木立の並ぶ庭園を見て、能の囃子が聞こえ、能面をつけた美女が現れそうな錯覚を覚えたことがある。

 「能を分かろう、分かろうとするよりも、体全体で感じて頂くのが一番いいかもしれません。だけど、やっぱり見るよりもやる方が楽しいですよ」。「もっともっと魅力的な声を出せるような、魅力的に舞えるような工夫とけいこを積み重ねていかないといけない」とも。先代譲りなのか、能の話は尽きない。「息子にも頑張らせて、引き渡すまでは頑張らないと」。伝統芸を担い、代々継承していく重責と厳しさが見えた。

インタビュー・文/前田みつ恵 撮影/八木洋一

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