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茂山宗彦

KENSYO vol.62
大蔵流狂言方 
茂山 宗彦
MOTOHIKO SHIGEYAMA

まっすぐ進む先にある
芸歴30周年の「花子」
茂山 宗彦 (しげやま もとひこ)
大蔵流狂言方。1975年生まれ。2世茂山七五三の長男。父および祖父4世茂山千作、曾祖父3世茂山千作に師事。4歳で初舞台。 2000年から2005年まで千三郎、正邦、茂、逸平、童司と共に「心・技・体、教育的古典狂言推進準備研修錬磨の会(TOPPA!)」を主催。2006年より「HANAGATA」を正邦、茂、逸平、童司と共に活動中。その一方で、ドラマ、ミュージカルなど他ジャンルに渡り幅広く活躍する。 著書に『茂山宗彦 茂山逸平と狂言へ行こう』がある。
 カチッー 缶ビールをあけ、ぐいっとひと口。「お疲れさん、よく頑張りました」と自分を労う。ふっと、ガタやんの歌が口をついて出る。

06年、真夏の二ヶ月を超える『天国を見た男』の東京から名古屋、大阪公演。沢田研二さん、南野陽子さんを中心に達者な役者達と共に昭和10年頃の男と女の労働や愛や友情を描いた音楽劇。茂山宗彦さんは、〈土方のガタやん〉という心優しく一途な男を演じた。

ベランダに出て一服点ける。見上げると早くも初秋の星のまたたき。宗彦さんは、この芝居のテーマの、見上げる人と見下ろす人とがある世の中について考える。
「特別に金持ちでなくてもええ。ぼくは今、健康で人様の前に立って、狂言や芝居をやらせてもろうてる。幸せや」。

毎日のように、子どもが親、きょうだいを殺めあろうことか親が子を亡きものにするこの時代。宗彦さんは同時代に生きる人々に、
「な、しんどいけど、今日、一日、ぼくらと一緒に生きてみませんか」
と毎日の舞台で心から呼びかけるのである。今日一日が一生。毎日、往き生まれる、往生の境地で人々の前に立つ。

「例えば、狂言は喜劇なんやから、ぼくは役柄が決まったら、その人物と自分自身との間に温度差があったらやれないんです」
だから、毎日、家族であれ楽屋であれ、友人達との語らいであれ、ちょっとでも楽しく、少しでも相手を笑わせて喜ばせようとする。笑いの中にふっと触れた心の琴線もだいじに抱えて、本番にそれらすべてを投げ入れる。そして自身と同じ体温を役柄に重ねて舞台を勤める。一途に突入しているように見えて実は、世阿弥がいうところの「離見の見」の極意を宗彦流に活用しているように思われる。

 宗彦さんは、大蔵流狂言京都の当主13世茂山千五郎さんの弟、七五三さんの長男に生まれる。物心つかぬまま始めた狂言だが、本家の次男の長男という立場は子ども心に何かしら重苦しいものだった。家に迷惑をかけてはならぬ。幼くして躾けられる。父、七五三さんの稽古は具体的に体に教え込むという方法だった。母紀世江さんの実家は琵琶湖畔。宗彦さんは離乳食で鮒鮨の味を知ったらしい。今も魚は上手に食し骨の形で輪郭を綺麗に残す。宗彦さんは、いつも自分の輪郭を明確にする男に育った。

 大学時代は2回生で単位の殆どを習得。3回生の時、大丸百貨店の屋上でたこ焼やソフトクリーム売りのバイトをした。祖父の千作さんが小鳥の餌を求めにきたついでに「ソフトクリーム、おくりゃす」と目の前に立つが宗彦さんには気づかない。

 狂言、やり続けるかどうか。宗彦さんは葛藤していた。褒められること少なく叱られること多い厳しい世界である。ナイショで大企業の就職試験も受けてみた。どうも、リクルート・スーツは似合いそうにない。そんな時、NHKのドラマ『ぼくの旅立ち』の主人公で出演することになった。若い人達が将来にゆき暮れる時代にさしかかっていた。主人公のしんちゃんに惹かれて大学や就職で京都にくる若者もいた。そして彼らは宗彦、茂、逸平、童司という個性的な集団、花形狂言少年隊の舞台に、笑いころげながら生きる元気を実感するのである。芸より人気が先行、単なるブームと評されつつも少年隊はメディアの波に乗り全国を席巻していく。宗彦さんは自分達の芸はまだまだ…と冷静に思いながらも必死でチケットを求め能楽堂に足を運ぶファン達には「頑張ります!」といい続けた。さらに宗彦さんはミュージカル、現代劇、テレビドラマにとさまざまな分野で活躍し、弟逸平さんとの二人芝居も人気を呼んでいた。

 2000年、『釣狐』を披く。この時、ようやく、狂言を生涯、やっていこうと決意。それでも、自由な心もよう、自由な生き方を望む宗彦さんに、今ひとつ、能楽界という世界、家柄というしがらみに違和感はあった。それを完全に吹っ切ってくれたのは、
「この春の童司の釣狐の披キでした。楽屋の引き出物の一枚の熨斗紙に童司のお菓子、おっさんのパンって並べて書いてあって。おっさんは丸石さんです。胸があつうなってきて、嬉しなって、ぱぁっとぼく、解放されていったんです」

千作さんの弟、千之丞さんが祖父、あきらさんが父という家系の子、童司さんが、外から入門しプロになった丸石やすしさんに相手役を依頼し、実現したのはこの世界ではかつてないことだった。おっさんのパンは美味しかった。宗彦さんは、翌々日、父に「ぼくの芸暦30周年に花子、やらせて下さい」と頼んだ。

 お正月の慇懃無礼な雰囲気が嫌いという。元旦から天空狂言をやらせてもらえるのは、
「幸せです。お正月ですから、ぼくは狂言もトークも、メッチャ面白いこと考えてやりますから、それはもう喜んでもらえるように」宗彦さんと一緒に初笑い。楽しみだ。


インタビュー・文/ひらのりょうこ 撮影/KENSYO編集部

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