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宝生 欣哉
KENSYO vol.64
宝生流ワキ方 
宝生 欣哉
KINYA HOSYO

感謝の気持ちを忘れない、
まっすぐな大器
宝生 欣哉 (ほうしょう きんや)
ワキ方下掛宝生流。1967年東京に生まれる。父・宝生閑(人間国宝)および祖父・故  宝生弥一に師事。8歳「猩々乱」で初舞台。父譲りの凛としたたたずまいと存在感で、関東だけでなく関西でも高い評価を受けている。海外公演にも多数参 加。2000年度 芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。


 春がすぐ隣りという感じの穏やかな二月のある日。大阪の大槻能楽堂で能『自然居士』(じねんこじ)を観た。亡き両親の菩提を弔うため、わが身を人買に売り、購(あがな)われた衣を布施として奉納する幼気(いたいけ)な子。それを見て、仏法を説き歩く自然居士は涙し、人買を追いかけ子を乗せた船に乗り込み衣と引き替えに子どもを返せと迫る。人買とその仲間と問答の末、からかわれていると知りつつ乞われるまま歌い舞い、やがて子を連れ帰って行く。シテ自然居士の大槻文藏さんの命に代えても子を取り戻そうとする気迫にワキ宝生閑さん、宝生欣哉さんの人買がはっしと迫り見えない火花が往き交う。子方、アイ、地謡、囃子、後見が一体となり息もつがせぬグレード高い舞台であった。

 閑さん、欣哉さん父子の艶のある明瞭な言葉と確かなリズムにいつしか物語に身を預け感動を深めていた。その興奮も醒めやらぬ終演直後、宝生欣哉さんにインタビューさせていただいた。舞台そのままのよく響く声で、まず先程の舞台について話していただいた。欣哉さんは、申し合わせ(舞台稽古)で、
「文藏先生、がんがん、こられるなぁ」
と感じた。ワキツレはシテ、ワキの邪魔をしてはいけないが、役柄もあり、こちらも力強く演じたという。それはつまり、シテが演じやすいように寄り添っていくことでもあろうか。お互いを理解し合うことが大切だという。

 父君との共演は勉強になる。目を合わすことはできないが傍で声を聞いているだけで、それ自体が貴重な教えになるという。
 三歳の頃から宝生家に代々伝わる謡本に基づいて祖父君の弥一さん、父君に稽古をしてもらう。お祖父様の稽古は優しい。日常の事では優しいお父様が稽古となると怖かった。ランドセルを戸口にこそっと置いて外へ遊びに出たりしたが帰れば厳しい稽古が待っていた。怒鳴られるより、台詞を覚えてなくて、父君に黙り込まれるのはもっと怖かった。三十分、俯いていると父君は新聞を読み出したりして。そしてまた一から稽古が始まりしまいには、父子は台詞で怒鳴り合い攻撃し合ったりした。初舞台は『猩々乱』。ご褒美に玩具をもらったのを憶えている。

 欣哉さんは野球が好きで、また、二人の姉君の上のお姉様と一緒に剣道も習っていた。長時間、しゃんと座り、凛と美しく動く欣哉さんの風姿は、剣道で腰を鍛えられたたまものもあるかもしれない。しかし、高校になると舞台が多くなり父君の「やめなさい」の言葉に素直に従い剣道はやめた。その頃は「もう覚悟していましたから」。プロとして家を継承していくための日々となった。

 二十五歳で『道成寺』を披く。揚幕で笛方一噌仙幸師の名乗り笛を聞き、その力強さに足が竦んだ。「どう出たらいいのだろう」と一瞬、迷いが走ったがしっかりと踏み出していた。それから、今日まで数多く『道成寺』を勤めたが、その度に「しっかり、やれよ」と笛で呼び掛けられた仙幸師の気合いを思い返し心して一歩を踏み出す。そんな大切な『道成寺』で平成十二年、芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞し、心から嬉しかった。

 欣哉さんが忘れられないのは、ゆくりなく流星のように逝った狂言方の野村万之丞さんである。「兄貴」のように可愛がってくれたし、弟君の万蔵さんとは今も飲んで本音で語らう仲。欣哉さんの家は西武池袋線の江古田、野村家は隣の駅、東長崎。欣哉さんは、一つ時、万之丞さんに舞を習った。立つ構え、右、左へ向く、廻るといった基本の型を教えられた。言葉も口呼吸でなく鼻でするように、風呂で鼻の下まで湯につかりぶくぶくやる訓練も教えてくれた。湯が鼻に入り苦しかったが、あれほど幅広く、舞台を創造していった万之丞さんが、疎かにしなかった芸の基礎。欣哉さんにとって、今、大切な遺産といえよう。「今のぼくの支えの一つになってます」という。稽古の後のお酒も楽しかった。万之丞さんが古来の田楽を現代に復活させた『大田楽』の舞台に欣哉さんは初回から出演している。1ケ月ものイタリア公演には、祖父君、父君も、背中を押すように「行って来い」と了承してくれた。

 小学五年生のお嬢さんと、三年生、三歳の子息。長男の朝哉くんは昨年、初舞台で、シテ方の梅若六郎師の孫さんと共に『猩々乱』を勤めた。子どもたちは、お祖父様の閑さんの稽古は喜んでやる。父君に「子どもにそんなに叱ってどうするのだ」といわれ、えっ、父は昔の事を忘れたのかと苦笑しつつ、欣哉さんもやっぱり黙り込む怖い稽古をしているという。そんな次第送りの芸の家。欣哉さんは子息たちとワキ、ワキツレの親子三人の舞台を夢見ている。そして、剣道を稽古する子どもたちと一緒に、もう一度、剣道をやってみようかな、と思ったりもしている。



インタビュー・文/ひらのりょうこ 撮影/八木洋一


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