KENSYO>能狂言インタビュー バックナンバー

宝生 欣哉
KENSYO vol.65
高安流大鼓方 
柿原 弘和
HIROKAZU KAKIHARA

凛と、まっすぐな、たたずまい
柿原 弘和 (かきはら ひろかず)
高安流大鼓方。1969年生まれ。
同大鼓方・柿原崇志の長男。1976年「玉之段」で初舞台。 同世代の能楽師5名で結成した「神遊」で主宰メンバーの一人としても活躍中。
東京芸術大学邦楽科能楽専攻卒業。

 京都大江能楽堂の楽屋で、高安流大鼓方、柿原弘和さんとあらためて向き合い、優しさのこもった静謐な雰囲気に心が和んだ。
 昨年のお正月、大阪能楽会館で、本誌創刊15周年記念スペシャル公演で柿原さんの大鼓を拝聴した。笛、小鼓、大鼓、太鼓の東西異なる流派の競演と銘打ち、素囃子『神舞(かみまい)』『獅子(しし)』が演奏された。柿原さんの大鼓のまっすぐな音色と掛け声はまっすぐに胸に響いてきた。あやかしに酔わされるのではない、いつしか心の衿が糺されていくような実直な感動がわいてきた。柿原さんのくっきりとした表情に、上下の奥歯が正しく綺麗に合わさっているのが見えるような気がした。かけ声や間の運び、かまえや姿勢の落ち着いた雰囲気を渋いと感じた。
 柿原さんは合掌して両手を見せてくれた。
 右手が左よりひとまわり大きく堅そうな皮膚が掌を縁取る。左手の親指は右のより分厚く何か歳月が見えるような濃い色をしている。
 「始めのうちは、打つことより革締の方が痛いのです。何度も手の皮が剥けました」
高い音を出すため大鼓の革は馬の尻、背中、肩などの強いところを使う。桜材の胴の両面に表革と裏革をあて、縦調べという朱色の麻紐を定まった順でたぐり強く締めあげる。さらにこれを朱色の絹紐で締めあげる。小締という。飾りのふっさりと華麗な化粧調べの内側にはこんな厳しい「仕事」が秘められている。柿原さんは中学生から革締を始めた。
 柿原弘和さんは、昭和44年、高安流大鼓方、柿原崇志さんの長男として東京に生まれた。安福春雄氏の流れを汲む祖父君から続く家である。父君の稽古は毎日であった。稽古をすませないと夕食は始まらなかった。父君は「リズムにのっている時のかけ声はこういうふうに。この場合はこう」と、あいまいさを排し理論的に教えてくれた。囃子方の家の子は最初は能の子方として出ることが多い。柿原さんは子方では出ず、7歳の初舞台に大鼓で『玉之段(たまのだん)』を勤めた。剣道2段の腕前だったが高校1年でやめた。その頃から、大鼓方として家を継承していく決意は強まり、能楽養成会に入り学んだ。東京芸術大学邦楽科能楽専攻でさまざまな日本の音楽を学んだ。先輩のシテ方吉浪寿晃さんや分林道治さんらと親しく能楽について語らい、現在もしばしば共演している。
 父君の後見をしていて、演奏だけでなく、大鼓という道具のことがしっかりできなければならないことを知った。大鼓の仕事は、楽屋の大火鉢のたっぷりの炭火で二時間ほど焙じることから始まる。革が乾きに乾いていないとあのかーんと空を飛ぶような高音は出ない。いきものの如く季節やその日の天候によって微妙に変わる革の扱いは革締とともに、大切な作業となる。近頃は能楽堂だけでなくホールなどの公演も多く、火鉢や炭火がない時もあり、電気ストーブを使う人もある。柿原さんも常時、車に電熱器を乗せている。先日、九州の大鼓方の従兄弟さんから、焙じた革をジップロック(ビニール製の密閉袋)に入れておくと保存良好という情報を得たが、まだ「実験」はしていないという。時代の推移によっていろいろな変化にも対応していかなければならないようである。
 「大鼓は骨格のようなものです。小鼓が肉付けやふくらみを付けてくれます」
 大鼓は基本の8拍ある中の1拍から4拍を担当し全体としてリズムの上でいわばリーダー役となる。太鼓が入らない場合、大鼓は地謡のいざない役ともいわれるが柿原さんは、そういういい方でなく「謡を囃している」という。謡を囃す。何と美しい言葉だろう。大鼓は謡の調子の少し上をいく。そして「馴染んでいく」という。この言葉にも、柿原さんの大鼓方としての姿勢が見える。互いに馴染んでこそより良く高めていけるのだろう。
 長男の孝則さんは現在中学1年生。『薪之段』で初舞台。最近、革締の手ほどきをしながら、お父様としては自分がそれを始めた時の記憶が戻ってきたという。生涯で最もやわらかい手指が最も厳しい仕事に立ち向かう。そしてみずみずしい感性で孝則さんは「ぼくの夢は、大鼓を有名にすること」。
お嬢さんは、箏曲家のお母様にお琴を習っている。いずれ仕舞もしてくれればと柿原さんは思う。自身は暇をみては走る、泳ぐを楽しむ日常。柿原さんは舞台に出ることを格別に意識しない。普段の生活が囃子方としての暮らしだという。それはまさしく今日の大江能楽堂での「せぬひま」の会の舞台と通じるように思えた。「せぬひまは何とて面白きぞと見る所・・・」。世阿弥の言葉に因む同世代の役者や囃子の立合。「神遊」の大鼓 柿原弘和、小鼓 観世新九郎、太鼓 観世元伯、笛 一噌隆之の『花重蘭曲(はながさねらんぎょく)』。中之舞、羯鼓、鷺、神楽、早笛、獅子が織りこまれた曲。舞台から、蘭、竹、梅、菊の四君子文様が香るようであった。


※ 「せぬひま」・・・森田保美(森田流笛方)、吉阪一郎(大倉流小鼓方)、河村大(石井流大鼓方)が結成しているグループ名
※ 「神遊(かみあそび)」・・・観世喜正(観世流シテ方)、一噌隆之(一噌流笛方)、観世新九郎(観世流小鼓方)、柿原弘和(高安流大鼓方)、観世元伯(観世流太鼓方)が結成しているグループ名。インタビュー当日の「せぬひま」第四回公演では「神遊」がゲスト出演した。


インタビュー・文/ひらのりょうこ 撮影/墫 怜治

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