大抵の能公演に出演している能楽ワキ方福王流十六世宗家の福王茂十郎さん。旅の僧役が多く、威風堂々とした佇まいの茂十郎さんなら、霊を鎮めるのにも説得力がある。多い時には年間200公演に出演していたが、「今年は減らして150番にしました」と話す。 そんな中、ワキ方が地謡も謡う「世阿弥時代の地謡による『融』をみる」という能公演を企画、11月30日、大阪市中央区上町の大槻能楽堂で上演する。 能の構成は、シテ方、ワキ方、囃子方、シテ方による地謡、狂言方によるアイと分業されている。しかし、現代の能の原型を作った世阿弥の時代は、「能舞台に向かって右側に座る地謡座はなく、囃子方の後ろでシテ方やワキ方の“応援団”のように手のあいている役者が助吟、合唱していた。今、地謡は8人いるが、昔は2人か3人程度だった」と、一曲の詞章全部にワキ方が参加していた。 「謡はワキ方のものであったと父も言っていました。 それで7年前に金剛流だけが演じている『泰山府君(たいさんぶくん)』を世阿弥の時代のタイトル『泰山木(たいさんもく)』にして、やってみたんですが、今の上演方法が体にしみついているので、結構、きつかった」と、この時は地謡にワキ方2人、シテ方3人を配して演じた。大阪で初演した後、東京や福岡で上演し、NHKテレビでも放送された。 茂十郎さんはその成果が認められ、「芸術選奨『古典芸能』部門の文部科学大臣賞」を受賞した。 「現代の能役者にも“同”と“地”(謡本に書かれている印で、“同”はシテ・ワキ・ツレ・地謡で謡う。“地”はシテは謡わず、ワキ・ツレ・地謡で謡う)の区別が理解されていない。今の地謡の方がいいと言う人もいるが、どちらが優れているとかという問題でなく、昔はこうだったということを今の能役者にも知ってもらいたい。だからもう一回やっておこうかなと思ったんですよ」 詞章は現行と同じだが、アイを語りのない形にした。 「世阿弥本が残っているので、出来るだけそのままの形でやります。 時代が下がるに従って、地謡の人数が増え、アイも座って語るようになったが、昔はなかった。アイ語りは新しいものです。能全体の演技がだんだん長くなっていった。一曲の公演時間も30分から40分でやっていたのが、2〜3倍の長さになっている。1日10番ぐらいやっていたんですから一曲が短く、もっと演技も軽いものだったのではないかと思う」と、1時間30分から40分かかる「融」を1時間余に短縮して上演する。 シテを観世流の大槻文藏さん、ワキは茂十郎さん、アイを小笠原匡さん、地謡は茂十郎さんに息子の和幸さんと知登さんが勤める。囃子方は大鼓の山本孝さん、小鼓の成田達志さん、太鼓を三島元太郎さん、笛を藤田流十一世宗家の藤田六郎兵衛さんとベストメンバーがそろった。 「こういう能もありましたというのを、知ってもらうのが目的」と、〈古くて新しい〉「融」に出合える会になりそうだ。 茂十郎さんには、もう一つの狙いもある。というのは、シテ方が五流全部を合わせて1117人なのに対してワキ方は三流で64人(数字は2003年版能楽手帖より)という少なさも気がかりな点だ。「歴史的にワキ方が地謡から撤退していった。また、ワキ方志望の若者が少なくなって困っているのが現代です」。ワキ方はシテ方の演じる主人公の思いを引っ張り出すという重要な役割がある。「いいワキ方役者が減ると困る。国立能楽堂の養成制度もあり講師で行っているが、5人来て2人残ればいいかなと思っていますが、それにしてもワキ方そのものに魅力を感じてもらう事が必要です。 10年、20年先を考えて活動しないといけない」と話した。 3、4歳から父先代茂十郎に謡のけいこを受け「口移しで習い、書いてもらったのは小学生になってからです。当時は福王流の素謡会が常にあり、子方(子供)の謡を謡っていた」と、7歳の時、能「岩船」で初舞台を踏んだ。息子たちも同様に「基本的なことは十代に教えた。うちは二十歳になったら自分で考えろというやり方です。息子たちもしっかり受け継いでくれると思う」と、彼らより若い世代をターゲットに、舞台だけでなく能楽全体の課題でもある「人材育成」にも尽力している。