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今井 清隆
KENSYO vol.68
金剛流シテ方 
今井 清隆
KIYOTAKA IMAI

能は無色透明
今井 清隆(いまい きよたか)
金剛流シテ方。1943年生まれ。
父今井幾三郎および二世金剛巌に師事し、6歳の時「鞍馬天狗」の子方にて初舞台。その後、「石橋」「乱」「望月」「内外詣」「道成寺」「翁」「卒都婆小町」「檜垣」等を披く。1998年、京都府文化賞功労賞受賞、2004年、文化庁芸術祭優秀賞受賞。(社)能楽協会京都副支部長、(社)金剛会理事長を歴任。

 能は詩である。
 今井清隆さんのお話を聴く機会を得て、確かめることができた。これまで、今井さんの能を何度も拝見しながら、その折々の、ある不思議な感覚はどう言葉にすればいいのか、分からないままに十余年が過ぎてきた。
 揚幕があがる。
 今井さんの姿が、すうっと浮き上がり、見所のこちらの方もすうっと心身が上昇する。幕から離れ、橋掛り、そして舞台へ舞い進む頃にはもう夢見心地になっている。平常とは別の、常ならぬ儚い世界にいつしか連れ出されているのである。その曲が、どんなに空おそろしいものであっても、ひたぶるに哀しい女心を舞うものであっても、自然に舞台と同化できる。その至福の一っ時を何と呼べばいいのか。そんなことを、ある時、森田流笛方の帆足正規さんに話すと事もなげに、
「能は、詩ですからね」。
 この度、今井さんに問うと、
「そうです。能は感じる・・・ものですから」
 と答えられた。これまでの不思議な感覚の謎が解けた。私事であるが、詩を書く者として能がそんなにも間近にある事をあらためて知り、望外の喜びであった。
 平成16年。今井さんは、東京国立能楽堂における『鉄輪』『葵上』で、文化庁芸術祭優秀賞を受賞。それまでも、昭和61年に重要無形文化財日本能楽会員に指定され、また平成10年、京都府文化賞功労賞などを受賞しているが、東京での演能で優秀賞を受けたことは別格のこと。ご本人はもとより東西のファンも喜んだ。東京は生粋の江戸っ子もいれば、日本全国から人々が集まる人間の坩堝。お弟子やファン、根付いた見功者から、ふっと、その気になって能楽堂へ足を運んでみたという若者までいて、先入観抜きの見所となる。その日は、その中に審査員の諸氏がいた。今井さんは、客観的に「良いものは良い」と評価された事が嬉しかったという。
 今井家は文化年間(1804−1818)から続く京都、金剛流の職分家である。初代今井勘五郎は地謡方として禁裏御能御用を勤めた。清隆さんは、2世幾三郎さんの長男として下京区万寿寺通りに生まれ、今井家の6代目になる。商家の並ぶ町で子どもの頃はアスファルトにろうせきで絵や文字を描いたり、軒下の床几で将棋を差したり、独楽廻しや手作りの木の蜜柑箱のスケートボードで遊び、転んでケガをしたり、元気な毎日だった。
 能の稽古は祖父君、父君に教わる。お祖父様には叱られた事なく可愛がられたが、文学に造詣深い父君の稽古は理論的で、謡の解釈などで衝突する事も多かった。能が好き。それでいいのでは、と父君に反論もした。
 6歳の初舞台は『鞍馬天狗』の子方。その日、はしかの為高熱を発していたが、しっかり勤め賞められた。のち、北区小山に移る。子方から中学、高校と大人への道で避ける事のできない変声期に悩んだ。しかし中学卒業の時、オペラの主役に抜擢された。音程やリズム感、そして芝居の才能をあらためて見い出され、失っていた自信を取り戻した。同志社大学では、合唱団グリークラブに入る。ベースだった。100人もが歌う壮大な楽しさや力強さに惹かれたが今井さんは西洋音楽と謡の発声の基本的な相違に気づく。シテ方を継承していく自覚と共に、能に専念していく。しかし、グリークラブの仲間との交流は続きグリークラブの合唱をバックに舞った事もある。合唱の荘厳なハーモニーと今井さんの華麗な中にしのぶ気品の舞とが響き合い、若い人たちの共感を得た。文化庁の優秀賞のお祝いの会には、かつてのメンバーが駆け付けてくれて今井さんも一緒に歌った。
平成19年。初世今井幾三郎百年祭・追善能では『翁』を舞った。「能にして能にあらず」とされ、天下泰平、五穀豊穣を祈る儀式が芸術となった、他の曲とは別格のもの。これが許される事は、今井家が当初より金剛流を支え、家元と共に生きてきたからこそであろう。この日、今井さんの子息の克紀さんは、『道成寺』を舞った。7代を継ぐ克紀さんは今、仙台の稽古場へ教えに出向き、能の普及に尽くしている。清隆、克紀父子が一番ずつの今井後援会能は今年で50回を数える。
世阿弥がいうところの、花の如き美しい風姿が、中世では具体的にはどんなものだったか、想像することは難しい。でも、今井清隆さんが舞う時、とりわけ女の舞は、高貴な花の美に触れることができる。『鉄輪』『道成寺』の女ごころ。また『葵上』での六条御息所の忍びに忍んでいてさえも、現れ出てくる生霊の哀しさ。それを、
「どう、考えて舞われるのでしょうか」
 とたずねると、明確な答えが返ってきた。
「何も考えていません。無色透明かな。演出も殆ど考えない。長年の稽古で積み上げてきた型・・・でしょうか」。

インタビュー・文/ひらのりょうこ 撮影/八木 洋一

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