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宝生 欣哉
KENSYO vol.69
喜多流シテ方 
塩津哲生
AKIO SHIOTSU

力こそが美であり、精神の容(かたち)
塩津 哲生(しおつ あきお)
喜多流シテ方。1945年生まれ。父・塩津清人および、喜多流十五世宗家・喜多実に師事。5歳の時「桜川」の子方で初舞台、17歳の時「経正」で初シテを勤める。1971年「道成寺」を披き、12年間の内弟子としての修行を終え独立。現在、日本能楽会会員、国立能楽堂養成課シテ方主任講師、十四世六平太記念財団理事。「塩津哲生の会」を主宰。芸術選奨文部科学大臣賞、観世寿夫賞を受賞。

 美しさに息を呑んだ。
少年、塩津哲生さんが、この世で初めて目にしたその美しさは、神々しく静謐で端正で…どんな言葉の数にも尽くせないものであった。神社の舞台で独り、父君、塩津清人さんが稽古をする姿である。極寒の冬は白い息を吐きながら、灼熱の夏には汗をしても涼やかに。誰に見せようというのでもなく、ただひたすら神様に捧げる清らかな無心の舞であった。軽やかな足の運び。気合いに満ちた一閃一閃の動き。鮮やかな扇づかい。扇を刀に代えても誰も打ち込めないだろう、一分の隙もない力強さ。この時すでに塩津さんは、父君から能の精神を心身に植え付けられていたといえよう。それは、人は如何に生きるかという人生の根幹につながるものでもあった。
 塩津一家は熊本の神社に住まいしていた。
 祖父君の代から喜多流のシテ方であった塩津家。父君は、東京で十四世宗家喜多六平太師に内弟子として入門し稽古に励んだ。昭和十四年、宗家の命で喜多流の能の普及のため朝鮮京城へ赴き門弟の指導に活躍するが、第二次世界大戦となる。終戦の年、昭和二十年八月、一家は熊本へ引き揚げる。荷物の重量制限で能の手附などは捨て、父君は乳飲み子の哲生さんをリュックに入れて背負った。
 姉と幼い妹、子ども三人を残しお母様は病気で他界された。父君はたすきがけで参道から水を運び、練炭火鉢で黒豆を炊き、また鰯のつみれ団子をこしらえてくれた。その姿に哲生さんは涙した。子どもを慈しみ育てる父君の無償の愛こそが、のちのちの能楽師 塩津哲生さんの生き方の背骨を形成した。父であり母であり、そして師であった。常は優しいが稽古は厳しかった。厳しくも慈愛にあふれていた。弟子のために藁半紙(わらばんし)に謡を丁寧に書きコヨリで綴じた父君の謡本。塩津さんは今も尊い遺産を手にして父君を偲ぶ。
五歳で『桜川』の子方で初舞台。十二歳の時、十五世宗家喜多実師が熊本へ。宗家の『鞍馬天狗』の子方を勤めた塩津さんの姿が目にとまる。「東京へ出てこないか」と誘いをいただき父君の熱心な勧めもあり、塩津さんも漠然とした東京への憧れもあり、十四歳で単身上京。それから十二年間、宗家の内弟子として稽古に励む。稽古は毎日。一日一番の勢い。「左に千里、右に千里、正面に千里、気をかけろ!」。師の稽古は三千里の向こうへ裂帛(れっぱく)の気迫を求めるものであった。殆ど四六時中、師と一緒の生活。師の思いやりで外での食事や映画館へお伴をする時も、塩津さんはいつも緊張感から解放されることはなかった。師への畏敬の念は少年から青年への季節へと続き、さらに舞台への、観客への、シテ方として一瞬なりとも「狎れ」に流されぬ畏れの信念として確実なものになっていく。
 十八歳の時であった。
 『井筒』を舞う師がふっと井戸を覗くところ。塩津さんは息を呑んだ。面がふわりと赤らみ輝く。恋しい面影を見ようとする心映えが面に点り華やぐ一瞬である。女を舞う時もただなよなよと柔らかさを表わすのではなく力強さが求められる。その力こそが美であり精神の容(かたち)である。師の精神が子どもの頃に見た父の端正な姿にも宿っていたのだと今、塩津さんは気づく。
 「能は凄い、とあらためて思いました」
二十歳の時。父君の古稀祝賀能で父君と共に猩々『二人乱』を舞う。五年後『翁』を披く。そして昭和四十六年『道成寺』を披き宗家内弟子修業を終え独立する。自らの芸に励み弟子たちの養成に尽くす。やがて能楽が盛んになり多くの人が能楽堂へ足を運ぶようになっていく。いつの舞台でも観客には、
 「初めてお会いする方がいるはずです」
 小手先の芸を厭う。天地の力を全身にいただき、いのちへの一途な気迫でもって舞わねばならない。その気が円形を辿るごとく見所(けんしょ)へ伝えられ、お客様の気が舞台へ還ってくる至福の瞬間。長男の圭介さんはもとより若い人たちにもこの歓びを心身で知ってほしい。若者たちよ、懸命に舞いあるいは舞台から転げ落ちるくらいの気合いを持て。そして日常の暮らし方、人生のありよう、稽古のありよう、それらを凝結したけして溶けることのないドライアイスひとつ、自分という人間の底辺に忍ばせるのだ。舞う時、それが美しい霧ともなり霞(かすみ)ともなり体からたちのぼり人々の心に届くように。そのドライアイスはどうしたら持てるでしょうか、と問うてみる。
 「日頃の礼節ですね」。
 出会いを大切に心からの挨拶ができる。その一事でもって何かが生まれるかもしれない。
 愉快な出会い。九月二十日。東京ミッドタウン能狂言での『船弁慶』。塩津さんは「能楽堂とは違うロケーションで面白いですね。妖艶さと後の激しい部分の両方を楽しんでいただけると思います。私も楽しみです」
 夜風がわたりビルがきらめく都会の中の谷間のような空間。塩津さんのドライアイスがどんな彩りで沸き上がるか、ときめく思いだ。

インタビュー・文/ひらのりょうこ 撮影/八木 洋一

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