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KENSYO vol.74
森田流 笛方 
杉 市和
ICHIKAZU SUGI

魂が呼吸に乗り
音になる。

杉 市和(すぎ いちかず)

森田流笛方。昭和27年京都生まれ。祖父杉市太郎、森田光春に師事。 昭和39年、舞囃子『初雪』で初舞台。以後、『石橋』『望月』『乱』『道成寺』『檜垣』『関寺小町』などを披く。京都能楽養成会および国立能楽堂研修講師。海外公演にも多数参加。平成2年京都芸術新人賞受賞。

 杉市和さんは、今も、時折、タイムスリップをする。祖父君の杉市太郎さんが三十代、四十代、五十代、つまり、元気盛りの時はどんな笛の音色を奏でただろうか。師でもあった市太郎さんの笛をたどる魂の旅である。それは、市和さん二十代の頃から始まった。
「祖父のその頃の笛を聴きたかったなぁ」
 市和さんは、京都は南座の程近く、四条大和大路下がる、えびす神社の近くに生まれた。えびす講の賑わいも幼い頃の思い出だ。
「地味な子どもでした」
 小学校、中学校では、例えば学芸会に率先して出るという子どもではなかった。家では市太郎さんに付いて笛の稽古をしていた。市太郎さんは特別に子ども用の笛を、二管作らせて、ひとつは市和さん、もうひとつは、笛方十一世藤田流宗家の藤田六郎兵衛さんに贈った。32の長さで、大人の普通の笛より7程、短いものだった。祖父君が七十歳を過ぎた頃。とても優しかった。大声を出したりすることはなく「稽古」「稽古」とやいやいいわず、ただひたすら継承者の市和さんが、笛が厭にならぬよう心を尽くされた。
 初舞台は小学校六年生、『初雪』の曲。子ども用の笛を卒業した。そして、京都能楽養成会に入る。高校生の頃、二階でお弟子に難しい曲の稽古を付けている祖父君の笛を階下で聴きながら「ああいう曲を吹きたいなぁ」と関心が深まっていった。市太郎さんの音色は嫋々(じょうじょう)と清らかであった。優しいだけでなく、その中にハガネのように強い芯が通っているのを市和さんは感じていた。
 京都産業大学では理学部数学科に入る。
 漱石の『坊っちゃん』を読んで、数学の教師になって田舎の素朴な子ども達と暮らしてもええかなぁ、とふと思ったりした。父君は校長を勤めあげ、教育者の生涯を送られた。曲がったこと、卑怯なことを自らに許さぬ父君の生き方は市和さんにつながっている。毎日の生き方、暮らし方はそのまま笛につながることもあるが、つながらないこともある、という。確たる答えは「まだ、わかりませんなぁ」。笛を吹くことは、そんな単純なものでないことを市和さんは知り抜いている。
 八十七歳まで吹きつづけた市太郎さんは二年病み、森田光春師に市和さんの向後(こうご)を頼み八十九歳で見罷った。光春師も静かな人で、その音色は祖父とまた違う彩りがあった。笛と共に精神論を教えられた。笛は、魂が呼吸に乗り音になる。真っすぐな心が真っすぐな音色になる。そしてまた光春師は、市和さんの祖父の市太郎さんは、若い頃「びゅうびゅう」と吹いていた、ただ単に綺麗に吹くだけでなく、歳月と共にその音色が深まっていった、と伝えてくれた。笛と共に生き抜いた祖父の歳月を思い、市和さんの“時々タイムスリップ”が始まる。
 光春師亡きあとも、市和さんは、師に習ったこと、師の後見をしてじかに舞台で学んだことの記憶をたどる。同じ曲でも、その時その時、記憶にもとづいて試行錯誤を繰り返して、自分のものにしていく。
 子息の信太朗さんは今、東京藝術大学を卒業して東京、京都、各地での舞台の出勤に忙しい。師であり父である市和さんは信太朗さんに、学友やなかま達と学び合い、いろいろな分野の舞台も見て、足元をよく見つめ、自分が求めるような笛方として育ってほしいと願う。
 杉家は、江戸時代にその名が見られる。加賀前田家お抱えの能役者で京で禁裏御用を勤めた。初代は加州、杉彌兵衛。時代は下り、天保の生まれ、杉治郎助は、弟子の武田市太郎を芸養子とした。その才能浅からず、シテ方金剛謹之輔の斡旋(あっせん)で、市太郎は杉家の後継者として養嗣子として杉を名乗る。狂言方二世茂山千作も応援を惜しまなかった。すなわち杉市和さんの祖父君である。
 杉市太郎三十三回忌追善能が、この十二月九日、京都観世会館で催される。市和さんが音取の前後を勤めた光春師の最後の公演となった『清経』。披キの時には祖父君の後見はかなわなかった『獅子』。祖父君のお得意だった序之舞の『井筒』。『魚説経』の四世千作師、二世千之丞師にも市和さんの思いがこもる。毎年七月一日、上賀茂神社に祖父君と共に奉納した『海士』。小書(こがき)・松門之応答(しょうもんのあしらい)を吹いたのが記憶に残る『景清』。
 『三輪 白式神神楽(はくしきかみかぐら)』は、光春師と共に何度も奉納に参じた大和、三輪神社に深いゆかりの曲である。この曲は、嘉永(かえい)年間、シテ方五世片山九郎右衛門による小書で秘曲にして囃子、とくに笛は独特の譜という難曲である。装束はすべてが白色。作り物も白一色。白は神々しく最高位の色とされる。不浄を排し悪魔を退治し、豊作と人々の幸せを祈る神楽。九世片山九郎右衛門師が舞う。お客様はもとより、すべての曲、出演の方々に市和さんの思い出と敬愛、感謝の心が重ねられる。

インタビュー・文/ひらの りょうこ 撮影/八木 洋一

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