KENSYO>能狂言インタビュー バックナンバー



KENSYO vol.85
大蔵流 狂言方 
茂山あきら
AKIRA SHIGEYAMA


相方(オヤジ)から受け継いだもの


茂山 あきら(しげやま あきら)
大蔵流狂言方。1952年 二世茂山千之丞の長男として生まれる。父および祖父三世茂山千作に師事。3歳のとき『以呂波』で初舞台を踏む。1975年『三番三』および『釣狐』、1994年『花子』を披く。2001年より狂言と新作落語のコラボレーション<落言の会>「お米とお豆腐」を結成し、全国で活動中。その他オペラや新劇、パフォーマンスなどの企画・構成・演出なども手がける。また、千之丞のパイオニア精神を受け継ぎ、1981年に欧米の現代劇と日本の古典芸能を融合した「NOHO(能法)劇団」をジョナ・サルズと共に主宰。国境も言葉もジャンルも飛び越えたワールドワイドな演劇活動を展開している。

 茂山あきらさんはこの六月、還暦を迎えた。
 辰である。
 あきらさんは、干支などに深い関心があるわけではないが、干支の中で唯一、架空のいきもので、辰─即ち竜は空を駆け山を這い、奇想天外な事をしてのける、といういわれがある。あきらさんに、
「どこか似てますがな」
「そうかな?奇想天外な事をしているつもりはないけど、何事にも興味津々で何でも知っておきたいのは確かやね」
新しい世界の発見。そこで掴み取ったものを様々な舞台に表現してきた。
 自宅の舞台で語るあきらさんの後ろから、
「何、話してるのかな」
親子の舞台写真、父君千之丞さんのいたずらっぽい目が覗いている。亡くなって、一年半が過ぎた。
 「ふっと、帰ってきそうな気がする時がある」
半世紀を越える父君との狂言人生。二卵性親子といわれるほど仲むつまじく、双方がそれとなく気づかう二人だけの間合いがあった。
「おやじ、というより、相方がいなくなったいう感じやね」
亡くなるまでの一年間の舞台は、しんどいはずだった。抗ガン剤で倦怠感、痛みや不快があったはずだけれど、
「あの人は、しんどい、という事を知らんかった。強い人や」
あきらさんは、千作さんにも思いをいたす。
「ぼくよりも、弟をなくした千作さんは、ほんとうにさみしいやろね」。
 あきらさんは今年、親孝行をした。
毎年の祇園祭での「鷺舞」の振り付け、指導をつづけてきた千之丞さんは、そこへ、狂言「鬮罪人」で謡われる、
『鷺の橋を渡いたかささぎの橋を渡いたりやそうよの』
の謡を入れたかったが、なかなかかなわなかった。あきらさんは、父君の思い遺したものに取り組み、実現した。今年からの祇園祭、鷺舞にいっそう華やぎが加わるだろう。
 千之丞さんは早くからオペラの演出、出演に積極的だった。あきらさんもオペラにも携わってきた。作曲家尾上和彦氏の作品は父君も手掛けられ、今年、あきらさんが氏のオペラの演出をする。
「継承というか、同じことをやってるんやな」という。千之丞さんの演出は丁寧に始めから終わりまで細部を見ていく。あきらさんは結構シャープで、一回目の打合せからどんどん駄目出しが出て、皆は何となく合点し、走り出すとあきらさんは、必要な時にそっと背中を押すぐらいであまり何もいわず、一人ひとりが自由に自分を発揮する。この違いが二卵性といわれる例のひとつだろう。
 今年の納涼茂山狂言祭もお客様のリクエストを募ったところ、茂山宗彦、逸平兄弟の「花子」をとの熱い要望で、大阪、東京での二人の「花子」となる。千之丞さんに代わり総合プロデューサーのあきらさんは、
「二人がよう引き受けてくれたなあ」
兄弟が同じものを演じ、競う事は楽ではなく、兄として弟として、役者として、同質と異質がせめぎ合う、通常よりも心身の研鑽がより必要となる正念場になろうか。
「二人が、茂山七五三という父から薫陶を受けた大きいものは共通。花子は恐妻物ですけど、実はノロケ話が主眼。どこを強調したいのか兄弟といっても個人によってものすごく差があると思うんですね。とにかく見てやって下さい」
今、七五三さんは二人の息子それぞれに、相手なく独りの橋掛りでの陶然とした謡を緻密に教えていられるだろう。花子との逢瀬が嬉しかったのか、別れて帰るさみしさの余韻なのか。聴きどころである。
 あきらさんは、子息、童司さんについては、
「狂言以外の事をやってもちっともかまわない。親としては、生きててくれはったら、それでいい」
 あきらさんの舞台について、本紙の撮影担当カメラマンがファインダーから見る、
「あきらさん、ええわ、ひとつひとつの動きが決まって美しい」
というようになったのは、あきらさん五十半ばにさしかかる頃だった。そういえば、あきらさんの型は流れず、静止を保つ。
「千之丞一派は、役者でありながら演出家であるから、やっぱり第三の目で客席からとらえてるみたいなところがあるからね。」
「世阿弥の離見の見ですか」
「そんな難しいもんじゃない」
どうやら世阿弥はあまりお好きではなさそう。幼い時から今日まで、出会いや別れの無常もあるがまま受け入れ、存分に狂言に汲み入れてきた歳月があきらさんの美をかたどっているのだろう。

インタビュー・文/ひらのりょうこ 撮影/八木 洋一

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