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KENSYO vol.88
大蔵流 狂言方 
茂山正邦
MASAKUNI SHIGEYAMA


気負わずに
自然体で

茂山 正邦(しげやま まさくに)
大蔵流狂言方。1972年十三世茂山千五郎の長男として生まれる。父及び祖父四世茂山千作、曾祖父故三世茂山千作に師事。4歳で初舞台を踏む。1989年「三番三」、1993年「釣狐」、2004年「花子」、2009年「狸腹鼓」を披く。2006年より宗彦・茂・逸平・童司と共に「HANAGATA」を再開。これまでに、1998年大阪市咲くやこの花賞、2005年文化庁芸術祭新人賞、2008年京都府文化賞奨励賞受賞。
 

〈お豆腐狂言〉を家訓に持つ茂山千五郎家の長男として40歳をむかえた正邦氏。おおらかで落ち着きのある風貌、はりのある声、しっかりとした演技は、これまで多くのファンを魅了してきた。三人の息子の父親として、若手から中堅の域へとうつりつつある今、心境をたずねた。

父親になられて、変化はありましたか?
―子どもの稽古に対する取り組みや教え方、熱の入れ方が変わってきます。内弟子の場合、ある程度こころざしを持って来ていますし、大人ですから、責任の度合いは、教える人間にも教えてもらう人間にも出てきます。子どもに関しては100%親の責任。いくら間違えようが、覚えが悪かろうが、子どもなので仕方がないと思う。それを極力少なくするのは親のつとめだと思うし、子どもに恥はかかせたくない。やっぱり気は入りますよね。人に見せるための責任感というか。

ご自身の子どもの頃を振り返ってみてどうでしょうか?
―初舞台は全く覚えてないです。小学校ぐらいから何となく覚えている感じ。その頃はお客さんの反応が楽しくて、それが面白いからやってる。褒められるのもそうです。子どもとして見てもらえるのは小学校までで、中学生になると変声期にも入りますので、その頃に後見をしたり、地謡をしたり、雑用から入っていく。いわゆるちゃんとした稽古が始まるのですが、それ以降、あまり褒められた覚えがないです。

稽古が嫌だとは思わなかったですか?
―無かったですね。単純に狂言が好きだったから。何か「せなあかんもん(しないといけないもの)」なんですよ、イメージ的に。それは子どもの頃からのすり込みですよ。稽古もほぼ当たり前のように、朝起きたら顔洗うみたいな感じで、晩飯済んだら稽古するみたいな。その頃「養成会」で2〜3ヶ月に一回ぐらい舞台があったので、それにむけて「稽古せなあかん」と。千作や父からいろいろ教えられ、怒られたりしましたが、「嫌だ」というのはなかったですね。だってそれは仕方ないんですよ。動きやセリフまわしとか、できないから怒られるわけでしょ。先生はできますからね。圧倒的な力の差、反抗することすらできない実力差があるわけだから、「あぁそうやな、できてへんな」という受けとらえ方しかできなかった。

「ああなりたい」という尊敬のまなざしですか?
―というより、見返したいほうが僕は強かったですね。まず認めてもらいたい。言われたことをできるようになりたい。芸風に関しては、たぶん誰一人戦う気はない。千作とも千五郎とも、勝てないと思ってます。勝てないというか、その人の個性や雰囲気、培ってきたものがにじみ出るものなので、そこを目指すとおかしくなると思うんですよね。『素袍落』とか、全くコピーしたところで絶対うけないですから。自分に似合わない、自分の身体に添わないので、自分は自分なりの芸風や思いを作って出していきたい。

いずれ千五郎家の当主を継がれることになると思いますが。
―襲名というのは名前を継ぐというより、名を重ねていくものだと思います。今の千五郎正義という人のところの上に、千五郎正邦がのっていく。かぶせていくというか。…真一(十一世千五郎・先代千作)、七五三(十二世千五郎・現千作)、正義(現十三世千五郎)をみていると、全然違います、やってること。でも名前は同じ。「これが千五郎の芸だ」と一時期いわれましたが、僕らは「そうか?」って。それを決めつけられたらものすごくつらいですし、「僕はこういうことをしていきます」って正直思っていないとできないですからね。「千五郎」の根本にあるのは「京都を中心にやってる面白いことをする家」しかないと思うんですよ(笑)。それが基礎やと思います。それにどういう衣付けをしているか、枝を張っているかというのは、その時の千五郎さんがつくっていくんじゃないかな、と。

「春狂言」昼の部では『止動方角』に太郎冠者役でご出演ですね。
―馬が登場する狂言として見どころと思います。あと、主従関係をうまくあらわした狂言。日頃こき使われている太郎冠者がちょっと主人に反抗するんですね。二人で喧嘩してるけれども、じゃれあっているというのをどこかで見せたい。お互い怒って、からかって、それに対して主人はものすごく怒っているけれど、それを楽しんでいる雰囲気。本当の険悪ではない。そういうのを見せられたらいいなぁ、と。

太郎冠者のキャラクターはお好きですか?
―好きですね。いろんな太郎冠者がありますが、やってて一番お客さんに楽しんでもらえるキャラクター。曲によって、ボケの時もツッコミの時もある。…あと好きな曲と言われたら「大名もの」も好きなんですよ。『文相撲』とか。大名役も好きですね。声量も、から(体)も、大きさも、結構あうんですよね。あと、二面性ですかね。人間の持っているかたい部分と柔らかい部分というか。それまであったひとつの流れをどこかで変える、というのかな。ふっと内面性を見せるような、意外性を見せられる役が好きですね。

正邦さんから見た狂言の魅力や面白さは?
―多種多様なお芝居。狂言と一括りに言っても、大名も太郎冠者も坊主も出てくるし、いわゆる下剋上や夫婦喧嘩の話もあれば、どうでもいい話もあるし、いろいろな喜劇の要素をもっています。そうかと思えば、全然笑いがないけれど、舞ものや謡もの、語りものもありますし、全部ひっくるめて狂言だと思うんですよね。「いろんなものがありますよ」「狂言でもこんなんありますよ」っていうのを提示していける演劇。だからこそ新作もいろんな形のものができていきますし、それをきっかけに古典作品に目をむけてほしいというのもあります。
狂言の魅力や面白さを知ってもらうために、いろいろなことはしていくと思います。そのためにも常にアンテナをはっていきたい。

茂山家の公演活動で最近ユニークなのは、動画共有サービスyoutubeサイトで千五郎家ファンクラブ組織「クラブSOJA」チャンネルを立ち上げ、公式映像を流すという試み。これに対して正邦氏は、特に難色は示さなかったという。京都という土地柄、神社仏閣で奉納行事の多い茂山家は、これまで、写真や映像が許可無くネット上に流れていく事態に数多く直面してきた。また、狂言名を冠した、ありとあらゆる映像が全世界に発信されているということも。そこで考えた一つの工夫、それらは自らが正式な映像を流すというものだった。根底には「普及」の文字。著作権や肖像権の問題は把握するものの、規制の難しさを感じると同時に、閉寒感をもたらす一部の過度な反応に疑問を抱いたという。いつの世にも広く愛される狂言を目指して。現代社会において大きな情報ツールとなるネットをきっかけに、一人でも多くの人が狂言に興味を持ち、そして舞台へと足を運んでほしいと願う思いが後押しする。

今後について教えてください。
―子どもを舞台に立たせていくのはしんどいですけど、そんなに難しく考えないようにしている。何かしている子どもの姿を見ると楽しいですし、どちらかというとそんな感覚ですね。一緒にやっていて面白いです、親として。たぶんそんな感じじゃないでしょうか、受け継いでいくって。例えば世阿弥とかが、この芸能何百年間残すんだと思って作ってないはず。子どもができたら一緒にやりたいな、やったら面白いな、やっているうちに子どもも染まっていく、自分ができたら子どもにもって。そういうのがずっと続いて何百年になった…。僕は気負わずに、自然にしていきたいと思います。

インタビュー・文/北見真智子 撮影/八木 洋一


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