KENSYO>能狂言インタビュー バックナンバー
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KENSYO vol.93
シテ方 宝生流
宝生 和英
KAZUFUSA HOSHO
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シテ方 金剛流
金剛 龍謹
TATSUNORI KONGO
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すべては能の未来のために
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ともに二十代の若き才能あふれる能楽師がいま、手を携え、能の未来を切り拓こうとしている。
宝生流二十世宗家、宝生和英、二十八歳。金剛流二十七世若宗家、金剛龍謹、二十六歳。「和の会」「龍門之会」と、それぞれ自身の会を主宰する二人がこのほど、東西と流儀の壁を越え、七月・京都、十一月・東京で合同で演能会を開くことを決意した。真っ直ぐに能の未来を見つめる二人は、実はプライベートでも仲がいいそうで…。
「きょうは二人で話し合って服装を合わせたんですよ。紋付き袴かスーツか、どっちにしようかって」と顔を見合わせて笑う二人。
結果、スーツに決めたそうで、背筋が伸びた凜とした姿勢によく似合う。
もともと顔はよく知っていた。いまのように仲良く話をするようになったのは、四年前、京都芸術センターが企画した対談がきっかけだった。
「その時はお互いにシャイなところもあって能のことばかり話しました。東京人の僕には京都はアウェー。ちょうど家元になったばかりでしたし、東京は品がないと思われたらいけないと思ったりもして…。龍謹さんはまじめな方だと事前に聞いていたらその通りの方でした」と和英。
龍謹は「京都では同世代の能楽師が少ないので、対談は僕には刺激になりました。京都は能も伝統的で格式のある催しを好まれます。そこへ和英さんのお話しは僕に新しい発想をもたらしてくれるものでした」
ともに宗家の継承者として生まれ、幼い頃から帝王学を学んだのかと思いきや、「若いころは周囲にあまり期待されていなかったと思う。自分も興味がなかった」と和英。その気持ちを変えてくれたのは何とプラネタリウムだった。「最初は乗り気じゃなかった。ところが見た瞬間、癒やされて通うようになりました。そのとき思ったんです。何ごとも先入観で見ちゃいけないと。そこから能にきちんと向かえるようになりました」
一方、龍謹も、先代宗家の祖父、故金剛巌、現宗家の父、金剛永謹の薫陶を受けながらも、中学時代、気持ちが能から離れたことがあった。「ちょうどその時、金剛能楽堂の移転建て替えがあったのです。父が次代のために懸命に奔走している姿を見て、その気持ちをしっかり継がなければならないと思いました」
そんな二人が初めてタッグを組む「合同演能会」。「すべては能の未来のために」と声を揃える。
「単に個人同士の競演じゃなく、演能会同士のコラボレーションにしたい。ただ、能の普及のためというのではなく、能を見て下さる方に何を与えられるのか、社会のために能は何が出来るのかを考えるための公演でもありたい」
二人によると、宝生流と金剛流は芸風が正反対なのだという。「『静の宝生、動の金剛』。『謡宝生、舞金剛』などといわれますね。でも外見は離れているようで、歴史をさかのぼると意外に近い。明治を代表する名人、金剛謹之輔は同じく名人の十六世宝生九郎を呼んで演能したそうです」
今回の合同公演でも、「お互いの志や思いを大切に、それぞれの流儀の特徴を見ていただける公演にしたい」という。
和英が勤めるのは、和歌の徳を描いた「巻絹」。「惣神楽」の小書きがつく。龍謹は稲荷明神の使いの霊狐が名剣を仕上げる「小鍛冶」。
ともにおめでたい曲で、そのなかに和英は神がかりとなった巫女(シテ)の神楽を演じ、龍謹の霊狐はダイナミックな動きの中に、「白頭」の小書きがつくので、霊力が増した様子が表現される。
「二曲とも神との対話というか、スピリチュアルなものを含んだ能。不透明な現代社会に何かを提示できるはず」と二人。
今後も合同演能会は続けていくそうで、「東京と京都だけでなく、地方でも上演し、地域の能を活性化させ、元気づけていきたい」と顔を輝かせる。
人の心を動かし、地域にどっしりと根付く能を目指して、真摯に活動する二人。二十一世紀の能をその若々しい双肩に担う。
インタビュー・文/亀岡 典子 撮影/八木 洋一
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