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吉田 簑太郎

KENSYO vol.32
人形遣い 吉田 簑太郎
Minotaro Yoshida

節目の年にめぐる大役

吉田 簑太郎(よしだ みのたろう)

1953年3月1日、大阪に生まれる。父は2世桐竹勘十郎、1967年7月、現簑助に入門し、簑太郎と名乗る。翌年4月、大阪毎日ホール「阿古屋琴責」の水奴で初舞台。子供や新しいファンの開拓のため、新鮮な視点で自ら本を書き、出張公演もこなす積極派。
1973年国立劇場奨励賞、1975年文楽協会賞、1984年国立劇場文楽賞文楽奨励賞、1986年咲くやこの花賞、1988年大阪府民劇場賞奨励賞、1999年松尾芸能賞優秀賞など受賞多数。

「ほんまに、ええ男でね。存在感をださないかん。公演中は、毎日、鏡をみて、そう自分に言い聞かせますわ」
国立文楽劇場の開場十五周年記念公演として四月三日から二十五日に上演される人形浄瑠璃文楽の通し狂言「妹背山婦女庭訓」で、二枚目の久我之助役に抜てきされた。開場当時から「次代を担う逸材」と、期待されていた。文楽の世界へ入って三十二年。通し以外ではあまり上演されないスケールの大きい舞台で初役を踏む。

「妹背山」は、中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣(藤原)鎌足が、朝廷豪族の蘇我氏を弾圧して天皇中心の新政を行った「大化改新」をベースに、大和地方の名所や伝説を織り込んだ近松半二らの合作。一部と二部に分けて、伝奇ロマンの世界を展開する。
大判事家の嫡男・久我之助は、長年仲たがいをしている太宰家の一人娘・雛鳥と恋に落ちる。いわば、文楽版「ロミオとジュリエット」だ。二人は、蘇我入鹿の横暴と家の板挟みになって追い込まれていく。
久我之助は、登場した瞬間の印象が出来、不出来の決め手となる。
「座っているだけで、きりっとした色気が漂うような、すっとした二枚目に仕立てたい」と、意気込む。

文楽の人形は、足遣い、左遣い、主遣いの三人遣いで一体を動かす。役の性格などは浄瑠璃語りの解釈が優先するが、人形に息を吹き込むことができるかは、主遣いの腹(役の気持ち)の持ちようで決まる。
「まずは人形を動かし、伝える技術がないといけませんが、半分以上は役者としての芝居心がいる。これからは、そこのところをどれだけつかめるか、出せるかが勝負やな」 自分に言い聞かせるように、そう言った。

記念公演は、簑太郎さんだけではなく、同世代の人形遣いや大夫もかなり抜てきされた。
「やっと役割がちょっと動いたなという感じです」。というのも、大きな役はもちろん、異なった役を遣える機会は、なかなか巡って来ない。「この芝居ならこの人」と、“持ち役”になるほど何回も続く。簑太郎さんは、どちらかというと三枚目の役が多かった。
昨年、父親の二世桐竹勘十郎さんの十三回忌追善で行なった「生写朝顔写話」の医者・祐仙役の出来映えはさすがだった。風格を漂わせつつ、姑息さや強欲さを、おもしろおかしく表現して観客の笑いを誘っていた。
その後の地方公演「夏祭浪花鑑」では、主役の魚屋団七に吉田玉女さんとダブルキャストされた。簑太郎さんたちがステップアップすることは、若い人にも「大きな役にちょっとでも近づく」楽しみがある。
しかし、それなりの成果が得られないと元に戻される厳しい世界でもある。
「同じ人形を遣っていても、日によってはうまくいかない時があるんですよ。けど、逆に、思い通りに動いてくれないのが面白いですね。簡単やったら一生かけてやろうと思わへん」 決して負け惜しみで言っているのではない。
「人形を好きになってへんのんちゃうかなとか、いろいろ考えるんですよ。もっともっと好きになろうと、変な言い方ですけどね。人形を好きになると動いてくれるように思うんですよ」と、実に楽しげに話す。

文楽は、足遣い、左遣いと、それぞれ十年から十五年修業して、初めて「人並み」とみなされる。主遣いになっても役によっては左遣いにも回る。
「役らしい役の左を遣った」のは、二十数年前の地方公演。突然、簑助師匠から「今日、左持て」と言われた。「左はまだやろなと思って油断してた」と振り返る。
左遣いは、扇子などの小道具を準備するのも役目の一つだが、その時、懐紙を受け取るのを忘れ、ポケットにあった白い手ぬぐいで急場をしのいだ。
「初めてみんなのいる前で怒鳴られました。あれが最初で最後かな」
実は当時、暇をみつけては楽屋でオートバイの雑誌を広げていた。
「師匠はそれに気づいていたんでしょうね。それで突然、左持てと言わはったんやと思います。『その本に左の遣い方が載ってるのか』と、大きな声で言われました」。活を入れられた思いがした。
研究熱心で有名な人だけに、意外なエピソードである。小学校や幼稚園などから頼まれると、子供向けに新作を書き下ろし、弟弟子らと上演にも赴く、大阪・能勢の浄瑠璃シアターで結成された「ザ・能勢人形浄瑠璃」でも人形指導に情熱を注いだ。
「忙しいけど、勉強になる」と、苦にはならない。八月には、フランスの田舎町にある人形遣いのための学校で講師を務めることになっている。
文楽を多くの人に広め、親しんでもらいたい。そのための努力は惜しまない。言下に秘められた情熱が伝わってくる。
「お客さんの心に何か残るような舞台をつとめたい」と、病気療養中の簑助師匠に替わって留守を守っている。



インタビュー・文/前田 みつ恵 撮影/八木 洋一



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