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中村 翫雀

KENSYO vol.34
中村 翫雀
Kanjaku Nakamura

大らかさの奥に秘めた
次代へのまなざし

中村 翫雀(なかむら かんじゃく)

成駒屋。1959年2月6日、京都に生まれる。3代目中村鴈治郎の長男。1967年11月中村智太郎で歌舞伎座「紅梅曽我」の一萬丸で初舞台。1995年に5代目中村翫雀を襲名。1998年1月十三夜会賞奨励賞受賞。

京都・南座。若手が中心になって復活させた通し狂言「小笠原騒動」を開演中の楽屋を訪ねた。幕間や終演後は、俳優さんや着物姿のファンらでにぎわうのだが、そのときは、舞台から、出のきっかけや、つなぎを知らせる拍子木「柝」の音や俳優さんの声が、ひとけのない廊下に響いていた。
舞台裏の緊張感漂う静寂に、身を引き締めて、のれんをくぐると、花に囲まれた化粧台の前に、浴衣姿の翫雀さんが座っていた。
「どうぞ、どうぞ、お気楽に」と、にこやかな表情で、大らかな人柄がにじみ出た。
歌舞伎の世界では、役の雰囲気に合っていることを「ニンに合っている」というのだが、この九月の花形歌舞伎での役柄も翫雀さんにぴったりだった。

一八〇三年に豊前・小倉藩で実際に起きたお家騒動に題材をとり、小笠原狐の伝説を骨子に描く「小笠原諸礼忠孝」(作・勝諺蔵、脚色・大西利夫)を奈河彰輔が補綴、演出した。忠臣と悪人の闘いに、狐の恩返しや家族愛などが織り込まれた勧善懲悪の娯楽作。翫雀さんや弟の扇雀さん、中村橋之助さん、市川染五郎さんらが、それぞれ二役に挑んだ。
「こんなにね、配役がみんなにぴったりなんてね。我々のために書かれたみたいにね。こういう作品はなかなかない」
ほかの三人は、善と悪の両方の役を演じたが、翫雀さんは忠義の二役。小笠原家一門の小笠原隼人と隼人が助けた狐の化身の奴・菊平。隼人に実直さが、菊平のかわいらしさに愛嬌があった。観客の感想も「面白かった」「見て良かった」と上々だった。

この公演には、四人ともポスター作りから参加し、演出にも意見を出し合った。
関西では、ベテラン俳優が座頭を務める公演が多い。それだけに「若手による観客と一体感のある芝居」を目指してのことだった。
大阪・道頓堀に松竹座が開場したことによって、関西での歌舞伎興行が増えた。南座にとっては、松竹座との「住み分け」が必要になったわけだ。
「京都のお客さんは、情報だけでは動いてくれません。実際に見たり、聞いたりしたこと、それも、一人や二人の話ではだめですね。何人かの話を聞いて判断される」
関西は情報よりも口コミ、というのはよく言われる。いい芝居だと、千秋楽に近づくにつれて、観客動員数が増えて行く。そのためには、京都だけでなく、近郊や大阪に観客動員を広げるしかない。
「松竹座と同じ形式の歌舞伎をしていては、大阪の方は、わざわざ京都まで来てくださらないでしょう。となると、南座は苦しくなる。顔見世は別ですよ。年中行事として定着してるわけですから。南座の新しい方向性という意味では、どういう芝居がいいのか、僕らが言えるようなことじゃないですが、歌舞伎をやらしていただけるのだとしたら、どういうものをやっていけばいいのか、ということでね。少しは方向性が見えてくるんじゃないかな」
四人は七月・八月と顔を合わせることが多く、公演の合間に、打ち合わせを行い、けいこも通常の公演より多くできた。その甲斐あって、来年も南座で「花形歌舞伎」を上演する予定だ。

いろんなことに取り組む機会が増え、人間国宝でもある父・中村鴈治郎さんが力を入れている「上方歌舞伎」の若きリーダーとしての期待も高まっている。
「家の、成駒屋の芸を受け継ぐことが上方歌舞伎とつながるのでしょうね。だけど、上方のにおいがする芝居をしていくことなら出来ますが、上方歌舞伎全般となると、片岡仁左衛門さんの松嶋屋の芸もあれば、河内屋のおじさん(故・三世實川延若)のもあります。つまりは、うちでは、こういう型でやってます、ということでしょうね。それに初代鴈治郎の役でも、だれもできそうにないのもあります。歌舞伎は役者で見せる、とも言いますからね」
成駒屋の芸、つまり鴈治郎さんの芸は、じゃらじゃらした間合いと色気が、いかにも上方らしい。翫雀さんもそれに続いている。
「それが成駒屋の型かもしないということですよね。あほみたいにくさくして、オーバーにやってる。それをおくびにも出さずにね」と、笑う。明るくて気さく。冗談を交えながらの話しぶりに、“上方”の柔軟性を感じた。成駒屋の代表作「河庄」の治兵衛を演じる日もそう遠くはなさそうだ。
気がかりなのは「脇(役)に、関西弁を話せる人が少ない」こと。 その点、松竹座の「上方歌舞伎塾」で学ぶ研修生らは関西に住み、関西弁を話す。「これは、二十年、三十年先で貴重な存在になる」と力が入った。

十二月の顔見世では、約四十年ぶりに上演される上方ゆかりの「浪華の春雨」で気弱な六三郎役を演じる。岡本綺堂が既成の題材に義太夫を取り入れて書いた新歌舞伎だ。
この三年ほど関西での公演が多くなった。一年のうちの半年を過ごすこともまれではなくなった。正月は松竹座に出ることも決まっている。「もっと関西公演が多くなりそう」な気配を見越して、「来年をめどに、大阪に住むつもりで、住むとこを探してるんです。大阪を“地”にして暮らそうと思ってるんです」。東京の家はそのままにして、二重生活に変わりがないが、ホテル住まいは返上する。
関西在住の俳優は、その人数が圧倒的に少ない。上方歌舞伎にとって、翫雀さんの決意は頼もしい。それだけ、関西の歌舞伎興行が復興してきたと言えるのではないだろうか。



インタビュー・文/前田 みつ恵 撮影/八木 洋一



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