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中村 橋之助

KENSYO vol.37
中村 橋之助
Hashinosuke Nakamura

生まれながらの歌舞伎役者。
目指すは平成歌舞伎。

中村 橋之助(なかむら はしのすけ)

成駒屋。1965年8月31日、東京に生まれる。1970年「柳影澤蛍火」の吉松で初舞台。1980年「沓手鳥孤城落月」の石川銀八、「女暫」の手塚太郎、「連獅子」の宗論で3代目中村橋之助を襲名。歌舞伎以外に、TVドラマや舞台など幅広く活躍している。

橋之助さんが、ふたつ目の夢を持ってこの秋、十月、京都南座にやってくる。
ひとつ目は昨秋、中村橋之助、中村翫雀、中村扇雀、市川染五郎の南座花形歌舞伎の通し狂言『小笠原騒動』であった。大スペクタクル。楽しく人間性に充ちた面白さで大評判であった。橋之助さんが提案し全体にわたりプロデュースした。このたびも花形歌舞伎として『小笠原』と同じ勝諺蔵作を若き四人が中心に演じる通し狂言である。橋之助さんは現在、細部に至る工夫に余念なく、前回を上廻る大胆と緻密のおおきな振幅のるつぼに、舞台と客席が熱くつながりそうな予感がする。
長く上演されなかったいわば復活狂言だが、「ただ古いものを埃を払って出すというだけじゃなく、歌舞伎の匂いを持ち、且つ平成という時代に合った芝居で、長年のファンの方はもちろん若い人たちにもラフに鑑賞していただける舞台にしたい」。と橋之助さんは意気込む。いくつかの芝居の有名な段のみを集め見どころ聞きどころを多くしたみどりの舞台ではなく、一から十まで語り尽くす通し狂言への思いも深い。

風が吹く、涼やかな美形。生まれた時から歌舞伎役者の道を歩き、はぐくんできた歌舞伎への情熱が恬淡とした口調ににじむ。今、すべてが許され何でも手に取れそうで、それでいて心はどこか窮屈な時代。みんな、ほんとうに幸せなんだろうか。橋之助さんは思うことがある。この時代、今、ここで、息してるよ、とアピールできるような、そんな歌舞伎をやりたい、という。

橋之助さんは昭和四〇年に七世芝翫さんの二男に生まれる。屋号成駒屋。兄は九世福助さん。長姉は舞踊家の中村光江さん。次姉好江さんは五世中村勘九郎さんに嫁ぎ、勘九郎さんは何でも話ができるおにいさん。四二年に父君が福助から芝翫に襲名され、家族あげての襲名興行のなか、聞こえてくるのは歌舞伎のことばかり。母君の話によると橋之助さんの幼少の頃の遊び場は歌舞伎座。大道具さんに遊んでもらったりして、怪獣映画もプラモデルにも興味なく、四歳の初舞台以降、子役で活躍。小さくてまるくてお客さんに喜ばれた。芝居が大好き、肌に合う。天職とはこれだ。義務教育がすめば歌舞伎役者になると決めていた。
十四歳で、『連獅子』の宗論で三世橋之助を襲名。観客席からの子役の時とは違った視線を覚える、大人の役者としての出発点だった。二十歳ちかくなり、橋之助さんは女形と立役(男役)の両方を演りながら悩んでいた。父君、兄君も女形。とりわけ父に似ているし父の役づくりの心情もよく分かっている。しかし、立役への憧れもあった。中学の頃、学校帰りに毎日「松緑のおじさん」の『義経千本桜』の平知盛を見に通った。その二世尾上松緑さんの監修で知盛役を演ることになったのは二一歳の時だった。松緑さんに直々に教わり、知盛の化粧をつくるのも自ら筆を取り描いてくれた。わずか三○センチのところ松緑さんの顔を見ながら筆先から松緑さんの魂が通じてくるのを感じた。それは知盛の魂そのものだったかもしれない。この知盛で橋之助さんは豪快な演技を賞賛され、のち『勧進帳』の弁慶や『魚屋宗五郎』の宗五郎など次々、立役の大役を果たしていく。

この七月、橋之助さんは、関西・歌舞伎を愛する会七月大歌舞伎、大阪松竹座で『芝翫奴(=供奴)』を踊る。二世芝翫(四世歌右衛門)さんの創作で、妍容ともいうべきあでやかさと楷書のたたずまいを併せ持つ。足拍子の場面が見どころ。成駒屋に伝わる人気舞踊で『芝翫奴』と称され、奴の持つ堤灯の紋は成駒屋の祇園守の紋と定まっている。この松竹座公演では、勘九郎、福助、翫雀、扇雀、島田正吾らの豪華出演。歌舞伎三昧を楽しめそうだ。
九月には、長男国生さん(四歳)と二男宗生さん(二歳)の初舞台が歌舞伎座で決まっている。橋之助さんの曾祖父君五世歌右衛門さんの没後六○年に当たるこの二○○○年、父君芝翫さんの『京鹿子娘道成寺』に孫全員を坊主役で出したいとの望みが達成される予定とか。橋之助さんは、「大人でも一ヶ月の舞台はたいへんなので、とくに二歳の宗生が、イヤだなぁと苦痛に思わないように、二人とも歌舞伎を好きになってくれるように、見守りたい」と気づかう。

家庭をだいじにする橋之助さん。日本の男性が世間で妻や家庭をこきおろしたりする、あの一種のリップサービスは好きじゃない、親バカといわれても、家族のために何かをしている父の姿を二人の息子に見せたいし、妻とともに家庭のあたたかさ、絆をだいじにして、子どもたちが社会や公の場に出ていける体制をつくりたい、という。そうしなければならないというのではなく、それが橋之助さんにとって、舞台でも日常でも心が安定する自然な生活なのである。
そんな橋之助さんが目指す、今生きていること、舞台と客席で、呼びかけあうような、若く熱い平成の歌舞伎に期待しよう。



インタビュー・文/ひらの りょうこ 撮影/八木 洋一



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