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吉田 玉男

KENSYO vol.40
人形遣い 吉田 玉男
Tamao Yoshida

上品で端正な芸風。
役の性根を表現する人形遣いの最高峰。

吉田 玉男(よしだ たまお)

1919年1月7日、大阪に生まれる。1933年3月、吉田玉次郎に入門、吉田玉男と名乗る。翌年3月、四ツ橋・文楽座にて「和田合戦女舞鶴」の綱若で初役。1977年重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される。1978年紫綬褒章、1989年勲四等旭日小授賞、2000年文化功労者。その他、受賞多数。

年間百三十六日、大阪、京都、東京の舞台に立つ。三人遣いの人形の首と右手を遣う「主遣い」として、人形浄瑠璃文楽の人形遣いのトップに立つ。

昨年十月、二〇〇〇年度の文化功労者に選ばれた。顕彰記念公演が四月、大阪・日本橋の国立文楽劇場で行われる。最近は立ち役(男役)に配役されることが多いが、久々に女形も遣うのが楽しみな公演だ。
武家のお家騒動を描く「加賀見山旧錦絵」の中老・尾上役。六年ぶりだ。
局・岩藤の陰謀を知った尾上は、嫌がらせをされ、草履で打つという侮辱を受ける。
「品格と忍の一字の役。派手な動きがあるわけではない。切ない思いばかりでやっていかんならん。最後まで辛抱の役やからねぇ。その時の役によって自分も陰気になるときあるね」と、心身を限界まで追い込んで役に向かう。
もう一作、今ブームの陰陽師・安倍晴明の出生にまつわる伝説をもとにした「芦屋道満大内鑑」では、晴明の父で陰陽師の安倍保名を演じる。
保名役は東京で三年ほど前にも演じている。若いころから品格のある役を遣うことが多かったが、立ち役、女形、悪役もこっけいな役もしてきた。主要な役で演じていない役は、ほとんどないのではないだろうか。

千回以上遣っている「曽根崎心中」の徳兵衛を始め、「一谷嫩軍記」の熊谷、「菅原伝授手習鑑」の菅丞相、「良弁杉由来」の良弁僧正など、代表作は数えたらきりがない。
最近では、一昨年に大阪、昨年、東京で上演され三百回を超えた「仮名手本忠臣蔵」の大星由良之助が印象深い。
由良之助は、殿中で高師直に切りつけ切腹を命じられた塩谷判官から後を託される。万感の思いを残して城を立ち去る「城明け渡し」の場面。玉男さんと人形が一体化したかのように、人形遣いが“消え”、ゆっくりと歩く由良之助が前面に押し出された。
「こんな心境やろと思て、つこてるだけであってね。どの役も舞台に出る時から役の性根を表現するいう気持ちだけやね」と、勝手に人形が動いてくれる感覚なのだ。
あとは「語りだけが頼りですわ」と言う。
せりふの間を自分で作り上げる俳優と違い、語りによって間も変われば動きも変わる。太夫、三味線、人形遣いの三業が一体となった時、観客に感動を与える。そこが難しさであり人形浄瑠璃文楽のだいご味でもある。

「しゃべらいで済む」と、一九三三年、十四歳の時に吉田玉次郎に入門。「足十年、左十年」と言われる修業時代、第二次世界大戦がぼっ発。一九四〇年、兵役についた。三年後に除隊したが、翌年、再び召集され、復員したのは終戦から一年後だった。
「足遣いは七年だけやったけど、その内の三年半ほどは、立て足として、主役を遣う初代吉田栄三さんの足をつこてたんで、足遣いは恵まれてた」。栄三さんは立ち役(男役)で、巧みな腹芸で時代物の主人公は秀逸といわれた近年の名人の一人だった。
しかし、師匠と栄三さんは終戦前後に相次いで亡くなり「それ以来、師匠なし。ずっと一匹狼」でやってきた。
戦後間もなく労働組合が結成され、組合派の三和会と会社派の因会の二派に分裂した時期は、因会に所属していた。経営難で苦しい時代でもあったが「ふんだんに役がつくようになった」という幸運もあった。主遣いとして「曽根崎心中」の徳兵衛を初めて遣ったのもこの時代だ。
当時、東京での二十日間の公演で五日ごとに演目を替えるという趣向もあった。本番をして、次の演目に向けて、衣装など人形のこしらえもして「大変やけど勉強になった」とも言う。
「人形遣いは足や左遣いをしながら役の解釈というか、性根とか表現の仕方を覚えていく。手取り足取り教えへん。そうやって覚えて、舞台けいこで語りとぴたっと合わせられないと恥やと言われた」と、けいこなしのぶっつけ本番。師匠や先輩が遣うのを、左や足について覚える。

玉男さんの遣う人形の左は、弟子の吉田玉女さんがずっと遣ってきた。「今、一番伸びる時ですわ。もし僕が倒れたらすぐに立てる存在になっている」と、信頼を置く。
すでに玉女さんは主遣いとして活躍している。今公演では、玉男さんから継承した「義経千本桜」の狐忠信を遣う。
「若いころは動きのない役はあんまり好きやなかったが、菅丞相とか由良之助は、好きな役になった。じっとしていても、人の話を聞いている様にならんといけない。首の向きやあごの上げ具合などで表情は大きく変わる。その手加減が難しい」。立ち役の人形は十数キロから二十キロ近くに及ぶ。最近はさすがに重量級の人形を遣う機会は減ったが、首を左手で支えて舞台下駄と呼ばれる高下駄をはき、つま先立ちで歩く。

あと二年で文楽の世界に入って七十年になる。「終戦後、文楽もうあかんで、と思たけど、やってて良かった」と言い、「そうやなかったら早うに定年や」とつないだ言葉が、まだまだ舞台で頑張ると言っているようでもあり、感慨深い思いを照れているかのようにも聞こえた。



インタビュー・文/前田 みつ恵 撮影/八木 洋一



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