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中村 福助

KENSYO vol.41
中村 福助
Fukusuke Nakamura

先人が累々と培ってきた
家の根本を守っていきたい

中村 福助(なかむら ふくすけ)

成駒屋。1960年10月29日、七代目中村芝翫の長男として東京都に生まれる。1967年4月大歌舞伎「野崎村」で5世中村児太郎を襲名し初舞台。1992年4月「金閣寺」雪姫、「娘道成寺」花子で9代目中村福助を襲名。1982年芸術選奨、文部大臣新人賞、1983年松尾芸能新人賞、1998年真山青果賞など、受賞多数。

まったりとして艶のある口跡、水際だつ容姿。役柄により鮮やかにうつろう心。大胆と繊細があざなうたたずまい。時にきゅっと走る粋な一閃。見惚れるうちにいつしか福助さん独特のリズム感に誘われ妖気の世界に踏み込んでいる。そして、いっときの舞台に、長い長い夢を見てしまったような不思議な心地にさせられる。
九代目中村福助さんは今、昔からのファンのみならず若い世代、はじめて歌舞伎を観たという人たちを魅了し人気を呼んでいる。昭和三五年(一九六〇年)生まれ、成駒屋七代目芝翫さんの長男である。弟は橋之助さん、姉は舞踊家の光江さん、中村勘九郎夫人の好江さん。

昭和四二年『新版歌祭文・野崎村』の庄屋の息子役で初舞台、五代目中村児太郎を名乗る。青山学院初等部一年生、六歳であった。歌舞伎役者としてなるべくしてなっていく事に少年らしい「反発」もないではなかった。その分、勉強し友だちと遊ぶ毎日が楽しかった。中等部高等部へ進む。
高校一年生の秋であった。父君が『京鹿子娘道成寺』を踊ることになった。白拍子花子は女形の最高峰である。マラソンのような踊りといわれており最大限の心身充実が求められる。父君を中心に食生活も会話も生活すべてが臨戦体制で家中が『道成寺』に向かっていく。福助さんも所化(坊主)で出演する。ちょうど学校の試験と重なり試験勉強で徹夜が続く。舞台の前の素明かりが目に沁み眠くなったりする。試験の内容もいつになく良くはなかった。いろいろ感じ考えながらの舞台であった。舞台か、学校か。選ばなければならない。悩みに悩んだ。やはり歌舞伎役者の血が騒いだ。
「学校をやめます」
両親に告げた。お母様は「高校だけは」といわれたが、十月二十九日、十六歳の誕生日の決心は固かった。

歌舞伎の道ひとすじとなった翌年五月。心あらたに父君の舞台を観て衝撃を受けた。これまで長い間、父の芝居は観てきて一緒に舞台に立っていたのに、家へ帰れば「父」であったから、女形を感じることが希薄だったのだろうか。初めて観たような父の女形、女形の父。
「こんな素敵なものが傍にあったのだ。なんで今まで観てこなかったのだろう」
こういうふうになりたい、と思った。
それからは地道な修業がつづく。
昭和五七年『仮名手本忠臣蔵』で福助さんが演じたおかるが話題を呼んだ。勘平役は勘九郎さん。福助さんのおかるには、お家大事や忠義よりも、一途に勘平だけを見ているみずみずしい女の本質が息づき、観客の共感を呼んだ。原作のおかるの人間像に迫ったという。父君と、この春みまかられた大伯父君の六代目中村歌右衛門さんの教えを受けた舞台であった。翌五八年、芸術選奨新人賞を受賞した。そののち福助さんは、古狂言の復活やスーパー歌舞伎にと活躍の市川猿之助さんの相手役を六年間つとめる。皆で新しいものを創っていく喜びなど多くを学んだ。

平成元年、成駒屋、父芝翫のもとへ戻ってきた。福助さんは、時代は流れ変わっていっても先人が累々と培ってきた家の根本を守っていきたいと考える。
「なぜ、舞台の家の入口は左側にあるのか」
「この主人公はなぜ、この台詞を語るのか」
「この人物の心の様はどんなだったのか」
時空間を超え思いを馳せ、当時の役者たちの動き、呼吸、芝居小屋の様子が感じられるところまで原作を深く読み取りたい。
「難しい事ですが、こちらの理解の度合いが深ければ深いほど、あ、こういうのが観たかった、とお客様に感じていただけると思う」古典への回帰線は現在につながっていく。
平成四年。九代目福助の襲名を示唆され、迷った。四半世紀、ともに生きた児太郎の名に愛着は深い。日頃ああしろこうしろ、といわなかった父君がこの時はきっぱり「いただきなさい」と勧められ心は決まる。昨秋、長男の優太くんが初舞台で児太郎を名乗った。

この七月、大阪松竹座での大歌舞伎。
『於染久松色読販』。福助さんのお染七役。油屋お染、丁稚久松、許嫁お光、後家貞昌、奥女中竹川、芸者小糸、土手のお六。女六人に男一人の七役を演じる。鶴屋南北作、渥美清太郎改訂。原作に返した演出で起伏ある物語、各場での早替わりがみどころ。七人の個性が人間のるつぼのごとく繰り広げられる中に一人の女が浮きぼりにされていく。
「いちばん難しいのはお染だよ」
歌右衛門さんが遺されただいじな教えだ。

「大阪、好きです」
観客の反応が面白く舞台に伝わってくるのだそうだ。大阪ならではの楽しい舞台にしたいという。福助さんの芝居に、浪速の真夏の夢を見る日が待ちどおしい。



インタビュー・文/ひらの りょうこ 撮影/墫 怜二



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