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片岡 進之介

KENSYO vol.46
片岡 進之介
Shinnosuke Kataoka

南座は僕のホームグラウンド

片岡 進之介(かたおか しんのすけ)

松嶋屋。1967年9月7日、京都に生まれる。五代目片岡我當の長男。1971年2月、「桜しぐれ」の禿で初舞台。1987年第六回真山青果賞新人賞を受賞。

三十五歳。さわやかな語り口。さりげない仕草や雰囲気に見える人への気づかい。青年とおとなの男の魅力がないまじる。
片岡進之介さんは昭和四二年(一九六七)歌舞伎の名家松嶋屋、五代目片岡我當さんの長男として京都に生まれる。三歳で、『桜しぐれ』の禿で初舞台。横断歩道で弁慶の六方をするような歌舞伎大好きの子どもだった。祖父君は故十三代目片岡仁左衛門さん。お祖父さまの傍にいる時は学校を休んでもよろしいというお母さまの方針。日常の祖父君はきもの、足袋、草履。食する時もくつろぐ時も暮らしの細部は完璧な和の世界であった。少年の目にそれは、歌舞伎のつづきのごとく映る。お祖父さまは、わざわざの稽古でなくともふとした仕草で「こう、袂を持って」と芝居の一場面を見せてくれる。長じるにつれ進之介さんはそこに「袂」があることに大きな意味をつかんでいく。今そこにあるものを崩さず守りぬく祖父君の確たる姿勢である。それは、進之介さんの歌舞伎役者としての、「下ごしらえ」の日々であった。

昭和三〇年代後半、国は経済成長に向けて走りだし映画やテレビの娯楽があふれ、歌舞伎が衰退の兆しを見せる時、祖父君は嵯峨野の屋敷を抵当に入れてまで三人の息子(現我當さん、秀太郎さん、十五代目仁左衛門さん)らと『仁左衛門歌舞伎』を立ち上げた。家族の女性たちはチケット販売やもぎりなどして働きささえた。努力と辛抱はどんな不遇にもくじけぬ歌舞伎への愛を育てた。進之介さんの土壌である。
進之介さんは父君と同じ立役の道に進む。十代後半頃まで、必ずしも楽しいばかりではなかった。合わない役がつづいたりして、それでもって恥をかくのは厭だし、と工夫に工夫を重ねつつもストレスいっぱいの日々。歌舞伎が嫌いになってしまいそうだった。けれども、進之介さんには辛抱という「下ごしらえ」があった。四天王、若侍などで修業を重ね昭和六二年(一九八七)、『元禄忠臣蔵』の井関紋左衛門役で第六回真山青果賞新人賞を受賞する。さらに意欲的に役柄に取り組んでいく。松嶋屋の立役は「辛抱」の心象風景が光る。たとえば『恋飛脚大和往来』の忠兵衛。遊女梅川の身請けの後金が工面できず悩んでいるところ、仕事仲間の八右衛門が満座で大金をちらつかせ、忠兵衛をののしる。忠兵衛、耐えかねてお預かりの為替(いわば公金)の封を切る有名な封印切りの場。
「じれったいほど辛抱するんです。ぎりぎりまで我慢して封を切る」
同じように息をつめていた観客もぎりぎりのところで放たれ「よう、切った」と共感の吐息をつく。

進之介さんは公演中には、いつも「ありがたく怖い」人達の視線を感じる。父君、秀太郎さん、十五代目仁左衛門さん二人の叔父さま。そしてお客様。「よかったよ」といわれても次の舞台で何倍にして返すか。常に待っていてくれる人への「借り」に悩む気持ち。
「悩むのが仕事です。まだ大手を振って、歌舞伎役者ですとはいえない修業の身です。でも幼虫が何度も脱皮して成虫になるのを待っていてくれる人がいるのは幸せです」
進之介さんの話を聞いていて蛍を思った。蛍のタマゴは梢から小川に落ちて秋冬を越して蛹になり、晩春に土手にのぼり上陸。土中で脱皮を繰り返しやがて羽化して、初夏、光を放ち飛び立つ。進之介さんはご存じだろうか。蛍はタマゴの時から小さく小さくではあるが光っている。落葉や雪がうずもる川底でも光りながら貝を食べて大きくなる。水面から土手へ一夜かけてのぼる時も、土中でも、最高に輝く日のために光りつづけている。

お祖父さまの傍で日常的に歌舞伎の勉強ができるように、と進之介さんの下ごしらえのもうひとつ手前のこしらえをしてくれたお母さま。南座素人顔見世興行が縁となった由佳子さんとの結婚を心待ちにしつつ、哀しくもみまかった。
「阪神タイガースのホームグラウンド、甲子園みたいなもの」
若手の中で南座最多出演の記録はつづく。平成九年の顔見世興行で進之介さんの出番はなかったが、松竹株式会社永山武臣会長の粋な計らいで『近頃河原の達引』に間狂言が設けられ、初春を寿ぎ舞う大和万歳役で出演することができた。以来とぎれずに出演がつづいている。歌舞伎というものへの感謝の気持ちが年々、大きくなっていく、という。
子どもの頃の南座。三階の楽屋。古いフランス映画に出てくるような蛇腹のドアーの手動式のエレベーター。ひもを引っ張る式の水洗トイレ。朝、寒い。白塗りの足が凍えそうな冷たさ。どこからか入り込んだ猫が三匹、勢いよく舞台を横切ったことも。思い出はつきない。平成三年、ゆったりと優雅に新装成った南座。進之介さんの軸足はここに。どんなに時代が変わっても歌舞伎はつづくと確信して。



インタビュー・文/ひらの りょうこ 撮影/墫 怜二



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