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桐竹 勘十郎

KENSYO vol.48
人形遣い 桐竹 勘十郎
Kanjuro Kiritake

桐竹勘十郎襲名を語る

吉田 簑太郎 改め
桐竹 勘十郎
(きりたけ かんじゅうろう)

1953年3月1日、大阪に生まれる。父は2代目桐竹勘十郎、1967年7月、現簑助に入門し、簑太郎と名乗る。翌年4月、大阪毎日ホール「阿古屋琴責」の水奴で初舞台。子供や新しいファンの開拓のため、新鮮な視点で自ら本を書き、出張公演もこなす積極派。1973年国立劇場奨励賞、1975年文楽協会賞、1984年国立劇場文楽賞文楽奨励賞、1986年咲くやこの花賞、1988年大阪府民劇場賞奨励賞、1999年松尾芸能賞優秀賞など受賞多数。
2003年4月3代目桐竹勘十郎襲名。

四月から三代目桐竹勘十郎を襲名する。文楽では珍しく父親の名前を継ぐとあって、昨年から話題になった。吉田簑助師匠に薦められ、悩んだ末に決意したそうで、先代は人間国宝でもあり「名前の大きさに負けないように精進したい。立ち役(男役)のイメージの強い名前ですが、女形も遣える三代目になりたい」と、謙虚な中に熱い思いを秘めている。
襲名披露の演目も師匠が選んだ。時代物の名作「絵本太功記」の武智光秀を初役で遣う。二代目の代表作でもあり、今なら最高の顔合わせで出来るというのが選んだ理由の一つだ。三代目にとっても、初めて黒衣を着て舞台に出た思い出の演目でもある。
苦悩の末に謀反を起こし、主君を討った光秀の一家が崩壊していくくだり「夕顔棚の段」と「尼が崎の段」を上演する。
光秀の武士としての誇りと意地、行いを責める母や妻の思い、初菊との祝言もあわただしく戦場へ赴く息子の十次郎、若い二人の別れなどが情愛たっぷりに描かれる。

どの役も重要だが、それにしても異例の顔ぶれがそろう。息子の十次郎を吉田玉男さん、初菊を簑助師匠、妻の操を吉田文雀さんら人間国宝が遣い、母のさつきを一門の先輩でもある桐竹紋寿さんが遣う。
「この上ない喜びですが、あまり考えないようにしています。ただ、見劣りしない光秀でありたいなと思う」と、幸運なスタートとなった。
ポイントは、光秀を追う豊臣秀吉をモデルにした真柴久吉をかばった母を誤って殺してしまった時の光秀の心情にあるという。
「しまった母を殺めてしまったという思いなのか、久吉を逃したことが悔やまれるのか。息子も戦で傷ついて帰ってくる。そういう揺れ動く部分をどう出すか。太夫さんの思いもありますが、信念を貫いて主君を討ったという揺るがない気持ちを、どの辺まで深く持っているか、じっとしている部分に出しとかなあかんなと思ってる」と、構想を練っている。
父親(二代目勘十郎、一九二〇〜八六年)の遣う光秀の足を遣ったこともあった。
「親父のときは母への思いをまず出してすぐに切り替えた。人によって違いはありますが、それだけに面白い役なんですよ」
今回、もう一つ師匠の意向で久吉役を二代目の弟子で、現在、簑助門下の吉田勘弥さんと吉田勘緑さんが交代で遣う。三代目の襲名を一門でバックアップする。

一九五三年生まれ。子供のころ、旅公演などで留守がちだった父親に遊んでもらった記憶はあまりないそうだ。
「親父の好きなジョン・ウェインやカーク・ダグラスの主演映画に連れて行ってもらったくらいかな。家にいると人を集めて飲むのが好きでしたね。文楽が三和会と因会に分かれている間も苦しい中、鍋をしたりして、わいわいやるのが好きでしたね」と、豪快で華のある人形遣いと言われた二代目らしいエピソードである。
「姉(女優の三林京子さん)は親父に似て勉強もスポーツも万能で友達も多かったんですが、弟(自身のこと)は父が嫌いな子だった。うじうじしてはっきりせん。いじめられっこで、めそめそ泣かされて帰って来てた」と、自嘲気味に振り返った。しかし、中学生の時、さすがに、それまでに積もり積もっていたものが爆発し、いじめっ子に向かって行った。
「結構、辛抱強いんですが、限界を超えたんですよ。みんながびっくりするほどでしたね。それがきっかけで、その子と仲良くなり、いじめられなくなった」とか。この世界に入ると決めたころの話だ。
「身内だと甘えが出るから」と、父親の弟弟子だった簑助師匠の一番弟子になり、翌一九六八年に初舞台を踏んだ。
自身の息子も三年前、簑助師匠の弟子になった。「高校三年生になるころに人形遣いになりたいと言い出して、考えて、僕も親父と同じで身内だと甘えが出るので、師匠の弟子にしてもらいました。僕のときは師匠も若かったんで、はじめは断られたんですが、息子の時は快諾してもらいました」と、息子の簑次は簑助師匠の末弟として、父の襲名を見守る。

「これからは初役が多くなると思いますが、型がある時代物の役をこなせるようになって、世話物にも挑戦したい。親父がすごかったのは、役の性根をしっかりつかんでいて、舞台に出てくるだけで、その場の雰囲気が変わったことです。そこが一番難しい」と気合を入れるが、すでに男伊達を描く世話物「夏祭浪花鑑」の団七役の大きさに定評がある。
もともと二代目も若いころは、立ち役も女形も何でも遣ったが、女形の多かった桐竹紋十郎師匠の相手役を志願して立ち役に回ったそうだ。三代目は、二枚目からこっけいな役までこなし、女形にも艶が出てきた。立ち役に代表作の多い父勘十郎と当代一の女形の師匠、両方の名人を間近に見てきた三代目への期待は大きい。



インタビュー・文/前田 みつ恵 撮影/八木 洋一



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