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KENSYO vol.55
尾上 菊之助
KIKUNOSUKE ONOE

時代を引き寄せるパワーを
秘めた希有な役者

尾上 菊之助(おのえ きくのすけ)
音羽屋。1977年8月1日東京に生まれる。七代目尾上菊五郎の長男。’84年2月、六代目尾上丑之助を名乗り『絵本牛若丸』の牛若丸で初舞台。’96年5月に『白浪五人男』の弁天小僧ほかで、五代目尾上菊之助を襲名。以降、輝くようなみずみずしい美貌と清潔な色気で女方、二枚目として存在感を見せている。
’85年’87年国立劇場特別賞’92年歌舞伎座賞、’93年国立劇場奨励賞、’96年浅草芸能大賞新人賞、’98年’99年松竹会長賞、など受賞。

「女形、立ち役の両方で活躍する。町娘から盗賊に居直る弁天小僧の美しさに目を奪われた人も多いはず。「源氏物語」の清純で賢い紫の上役は、この人以外に考えられない役の一つだ。東京・新橋演舞場の「新春大歌舞伎」では、今までにない役に挑む。
時代物「彦山権現誓助剱・毛谷村」(昼の部)のお園役と、歌舞伎舞踊「六歌仙・喜撰」(夜)のお梶役。
父親の敵討ちの旅を続けていたお園は、そうとは知らないで、まだ見ぬ夫の六助と巡り合う。この役は、武芸にすぐれ忠義のために腕を振るう「女武道」の役柄で、見せ場も多く女形の大役でもある。
「歌舞伎味がある義太夫狂言だと思いますので、しっかり役の気持ちを作った上で時代物のダイナミックさを動きやせりふで出していければと思います」
一方の「六歌仙」は、思いを寄せる小野小町にすげなくされる五人の男たちを描く変化舞踊で、喜撰もその一人。お梶は小町に見立てた茶汲女とされている。
「こういう踊りもやったことがない。お梶は年増まではいきませんが、今の僕が精一杯やって出来るというものでもないので、そこが難しいです」。次々と大役が回ってくる。
「役に自分がおっつけない部分が今たくさんあります。技術的にもその他のことでも、役がはるかに高い壁となって目の前にそびえている感じです。届かないまでもなんとか壁までいくと、また次の壁が現れる。その繰り返しですが大きな役は自分を成長させてくれる。こういう環境にいさせて頂けるんで幸せです」
夜の部の「鳥辺山心中」は、二〇〇四年十月にフランスで行われた市川海老蔵襲名披露興行の上演作品でもあった。同輩の弟を斬った半九郎となじみの遊女お染が一緒に死ぬ決心をする。菊之助さんのお染は、パリの人々にも好評だったと聞く。
「フランス語に心中という言葉はなくて、最初、どう受け取って頂けるか心配だったんですが、純愛としての愛とか思いやりっていうのは分かって頂けた。感性の鋭さみたいなものを舞台から感じました。役を通して役者そのものを見極めようとされているような気がして、いつもより集中力が上がり、いい経験になりました」
新春公演では落語の人情噺を歌舞伎化した「人情噺文七元結」(昼)で文七役も演じる。武家社会を描く時代物、庶民の暮らしぶりを描く世話物の両方で様々な役がついた。
「まだまだ勉強することが多いですが、世話物は僕も現代人ですから風俗的な事が難しいですね。リアルにやればいいってことでもないし、これからは江戸の風を感じて頂くために、どう工夫するかも必要になってくるでしょうね」。世話物は極端に言えば、そこに立っているだけで江戸の町だと説得できる風情を俳優が身につけているかどうかで決まる部分が大きい。
「歌舞伎の中だけでなくても廃れていっているけれども、そういう部分は大切にしたい」
歌舞伎とは?
「いつの間にか堅苦しいものと感じられるものになりましたが、先輩方が努力されてきたように、今を生きている人間が、現代の人に感動を与える歌舞伎であって欲しい。僕は前まで、古典を守らないといけない、後に引き継いでいかないといけないって、すごい保守的だったんですよ。もちろん、その流れの中にいることは必要なんだけれども、今のままじゃ駄目だとも思うんですね。常に危機感を持っていないといけないし、挑戦は大事だと思う。それがいいか悪いかはお客さんが決めることだと思いますし。時代に合わせるのではなくて、ものすごくえらそうなことを言ってるけれども、時代を壊せるぐらいのことを考えたい」
一気に話す表情は、演劇に情熱を燃やす「男」の目をしていた。

インタビュー・文/前田 みつ恵 撮影/八木 洋一

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