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KENSYO vol.60
鶴澤燕二郎改め
鶴澤 燕三
ENZA TURUSAWA

師匠最後の曲で
六世を襲名

鶴澤燕二郎改め鶴澤 燕三つるさわ えんざ)
’59年1月30日生まれ。
’77年国立劇場文楽第4期研修生となる。’79年4月、五世鶴澤燕三に入門、鶴澤燕二郎と名のる。7月、大阪朝日座で初舞台。
’06年4月、「ひらかな盛衰記〜松右衛門内より逆櫓の段〜」で六世鶴澤燕三を襲名する。
’96年国立劇場文楽賞奨励賞、’98年大阪舞台芸術賞奨励賞、’00年因協会賞など多数受賞。

 まっすぐ正面を見据え、一音、一音に思いを込めて弾く人形浄瑠璃・文楽三味線の鶴澤燕二郎さん。太棹三味線でデーン、デーンと奏でる余韻のある音は想像力を刺激する。
文楽の三味線を弾くようになって27年になる燕二郎さんが、師匠の名前を継ぎ、六世鶴澤燕三を襲名する。
後見人を務める人間国宝の竹本住大夫さんが、一昨年の東京公演中、燕二郎さんを楽屋に訪ね、「燕三を継いだらどうや」と持ちかけた。
「突然でしたので、心の準備も何もなく、師匠の名前を継ぐなど考えてもいなかった。けど、言うてくれたはるうちでないと継がしてもらう機会はないと思い、継がしていただくことにしました。師匠のような厳しい修業もしていませんし、天賦の才も持ち合わせていませんが、私なりに努力し、師匠の名前を汚さないように精進していきたい」と、襲名に至った心情を語った。
文楽へ入ったのは、高校三年生の冬休みにNHK教育テレビで三味線特集をしていた番組を見たのがきっかけだった。
「長唄、民謡、義太夫、津軽三味線すべてを網羅していた。印象が強烈で、弾いてみたいと思った」。新学期が始まり、母親が民謡教室に通っているという友人に「のぞいてみたら」と言われ、民謡を習い始めた。そして「これで飯が食えたら」と、思い始めたころ、今度は、大学で阿波の人形浄瑠璃を研究していたいとこから、国立劇場の文楽養成で研修生を募集していることを教えられた。「その場でいとこが電話して、翌日、劇場へ行き応募することに決めた。民謡は三ヶ月だけでしたが先生は快く送り出してくださいました」と、研修生となった。
そこで講師を務める燕三師匠と出会った。発表会のための指導を受けたのが縁となった。一回で覚えられるものではないが、「必死でくらいつき」、翌日のけいこで間違えずに弾いた。「突然、師匠がポロポロ泣き始めて、よう覚えたと言って下さった。頑張れば評価してくれる、意気に感じてくれる師匠でした」。
けいこは厳しかった。三味線用の本ではなく、文章だけをみながら手数を教え、師匠の弾くのを聴いて覚えて弾くという伝統的なやり方でみっちり仕込まれた。
「口移しで、(録音)テープは、聴いたらいかんと言われました。そして昨日やったところを覚えてないと烈火のごとく怒られました。覚えてないと次へ進めないですからね。必死に覚えました。それが記憶の糸をたどる訓練にもなり、写真に撮るように脳裏に焼き付いていった感じです。教える側も相当エネルギーのいることですから、そういう状況は忘れるものではないですね」
国立劇場文楽養成の研修修了生の襲名は、1998年の野澤錦糸に次いで二人目。文楽は世襲ではなく実力の世界だが、一人でも反対者がいると実現しない。「だれの反対もなかった。師匠にもよく仕え、生真面目な性格がかわれている」と、襲名発表の席で住大夫さんが、燕二郎さんへの期待の大きさを話した。
襲名披露は、4月、大阪・国立文楽劇場、5月、東京・国立劇場。豊竹咲大夫さんの語りで、「ひらかな盛衰記」の「松右衛門内より逆櫓の段」に挑む。燕三師匠が本番中に倒れたときに弾いていた曲だ。燕二郎さんが希望した。
あの時のことを燕二郎さんは、今もはっきり覚えている。いつものように、太夫、三味線が演奏する床の裏で、本(譜面)を手に聴いていたが、途中から三味線の音がおかしくなった。舞台裏のモニターで師匠の顔を確認した。一目瞭然だった。すぐに床へ出て、声をかけた。三味線も撥も握って放さず、無意識に手を動かしていた師匠を、やっとの思いで床から中へ運び込んだ。その間、住大夫さんは語り続けていた。燕二郎さんは楽屋着の浴衣姿のまま師匠の三味線で弾いた。
「師匠はこの曲を最後に、舞台を去った。それも千秋楽まで全うしていないという思いがありました。五世最後の曲で六世をスタートしたら、というのは美談ですが、この曲が出るたびに、師匠が倒れたということが、ついて回りますんで、この機会に私が務めさせてもらえれば、気持ちの落としどころがあるかもしれない、もしかしたら一生、思いは残るかもしれませんが、区切りをつけたいと思った」と、師匠の無念も込めて、初めて一段通しで弾く。
作品は、源義経の木曽義仲攻めから一谷での平家との合戦までを題材にした時代物。主人公の一人、松右衛門実は義仲の四天王の樋口次郎兼光のくだりを上演する、討ち死にした義仲の子供をめぐる嘆きや悲しみも盛り込まれた情愛と忠義が描かれる。
「三味線弾きとしては、やりがいがあると言いますか、大変と言うか。手数も多いし、手が込んでる曲です。こういうのは時代物に、よくありますが、逆櫓は突出している」と言い、咲大夫さんと昨年末からけいこを始めた。
名前は変わるが、「まず太夫さんに語ってもらうのが大事」という師匠の教えを守り、「どんな場合でも逃げないで、一生懸命やる。ちゃんとした三味線弾きになりたい」という思いは今まで通りだ。

インタビュー/前田みつ恵 撮影/八木 洋一


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