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竹本  相子大夫 KENSYO vol.72
太夫
竹本 相子大夫

TAKEMOTO AIKODAYU

二人の師に教えてもらったことは
体の中にしっかり残っている。


竹本 相子大夫(たけもと あいこだゆう)

1974年6月22日大阪府堺市に生まれる。
奈良教育大学在学中に文楽と出会う。
’97年4月、四代竹本相生大夫に師事。
同年、文楽協会研究生となる。
’99年6月、五代伊達大夫に入門。

 今年、開場25周年を迎える文楽の本拠地、国立文楽劇場(大阪・日本橋)。4月には開場記念公演として、昭和59年の柿落とし公演で上演された文楽屈指の人気作『義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)』が上演される。
 25年前、何をしていました?
 「まだ9歳でしたからね。本当に普通の小学生でした。文楽の『ぶ』の字も知らない、家で遊ぶのが好きな陰気な小学生でしたねえ」。文楽の太夫らしい大きな地声、笑顔はとびっきり人懐こい。
 25年後、内向的な少年は文楽の太夫となり、『義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)・堀川御所(ほりかわごしょ)の段(だん)』の※アトを勤めるまでに。「一人で語らせていただける機会はまだまだ少ないので若手らしく精一杯大きな声を出して語りたいと思います」
 夕顔棚のこなたより現れ出でたる武智光秀!
 場内に響き渡る大声。顔がみるみる紅潮してゆく。その横で先輩、竹澤宗助の太棹が迫力ある音色を打ちならした。
 2月、文楽劇場小ホールで行われた若手の勉強会「義太夫節に親しむ会」で、大曲『絵本太功記(えほんたいこうき)・尼(あま)が崎(さき)の段(だん)』に真っ向から挑んだ。強い信念を持って、主君を本能寺で討った光秀。その苦衷と家族の悲劇を描いたスケールの大きな時代物。本公演では切場語りの称号を持つ太夫が語るような段だ。
 「本番の日が近づくと精神的に参ってしまう感じでした。咳き込んだらどうしよう、最後まで行き着けるかなあとか、そんなことを考えていると眠れなくて…。僕は一日だけの公演でしたが、お師匠さん方は本公演でこれを 日以上おやりになる。こんな恐ろしいことを毎日されているのかと思うと、その凄さ、精神力に改めて驚くばかりでした」
 宗助には稽古で「殻を破れ」と言われたが、本番ではそこまでいけなかったと反省しきり。しかしこれほどの大曲に挑んだことが今後の自分を考え直すきっかけになったという。「今はきっちり基礎をやらねばあかん時期。小細工では60分もたないことを痛感しました」
 文楽の世界に入ったのは、奈良教育大時代の恩師が竹本相生大夫と知り合いだった縁から。3回生のとき恩師とともに文楽鑑賞教室を見に行き、終演後紹介された相生大夫からいきなり、「ほないっぺん稽古してみよか」と言われた。後日、『仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)・殿中刃傷(でんちゅうにんじょう)の段(だん)』の稽古をしてもらった。三味線なしのいわゆる“たたき稽古”。「新鮮でした。なにしろ塩谷判官は浅野内匠頭ぐらいは何とかわかりますが、桃井若狭助って誰やねん?っていうぐらいの知識でしたから。でも師匠がどこの馬の骨かわからない学生に丁寧に教えて下さったことに感激しましたし、対面で義太夫の大笑いとか聞くとすごいインパクトがありました」
 自然ななりゆきで相生大夫に弟子入りしたが、師は一年経たずに亡くなり、途方に暮れていたところ師匠方の口利きもあって竹本伊達大夫門下に。しかし伊達大夫も昨年5月、79歳で亡くなった、
 「呆然という感じでした。いまもまだそうですけど…」
 心にひっかかっていることがある。伊達大夫が得意とした『夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)・長町裏(ながまちうら)の段(だん)』の舅義平次。団七に悪態をついて唾を吐きかける場面で、「師匠はそのタイミングで床本を音をたててめくられるんです。まさに効果音。意識的にされているんですかと一度伺ってみたかったのですが、もう聞けなくなってしまいました」と寂しそうに語る。
 しかし二人の師に教えてもらったことは体の中にしっかり残っている。「相生大夫師匠には義太夫の本当の基本を教えていただきました。伊達大夫師匠は自然に語っていらっしゃるようで実は計算立ててドラマを組み立てていらした。僕なんか真似してできるような世界ではありませんが、憧れで目標です」
 4月からは尊敬する竹本綱大夫門下に入ることが決まった。今、役の責任もだんだん重くなっている。
 「僕は『ど』がつくぐらい不器用ですし、きれいな高い声が出るわけでもありません。でも伊達大夫師匠のようにことばが上手くて豪快さも持ち併せている。そんな太夫になるのが夢です」
 相子大夫のもう一つの“特技”は文楽の解説。三味線の鶴澤清丈とのコンビは若手漫才のようなおもしろさで、解説の革命児といえるほど。楽しみに聞きにくるファンも多い。
 「できるだけ多くの人に文楽の魅力をわかってほしくて」
 文楽新時代の若者は伝統と革新を双肩に、長く厳しい修業を歩み続ける。
 ※アト…段切の部分で、『堀川御所の段』では弁慶と土佐坊の立ち回りを描いた場面

インタビュー・文/亀岡 典子 撮影/八木 洋一


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