KENSYO>歌舞伎・文楽インタビュー バックナンバー
KENSYO vol.76
人形遣い
桐竹 勘十郎

KANJURO KIRITAKE

感謝と決意を胸に秘め
師匠に捧げる大役


桐竹 勘十郎(きりたけ かんじゅうろう)
1953年大阪生まれ。父は二世桐竹勘十郎。
’67年文楽協会人形部研修生になり、三世吉田簑助に入門し、簑太郎を名乗る。2003年父の名跡を継ぎ、三世桐竹勘十郎を襲名。
能勢淨るりシアターでは演出、振付、指導にたずさわるほか、子どもや新しいファンの開拓のため、新鮮な視点で自ら本を書き、出張公演もこなす積極派。’86年咲くやこの花賞、’88年大阪府民劇場賞奨励賞、’99年松尾芸能賞優秀賞。’08年芸術選奨文部科学大臣賞、紫綬褒章、’09年日本芸術院賞。

 『妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)』のお三輪を遣うのは、当然、吉田簑助師匠だと、桐竹勘十郎さんは思っていた。四月三日から国立文楽劇場ではじまる通し狂言。この度の、人間国宝・吉田簑助師匠の文化功労者顕彰記念の貴重な公演である。役割の表を見て、勘十郎さんは驚いた。お三輪の役は桐竹勘十郎とある。勘十郎さんはさっそく簑助師匠のところへ飛んで行った。師匠はむろん承知でこの大役を勘十郎さんにと考えておられたのだ。何もいわず常と同じ顔つきであった。勘十郎さんの挨拶にもうなずくだけで、お三輪についても、とくに何もいわれなかった。しかし、勘十郎さんには、師匠の無言の声が、聞こえていた。
「何十年、やってきたんや。できるはずやろ」
師匠の細密な記憶の引き出しには、これまでの長い年月の舞台はもとより、弟子への稽古の数々の場面がきっちりと詰まっていて、どんな時でも、すぐさま取り出すことができる。勘十郎さんは、平成十三年に東京の国立劇場での鑑賞教室で主遣いをしたお三輪を思い返した。そしてまた、何度も、師匠のお三輪の足遣い、左遣いを勤めた時の記憶を辿(たど)った。簑助師匠は、人形遣いを段取りやマニュアルで教える人ではない。主遣いと左遣いと足遣いがひとつになって人形に魂が宿り、動くものだという教えである。
 文楽では、舞台稽古は、いついかなる場合でも一日だけと決まっている。その日までに、それぞれが考えそれまでの稽古の蓄積の上にイメージをふくらませて、それを人形に収斂(しゅうれん)していくのである。初日からの毎日は一日、一日が違う。太夫の語り、三味線の音色、そして、主遣いのその日の息づかい、間。人形の背中を見て感じて、動かなくてはならない。一瞬のよそ見も油断もならない。三位一体になってこそ客席に伝わる。一所懸命だけでは駄目なのである。
 勘十郎さんは目をとじて、師匠のお三輪で見たもの、感じたもの、そして、自分の心身に染み込んできたものを繰り返しなぞる。そして、改めて、師匠を父とも慕い、敬い、共にきた今、お三輪という大役に恵まれて感謝が胸に迫る。
 勘十郎さんは昭和二十八年、二代目桐竹勘十郎さんの長男として大阪に生まれる。内気で恥ずかしがりやで、マンガや絵を描いているのが好きだった。お母様に連れられて父君の楽屋へはおもちゃを持って遊びに行っていたが、跡を継ぐことなど考えていなかった。中学二年の時。それは文楽をする人が戦後、最も減少した昭和四十一年、とりわけ若手がおらず、『絵本太功記(えほんたいこうき)』の公演に、勘十郎さんたち中高生六人が集まり、小物の出し入れや、武将の足を動かず持つ役など、手伝いをした。ひきつづいて名古屋公演にも出た。子どもだからと、師匠がたと同じ旅館に泊まり、御馳走も頂く。
「師匠たちは妙にぼくらにやさしかった」
 一人でも入門してくれたら、という策であったらしい。六人中三人が入門し今となっては勘十郎さんと吉田玉女さんが活躍している。少年の心は、先輩がたの足遣いを下から見て、「すごいなあ」と人形に魅せられ、また、ここが父の働くところだと感銘を受け、勘十郎さんは自ら入門を決意。
 父君から豪壮な立ち役の薫陶(くんとう)を受けた。十四歳で吉田簑助師匠に師事し、簑太郎の名で究竟(きゅうきょう)の女形を習い学んできた。父君は、昭和五十七年に人間国宝に認定されたが、四年後に病気でみまかる。父君の十七回忌に、師匠の勧めで三代目勘十郎を襲名した。五十歳であった。
 簑助師匠が公演中の楽屋で倒れられたのは、平成十年、脳内出血であった。急性期が過ぎてからの師匠のリハビリは、
「見ていて辛かった。でも、師匠は一度もあきらめることはなかった。どんな痛さにも耐え、舞台復帰を考えておられた」
師匠の舞台復帰の目標をはっきり定めて、それに向かって希望を持ったリハビリに励んでもらおう、と勘十郎さんを中心に弟子たちが相談、八か月後の舞台をめざした。周囲からは、早すぎて何かあったらどうする、の懸念の声もあったが、勘十郎さんは、師の復活は必ず成る、と信じていた。
 そして、復帰公演での『桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)』。可憐で情のあるお半が、文楽劇場に帰ってきた。客席は涙と歓声で沸いた。勘十郎さんは左を遣った。つくづく師匠のリハビリは修行そのものだと思った。師匠の気迫、文楽への情熱は、勘十郎さんこそが、継承していくものであろう。この度のお三輪は、その第一歩となる。
 大和路伝説、天智天皇と藤原鎌足の蘇我入鹿打倒の大化改新を題材に、町娘お三輪が恋ゆえに歴史の大事件に巻き込まれる。手習いをする娘が、恋をして、かなわぬ相手とその恋人を恨み、妬み、苦しむ女となり、最期は、いとしい人たちのために命を捧げる。女の生涯を描く人形と勘十郎さんの情念の一体感が存分に見られ魅了されるだろう。簑助師匠は鎌足の役で出られる。勘十郎さんの子息で、簑助師匠に入門した弟弟子でもある、簑次さんも同じ舞台を踏む。勘十郎さんには入門四十三年の歴史的舞台である。

インタビュー・文/ひらの りょうこ 撮影/八木 洋一

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